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※※※
――一年前
厚い灰色の雲が低く垂れ込め、空気がじっとりと肌にまとわりつく頃。
とうとうツカサの我慢は限界を超えた。
義母の晴美から毎日のように跡取りをせっつかれる。
不妊治療に専念しなさいと言われ、最上家の口利きで入社したとはいえ、真面目に勤めていた会社を無理やり退職させられてしまった。
「待つって、どのくらい待てばいいの? 私は、丈流の何なの?」
ツカサが丈流に気持ちをぶつけたのは、ほぼそれがはじめてだったと言えるだろう。
「ツカサ?」
丈流はひどく驚いたような顔をしていた。
深夜に帰ってきていきなり、妻に詰め寄られたのだから驚かないはずがない。
「夫は毎晩遅くに寝に帰ってくるだけなのに、こんな生活で、子どもなんてできるはずがないじゃない」
ツカサはクッションをソファへ叩きつけた。
もう終わってもいいと思っていた。
丈流への愛は変わらないけれど、これ以上、最上の人間としてやっていける自信はない。
いっそ嫌われたほうがすっきりする。
感情をむき出しにして、ツカサは丈流を振り返った。
「最上家の人たちとはもうやっていけない」
「また、母が何か言ってきた? だから、無視していいって……」
「できるわけないよ!」
晴美の重圧に耐えながら、そんな彼女に同調する自分をツカサは否定しきれずにいた。
『最上の人間にとって大事なことは、財産を守ることだけ。この家は魔物なの。最上家という恐ろしい魔物よ。男は魔物に魅入られ、女は魔物の餌食になる』
晴美の声が頭の中で鳴り響く。
最上家の人間として苦悩してきた晴美の心の叫びが、いつまでたっても消えない。
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