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幸せの白い箱
鶴羽優斗は、目が覚めると全く身に覚えがない場所にいた。
自宅では無い。ここは何処だ。昨夜は、六年勤める会社の飲み会があり、そのまま自宅で寝たはずだ。
よく見ると、周りは四方に真っ白な壁に囲まれ、一つのドアと大きなベッドしかない不気味な空間だった。
「なんだよこれ…」
「気がついたか?」
背後から話しかけられ、振り返るとそこには大学時代の同級生の亀井翔也が立っていた。
「ああ、え、ここどこだよ。」
「さぁな、俺もさっき目が覚めたらこの状況だよ。
しかも、俺らを閉じ込めた犯人はご丁寧にこんな紙まで用意している。悪趣味だな」
翔也は手に一枚の封筒を開封すると、中に入っていた一枚の紙を読み上げた。
「───セックスしないと出れない部屋─── 」
情報量の多さに、理解出来ず一瞬思考が止まった。
「え、なんかのAVかよ・・・」
「優斗が目覚める前に、この部屋を確認したけど、どこにも窓もないしドアも開かないし出れなかった」
にわかに信じ難く、優斗も部屋を隈無く確認したが翔也の言う通りだった。
「するしかないのか…」
「それは無いだろう」
翔也がひどく軽蔑的な目つきでこちらを見た。
「なんだよ、殺される訳じゃないんだし、ヤって逃がしてくれるならそれでいいだろ」
冷ややかな、意地の悪い微笑みを口元に浮かべながら、俺は何にもない事のように翔也に言い返した。
「なんで、そんな冷静で状況受け入れてんだよ」
「翔也こそ、なに生娘みたいなこと言ってんの。
俺ら初めてじゃないでしょ」
そうだ。翔也とは初めてでは無い。
だって、俺たちは約六年間付き合って、二年前に別れたんだから。
翔也との出会いは、大学の麻雀サークルの新歓で出会った。麻雀サークルと言っても、好きな時に集まって麻雀をするのはもちろん、各々好きなことをしたり、飲み会したりする自由な部だった。元々、サークルなんて入るつもりなんて無かったが、授業の過去問目当てで、友人と入部したのだった。
翔也の第一印象は、黒髪で切れ長の目のいかにも女ウケしそうなやつとしかなかった。
そんな中、2回目の飲み会で翔也に初めて声を掛けられた。
「お前のバッグについてるキーホルダーって、ボーク・スメールチだよな。俺もやってるんだよ」
「え、まじ?これ、中々やってる奴いなくてさ」
「だよな。マイナーなオンラインゲームだもんな」
ゲームの話で俺たちは、打ち解けた。それから、一緒に居ることも多くなり、周りからは“鶴羽優斗”と“亀井翔也”で“鶴亀”と呼ばれるようになった。話が合って、誰にでもフラットな翔也に惹かれていた優斗は、なんだか特別になれたような気がして嬉しかった。何より、「優斗」と俺を呼ぶ少年のような笑顔が好きだった。
大学二年生の春、翔也が実家から一人暮らしになると互いの家に行き来するようになり、より一層距離が近くなった。
ある真夏の夏休みのバイト終わりに、翔也の家でいつものようにゲームをしながら呑んでいると、ふと目が合った。何秒間、見つめ合って、そのまま吸い寄せられるようにキスをした。甘いファーストキスだった。
「優斗、好きだ。付き合って」
「うん・・・」
何となく、翔也から数ヶ月前から熱っぽい目線で見つめられていたことに薄々気がついていた。それは、先に自分が見つめていたからだろうか。
俺たちは、この日から付き合いはじめた。
翔也との日々は幸せだった。大学を卒業したと同時に、同棲をはじめた。しょうもないことで笑ったり、喧嘩したりした。喧嘩した時は、どちらかが折れて、互いの好物を買って仲直りするのが二人のルールになっていた。翔也が洗濯物にティッシュを入れて喧嘩になった夜は、ダンボールで俺の好きなあんみつを買ってきて仲直りした。あんみつを箱で買ってくる奴なんているんだと思って、本当に笑った。
そんな生活も二年前に翔也から終わりを告げられた。
「ごめん、優斗。別れてくれ」
「え…なんで」
「普通の結婚がしたい」
そう言われたら何も言えなかった。
俺にはどうしようもできない、残酷なことを言う。
だから、強がって別れたくないって縋り付かなかった。
それから、一年後大学時代の共通の友人から、『翔也が可愛い彼女と婚約するらしい』と聞いた時には、憎悪と羨望と嫉妬が混じり合ったどす黒いもので溢れた。そして、つい最近、結婚式を上げるらしいと聞いた。俺だけ、招待状が来ていなかった。送るわけないか、元彼に。
「さすがに、来月に結婚する新郎さんとはヤっちゃったらダメか。俺だけ、結婚式招待してくれなかったし」
嫌味ったらしく言った。
「それは、ごめん・・・。
でも、信じて貰えないと思うけど、優斗のことは愛してた。それは、今でも・・・」
消え入るような声だった。
「謝って欲しい訳じゃない。なんだよそれ、自分は可愛い可愛い彼女と結婚するくせに」
思わず涙が一筋、頬を伝って落ちた。
こんな嫌味ったらしい性格の悪いことを言いたかった訳じゃないのに。
ただ、俺は─── 。
「本当にごめん。許してなんて言わない。
全部、俺が弱くて、全部悪い。
結婚相手は本当に申し分ないし、穏やかな生活なんだ。何より、コソコソ隠れてなくていい、両親にも周りの人にも祝福して貰える関係なんだ。ずっと、俺はこれを望んでいたはずなのに、虚しくてひどく寂しい。俺が間違ってたんだ。ずっと優斗に会いたかった」
顔に悲痛の色を滲ませて呟いた。
自分から振っといて、自分勝手な男だ。
でも、本当は、気がついていた。
翔也の両親に俺との交際について、強く問い詰められていたこと。俺には上手く隠していたつもりだったかかもしれないが、ある肌を重ねた夜、隣でこっそりベットから抜け出す翔也を追ってリビングへ向かった時に『早く普通になってくれ』『気の間違いだ』という翔也の親の残酷な言葉が漏れ聞こえていた。
きっと、こういうことが何度もあったのだろう。
なのに、俺は見ない振りをした。向き合ってしまったら、俺はこの幸せを手放さないといけなくなるから。最終的に、翔也に言わせて、逃げた。
振られて憎んだのも、心が引きちぎれそうな痛みから逃れるため。
─── 俺も本当はもう一度会いたかった。
「どうして、俺たちこうなるんだろうな。
ごめんな、あの時お前が苦しんでたの知ってたのに、一緒に向き合わずに逃げて・・・」
堪えきれず、涙が溢れてた。
そうだ、あの時二人で一緒に考えてれば、未来は変わったのかな。今更、もう、遅いけど。
「ありがとう」
翔也が俺を強く抱き締めた。
「ずっと、ここにいようよ。しないと出れないんだったら、逆にヤらなかったらここにいれるってことだろう」
「ああ」
どうせ、現実に戻っても翔也の奥さん、両親、友達、色んな人を裏切って、悲しませる。
二人で一緒に居られない。だったら、戻りたくない。直接、肌で愛し合えなくても構わない。翔也と一緒に居られるなら。
俺たちは、肩をくっつけて寄り添った。
ずっと、ここにいよう。この、幸せの白い箱に。
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