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1.騒動
この社会もいずれ地に堕ちる。
俺が迎えた結末のように段々と、されど確実に。
路地裏の自動販売機に寄りかかりながら、俺は切れ目から見える空を睨んだ。口から漏れる粘ついた溜息は、ほんのりと煙草の後味がする。
女房は数週間前に逃げ出した。誇りも潰えた。唯一の味方は腰にかかった工具セットと、脳裏にこびり付いた機械技師としての知識だけ。いずれその存在価値すらも機械に奪われるのだろう。
ぎりっ、と奥歯が軋む。ふと目線を落とすと、そこには足跡の付いた新聞紙が落ちていた。『AIの活用でよりよい社会を』……見知った大手企業の広告を見て、腹の底が沸々と煮え立ってくる。何がよりよい社会だ。人間一人の不幸すら救ってくれないくせに──。
「クソッたれがっ!」
そう叫び、横向きの拳を自販機にぶつける。
ガツン、と痛快な程の金属音が狭い路地に木霊する。
かと思ったその時。軽快な電子音が不意に自販機から鳴り始める。
故障したのか──そう背後を確認しようとした矢先に。
『お客さん! いま素晴らしいパンチでしたね!』
女声トーンのくぐもった機械音声が、硬貨の投入口辺りから放たれる。ぎょっとして、自販機から一歩距離を置く。押しボタンの灯りが、あたかも俺を祝うかのようにピンク色に点滅し始める。
『凄すぎて、中の飲み物がぶるぶる震えてましたよ? いやあ、お見事ですっ。ボクシングか何かやってる方なんですか?』
何の躊躇いもなく、自販機はべらべらと話しかけてくる。
考えられる可能性は、一つしかない。
『ああ。私としたことが、申し遅れました。私の名前は『NOMU』。AI搭載型自動販売機第一号として修業に参りましたっ。宜しくお願いします!』
機械とは思えないほど溌溂とした、けれど至る所に発音の違和が感じられる声。遂に飲み物一つ買うのにもAIが絡むようになったか。正直、驚愕よりも落胆の方が強かった。
『そういえばお客さん、喉が渇いていませんか? この時期は熱中症にかかりやすいので、こまめな水分補給を推奨してます!』
俺が呆れて物も言えない中でも、自販機の口もとい音声は止まらない。
今はこんなにも、静寂だった路地裏が恋しい。
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