プロローグ

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プロローグ

 時よ止まれ、汝は美しい(Verweile doch! Du bist so schön.)───────。  文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作『ファウスト』で、主人公ファウスト博士が、悪魔メフィストフェレスと「魂の服従契約」を結び、波乱に満ちた生涯の最後に口にした、あまりにも有名なセリフだ。  漫画の神様と呼ばれた手塚治虫は、この作品とセリフが、たいへん気に入っていたらしく、生涯で『ファウスト』を三度も漫画化し、テレビドラマの放送と同時並行で連載していた『ふしぎな少年』という作品は、主人公の三郎少年が、 「時間よ止まれ!」 の言葉を発することで、周囲の時間を止めて、事件や事故を解決する物語だそうだ。 神様と言えば───────。  まるで、神様でもいるかのように、夢が何でも叶うと想っていた十歳になるまでとは違って、思春期を迎える頃には、周囲の大人の身勝手さや我が身に降りかかる理不尽さに息苦しさを感じて、 「はやく大人になって、自由になりたい」 と、願い続けていた自分にとって、 「時よ止まれ、───────」 などと言うフレーズは、まるっきり縁がない、と思っていた。    それでも…………。  そんな自分にも、 「このまま、時間が止まってほしい───────」  そう思わずにはいられない時があった。  高校二年の夏休みの出来事。  真夏の太陽に照らされたプールの水しぶき。  駅前の連絡橋で見た雨の日の幻想的な光景。  晩夏の夜空に大きく輝いた花火のきらめき。  それらの印象深い光景と一体になった、あの夏の不思議な体験は、何だったのか…………? 「その謎を解いてみたい───────」  この想いが、いまの自分を動かすチカラになっている。  季節が七度変わり、あれから二度目の春が訪れた現在になっても強い印象として残り、自分の人生の目標を定めることになった『不思議なアイテム』と『あの体験』は、生涯、忘れられないものになるだろう───────。  そんな思い出にひたりながら、この春からの進学先となる高校時代の一年半を過ごした地に向かう新幹線の車窓を流れていく景色を眺める。時おり、気になる対象物を見つけては、その場所の一点を凝視していると、一瞬、時が止まったように感じられ、そんなことで、また、あの夏の経験を思い出してしまう感傷的な自分に苦笑する。  もっとも、これから新たに迎える学生生活は、その時、経験した奇妙で不可思議な出来事の謎を解明するために費やそうと決めているのだから、感傷にひたってしまうのも当然のことなのかも知れない。  いずれにしても、こうして希望に満ちた春を迎えることが出来た自分自身の努力を少しだけ褒めてあげたいと思いつつ、あらためて、これからの四年間の目的を思い返した。  この瞬間を永遠のものにしたい───────。  そう思えるくらい、悔いのない時間を過ごせるように。
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