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エレイン 1-2
小さい頃から、エレインは手のかからない子どもだった。無理に躾けた訳でもないのに、ワガママなんて、数えるほどしか言わなかった。そのひとつが――そうそう、あれは5歳の誕生日。こんなことがあったっけ。
『だってぇ……クマさんが良かったの』
テーブルの上に置かれた、誕生日プレゼント。淡いラメの入った半透明の袋の口を、金色のリボンが花の形に結ぶ。その中から、フカフカのモヘアのピンクのウサギが、青いビー玉の瞳でエレインを見詰めている。
『あたしも、確認しなかったのが悪かったねぇ』
綺麗なラッピングを解きもせず、頰を膨らませた孫を見て、贈り主のおばあちゃんは声を沈ませた。
『いい加減にしなさい』
ピシャリと叱ると、彼女はビクリと肩を震わせた。そして、おばあちゃんに向かって『ごめんなさい』と呟いて、ラッピングごとウサギを胸に抱いた。大きな瞳に滴を一杯に溜め、唇を真一文字に結んで、涙の決壊を堪えながら……。
あの頃のエレインには、一度こうと決めたらガンと曲げない“強情”なところがあった。その“頑固さ”は、彼女の成長と共に、定めた目標を必ず達成する“意志の強さ”に変わるのだけれど。
「ふふ……懐かしいわ」
結局、彼女は素直に受け取ってはみたものの、愛情をかけることはなかった。あの可哀想なウサギは、今でもクローゼットの中にある――金色の飾りリボンが結ばれたラッピングのまま。
ティーポットから注いだアップルティーに、小さじ1杯分ほどのミルクを加える。フワリと湯気の立つ飴色の液体の中を、白い渦がゆっくり溶けていく。小皿に乗せたスコーンに手を伸ばす。ひとかけ割って、口に放り込み……外に視線を向ける。窓に張り付いているのは、変わり映えのない縦縞の景色。
――サー……サー……サー……
リズム感のない連続音は単調で、眠気を誘う……。
「もぅ、ママったら……こんなところで転た寝しちゃって」
耳の底に届いた声が、意識を水面まで掬い上げた。瞼を開く前に、娘の呆れ顔が目に浮かんで、苦笑いしてしまう。
あら、嫌だ。私ったら……眠ってしまったのね。
囓りかけのスコーンに、飲みかけのアップル・ミルクティー。ティーカップから立ち上っていた湯気は、すっかり消えている。
いつの間にか、天井のオート感知システムが、自然光に近い柔らかな明かりを点していた。睡眠モードに切り替えていないので、室内に誰かいれば、仮に眠っていても照明が落ちることはないのだ。
「エレイン? 帰ったの?」
静けさが耳につき、辺りを見回す。ダイニングキッチンにもリビングにも娘の姿はない。
「エレイン?」
隠れんぼする年齢ではないのだ。ダイニングを出て、一通り家中を探してみるが、どこにも彼女はいない。やはり空耳の類だったのだろう。近頃、聞こえない音を拾うことがあって困る。
「ま、もうこんな時間!」
壁の時計の長短の針が、左下に集合している。寝ぼけている場合ではない。エレインが帰ってくる前に、夕飯の支度をしなくては。
冷蔵庫に近づいて、マグネットに留められたメモに気付いた。
『ママへ。今夜は遅くなるから、先に休んでいてね。夕食は職場で済ませてくるので、心配しないで。エレイン』
そうだった。最近、残業続きだとかで、彼女は家で夕飯を取る暇もないのだ。早出して1日中働き、夜遅くに帰宅して、短時間だけ眠る――しばらく私は顔も見ていない。
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