アカハラ (地位優位性)

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アカハラ (地位優位性)

「駄目だめ! 全然書けていないっ。君さぁ、僕の話聞いてた? この論文で投稿しようとしているわけ? 僕の名前を汚すつもり? こんなの、論文とは言えないからね」  ジロリ、と金縁眼鏡の奥から細い目でこちらを睨む。  今日も指導教員の田野井(たのい)教授に怒鳴られる。もう十回目。  卒業論文を提出する度にくらうダメ出し。  自分の論文内容が気に入らないのは分かったけれど、具体的な指導がなく、どこをどう直せばいいのか分からない。 「(はなぶさ)くん、君、才能ないよね。研究、やめたら?」  田野井教授の叱責は続く。  そこへ、同じ院生の緑川(みどりかわ)さんが、田野井教授へコーヒーを淹れて持って来た。 「田野井先生、コーヒーお持ちしました」  田野井教授はフンッと鼻を鳴らした。 「緑川くん、君も気が利かないねぇ。今僕は、英くんに指導してるところなんだよ。まったく君は身なりだけじゃなく、言動全てが野暮ったい。他大学に移った先輩の園川教授の依頼じゃなければ、君なんて受け入れなかったのに。今は研究だけしてる地味女子の時代じゃないんだよ。君も女性ならさ、もっと綺麗になるスキルを高めた方がいいんじゃないの? 研究続けるよりもさ。まぁ、いいさ。来年になれば可愛い学部生から院生に上がってくる子がいるからね。このモサッとしてる研究室も少しはスタイリッシュになるだろ」  一息で言い放って田野井教授は緑川さんが淹れたコーヒーを一口飲んだ。 「相変わらず不味いね。コーヒー一つ美味しく入れられないなんて。研究はできない。身なりも野暮ったい。一体君たちは、何ならできるんだ? もういいっ。私は出かけるから。研究室をきれいに掃除してから帰り給え。」  田野井教授の叱責はいつもの事だ。  気に入らないことがあると、当たり散らす。  田野井研究室の院生は、自分と緑川さんだけ。  ここ数ヶ月、連日のように叱責。  論文の内容から、実験器具の収納位置の数センチのズレ。緑川さんに対する身なりの指摘、と言っても緑川さんは清潔好きで、とても小綺麗にしている。ピシッとしたシャツにパンツ、ジャケットというきっちりした出で立ち。指摘されることはないと思っているが、田野井教授の女性の好みがワンピースやスカートなのだろう。  田野井教授が可愛がっている女子学生は一様に、化粧ばっちり、甘い声で話すミニスカートやワンピース姿の華やかな女子たちだった。 「成績で判断しない、判断材料は個性です」  研究室紹介の一文に惹かれて、田野井研究室に入った。  個性的な研究が認められる。  心が浮き立った。  田野井研究室に入る手続きを取った。  ところが、実際はアカハラの嵐だった。   指導教授と言う立場を逆手に取り、研究を横取りする。気に入った、気に入らない女子学生にもセクハラを繰り返す。  5名いた田野井研究室の院生は、次々と退学していった。  残ったのは自分と、緑川さん。  二人共強く言えない大人しいタイプだったから、田野井教授にとっては都合のいい学生だったのだろう。(ことごと)く、就活を邪魔され、気づけば院生への道を進んでいた。  でも、もう限界かも知れない。  終わりにしてもいいかも知れない。  この腐った状況を。    田野井教授が出ていった研究室で、教授に放り投げられて散らばった自分の論文をしゃがんで拾い集めた。  そのまま論文を握りしめる。  グシャっと音がした。  そっと肩に手が置かれる。  顔を上げると緑川さんが悲しげな目をして、握りしめられた論文原稿を見ている。  
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