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第八話
静かだった。空は穏やかで風もそよ風程度しかない。昼下がりの日射しはアリシアの頬を優しく照らしていた。
ここが野原ならば大層気分が良かっただろうが、しかし残念ながら周りにあるのは崩れかけた大昔の建築物だけだ。
アリシア以外に人間はいない。
静かだが、静かすぎる。それは帰ってこの場所の不気味さを際立たせていた。
「魔物の気配もないな」
「いいや、ちらほらはあるぜ。瓦礫の物陰だの、建物の中だの」
アリシアにはなんの気配も分からなかったが妖精であるパックには感じ取れているらしい。
「ふむ。パック、影を伸ばしてくれ」
「はいよ」
パックが言うが早いかアリシアの影から何筋かの影が糸のように伸びていった。それが中庭にある建物の影に繋がる。
「ああ、この辺に1体2体、全部で4体か。力の弱いやつだけだな」
「そうか。これだけ古い廃城にしては大したことがないな。この中庭全部を見れてるのか?」
「ああ。影のある建物は大体全部だな」
「なら、この中庭は抜けてもかまわないか」
影の妖精たるパックには影と同化することでその影の周囲の状況をある程度把握出来るのだった。
この探索能力こそがアリシアがパックを相棒としている一番大きな理由だった。
アリシアは懐から地図を取り出す。城の全体図が載った地図だ。
「さて、亡霊の出現場所は」
「お前全然分かってないだろ。大体地図逆さまだし」
「む」
アリシアの広げた地図は上と下があべこべだった。むすっとしながらアリシアは地図を正しくする。
「ちょっと見せろ」
渋々といった感じでアリシアはパックに、足下の影に地図を向ける。地図には事前にシェハードが記した亡霊の出現箇所が赤い点で表され、特に多い箇所に赤い丸が付けられていた。
「ふぅむ。奥のでかい建物の方ばっかだな。ここには出ないのか」
「亡霊とはいったものの鎧の姿が本体の実体のある魔物らしいからな。今も城の中のどこかに居るんだろう」
「知ってるよ。一緒に聞いてたんだから」
アリシアは会話しながら足を進める。聞いてはいたがなにも言わなかったのはパックが自身が人外であることをわきまえているからなのだろう。人間同士のやりとりに進んで関わろうとはしないのだろう。妖精には人間の社会など実質どうでも良いのだから。
「確かに居るな」
歩きながらアリシアは周囲に視線を送る。パックに言われて気配を探ってみれば確かにアリシアを見ているなにかを感じた。
しかし、害意を感じない。みなおっかなびっくりアリシアの様子をうかがっているだけといった感じだった。
パックの言うとおり力の弱い魔物ばかりなのだろう。
武装した人間には近づこうとすらしないのだ。
あるいは本能でアリシアの強さを感じ取っているのか。
なので中庭から本館までは拍子抜けするほど何事もなくたどり着けた。
そして、アリシアの目の前には本館の大きな入り口があった。
「さて」
アリシアはその扉に手を置く。壁は剥がれて朽ちかけているが扉はしっかりとしている。その重い手応えを感じながらアリシアはゆっくり扉を押して、少し隙間を開ける。
すると、その隙間からパックが影を伸ばした。
「どうだ?」
「つながってるとこまでは特に気配なしだな。地図で言えば表の廊下は全部クリアだ」
「ふむ......」
アリシアはじっと地図を見つめる。難しい顔で。
「.....分かってないんだろ。要するにとりあえず入っても大丈夫ってことだ」
「........了解」
アリシアは重い扉を一気に開いた。
中は静かだった。静かすぎるほどだ。石造りの壁に大理石の床。しかし全ては荒れ果て、風化した窓や穴の空いた壁から外の光が差しこんでいる。生物の気配はまったくなかった。いや、それだけではない。
「どうも、空気が違うな」
「ああ、寒いね。凍えそうだ。生気ってものがまるでない」
「ああ」
ただの廃墟ではここまで静かではない。ここまで景色が死んではいない。
ここは何者かの気配によって静まりかえり、何者かのせいで死の土地になっていた。
生物はいられない。壁にも床にも、朽ちた装飾品にも意味というものが消えている。
ここにあるのは物体だけ。生の痕跡が一切合切死によって塗りつぶされている。そういった場所だった。
「亡霊のせいかね」
「だろうな。気配だけでこの城を半ば異界にしてしまっている。聞いた話以上の厄ネタのようだな」
アリシアは周囲を睨み、腰のカタナに手をかけた。
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