4.故障

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4.故障

 大粒の夜雨が、ビニール傘に降りかかる。  いつにも増して無茶苦茶な依頼だった。ガラクタと格闘すること十八時間。直るのが当然かのように怒声を浴びせられ、最終的にあと一歩のところで家から追い出された。  クソがっ、と空き缶を思い切り蹴飛ばした。カコン、と軽快にアスファルトを何度か跳ねた後、一瞬で辺りが静寂で包まれる。かと思うと、ガコン、と重い金属音が響き渡り、数歩離れた先へと真っ直ぐ転がっていった。  顔を上げると、気付けばそこは見慣れた路地裏。  今一番見たくない機械の箱も、当然の如く鎮座している。 『あ、サイモン……サン。お久し、ブ、ぶりでス』  しかし、様子がおかしかった。いつもの底抜けて明朗な音声にノイズが入っている。その不具合も相まってか、普段と比べて溌溂さも足りていない。 『お見苦しいところ……申し訳、ゴザイマセン。一週間前カラ、接続箇所ニ、バグが……生じてまして』 「一週間も放置してんのか? 馬鹿かお前、早く本社に連絡を──」  言いかけて、言葉が詰まる。そうだ、コイツは本社と連絡が繋がらない。  そう両方の拳を握りかけたところで、ふと我に返る。  俺は今、何に激昂しているんだ。他社のAIなんざ俺には関係ない。むしろここで救いの手を差し伸べたら、仇とも言えるAI産業の進歩に間接的とはいえ関与する羽目になる。そんなこと、俺は望んでいない。 『……ごめん、ナサイ。せっかく、来てクダサッタのに』  ノイズまみれなその言葉を受けて、ほぼ無意識に顔を上げる。 『ワタシ、モット、話したかった。誰かの役に、立ちたカッタ。こんなところで、故障するワケにハ、いかないノニ』  気付いた時には、口がぽかんと開いていた。  脳内の何処かで、誰かが泣き叫んでいた。甲高く幼い声音。この自販機と同じくらい、自分の夢に真っ直ぐな少年の嗚咽だ。  ぎゅっと、拳に力が入る。今度は怒りとは別の意味を持って。  そうだ。これはきっと職業病だ。  本心から望んだわけじゃない。身体が勝手に動いただけだ。 「もう喋るな。不具合が悪化するだろ」  そう言って自販機に歩み寄る俺は傘を放り捨て、腰の工具セットに手をかけた。  作業が終わり、ふと腕時計を見るとあれから五時間が経過していた。  路地裏の外から辛うじて聞こえていた雑踏も、今は微塵も聞こえない。 「ほら、どうだ。喋ってみろ」  俺がそう指示すると、自販機は、あ、あ、と何度か発声する。 『凄い……凄いですサイモンさん! これで声がががが』 「ばっか! 急にでっかい声出すな! これから一週間此処に通って直していく。無理はするな」 『……ハイ。ありがとう、ございます』  まだ少しノイズが混じっているが、さっきよりは幾分かマシになっている。いつもの調子を取り戻しつつあるその声を聞いて、引き締まった身体の芯が微かに解れるのを感じた。 「ったく、AI如きに無駄な時間を割いちまった。もう帰るぞ」  そう言い残して、開きっ放しの傘を拾おうとしたその時。  自販機の取り出し口から、ガコン、と重たい音が響き渡る。驚いて目線を移すと、そこには一つの缶珈琲が横たわっているのが見えた。 「おい、買ってねぇぞ?」 『修理代です。お金が払えない代わりとして』  自販機が悪戯っぽく笑った、ように聞こえる。 『ずっと雨に当たっていたでしょう? 身体を冷やしちゃいけないので、是非持って帰って下さい』  AIのくせに、余計なことしやがって。  溜息をつきながら、取出し口の缶を拾う。パッケージに書かれていたのは「あさりの味噌汁」の表記。そういえば朝も昼も何も食べていないことをふと思い出した。 「……今日のところは貰っといてやるよ」  缶を軽く振りながらそう言って、俺は今度こそ自販機のもとから離れる。水溜まりを踏み抜く長靴の音。プルタブを開けた途端、優しい味噌の香りが全身の至る所まで癒してくれた。
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