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暇と退屈の倫理学 國分功一郎
暇と退屈の倫理学(2022/単行本は2015年)
著:國分功一郎
小説ではなく哲学の本。タイトルに惹かれて書店で購入した。事前知識がなくとも一息に通読できる内容にしてある、と書かれているが、素人に対して妥協して書かれているようには感じられず、400ページを超えて書かれているので、読み切るのにかなりの根気がいる。高校で倫理の授業は取っていたので出てくる人名に馴染みがないほどでもなかったが、代表的なフレーズを知っているくらいでそれぞれどんな思想で活動していたのかはほとんど分かっていなかったなと思った。そしてこの本を読んで分かった気になるのもまた違うのだろうな、と思う。
一回いろいろ考えながら読んだはずなのに、こうして感想を書こうとするとどんな事を考えてたっけ、となってしまうので、こういう本は多分付箋なりノートなり取りながら読むべきなのだ。でも、一度はこんなことを考えたというだけでも貴重な経験で、このほんを読んで良かったという点にもなると思う。
音楽とか芸術に関する評論とかを見て、「理屈立てて良いところ/悪いところが書かれているけど、結局は受け取り側の感覚の問題でそれだけだよな」と思うことは多いのだけど、ここで論じられている暇や退屈についての理屈も同じようなものだと感じた。消して悪い意味ではなく、理屈に多少の違和感とか違う説とかが浮かんできても、著者がこのような気分を持って、それに向き合ってこの本を書いたことは間違いなく本当なのだと思えるのだ。言葉は共感の手段でしかないけれど、されど共感の手段ではあるので、過去の哲学者の記述も引用しつつ、著者の感じた気分をできるだけそのまま伝えようとしたのがこの本だと感じた。
~ここから先は読んでない人には何のこっちゃなメモ~
定住革命により人間は退屈を回避する必要に迫られた(退屈するようになった)と書かれているが、ここに違和感を感じる。定住生活では自分の肉体的・心理的な能力を十分に発揮することができないから、ということであるが、人間が安定を求める生き物であるという後の話と合っていないのではないか。思うに、退屈という感覚で相手にしているものもまた死への恐怖なのではないかと思う。一つの環世界に浸っていたのでは定住革命後の人間社会では生きていけない。必要となる仕事は絶えず変化し、また他人との争いも勃発するからである。最終的に、すべての事象を包括した完全な環世界の構築を目指しているからこそ、一つの環世界に満足するわけにはいかない。そこで満足していると、いずれ生きていけなくなることが分かっている。だから、自分で定期的に環世界を抜け出す必要がある。それが、大脳が肥大化して定住革命を行った私たちの退屈の仕組みなのではないかと思った。
~終~
付録として載っている『傷と運命』は短いパートではあるものの、本編と同等以上の衝撃を受けた。刺激を求める感情とは別に、常に何かで気を紛らわせていないと気が済まない感覚があるということが、初めて言葉として腑に落ちたかもしれない。もともと自分の中にあった感覚なのか、読んで分かったことなのかすでに分からない。
本筋とはあまり関係ないが、本の中では著名な(と思われる)哲学者が容赦なく批判されていく。昔の人の意見とか小説とかを読むときに、現代とのあまりの価値観の違いでウッてなって読めないことがあるけれど、それも自分の中でバッサリ切りながら読んでいっても良いんだと思えたことも収穫だった。同時に、この本も鵜呑みにしないであくまで自分の気分、価値観と向き合いながら取り入れることが大事だと思った。
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