失くさないよう大切に

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失くさないよう大切に

 回る赤色灯と共にアラート音がガンガン鳴り響く夢を視て彼は腕を振り上げた。音源である時計は頭上から彼の腕を逃れ、勝手に毛布の胸の上に着地する。重みに更に手を伸ばしながら、彼は、無機物であっても“気配”があるのはプログラムというかりそめであれど“有意識”かどうかに差が在るのかなどと切り込むような頭痛を差し置いて、想った。  目覚ましは自身で、彼の拳に込められたジュールを感知し、文字通り鳴りを潜めている。今はすべすべした、単なる白い珠だ。うっすら目を開けた彼の視界にあわせ天井に蛍光文字で現在時刻を投影している以外は。  彼は自然の植物、その自然に生える姿をデジタルでしか見たことが無い。  これ以上モタモタしていると覚醒薬を注入されてしまう、仕方なしに起き上がる。時計そのもの・起き抜けの珈琲一杯・食堂で個別管理され自動で供される食事。食餌か。無論全てが個人データに記録される。  それは鎮静安定剤等も同様で、それで何がどうなったという具体例は未だ見たことすら無いが、噂では職掌異動のほかクレジットを減らされるらしい。あくまで噂だが。現代はヒマをいかにして潰すかが重要課題で、それにはクレジットが要る。  仕事が日にたった三時間以内という規定は彼が産まれる前からあった。テクノロジィが発達し一次産業ですら人手を必要としなくなった現在、人間の生殖本能は衰え切りアタマ数が減った。減っても何ら支障は社会に及ばなかった。管理され尽くしていたから。とはいえしかし、ヒトは、人がヒト足り得る事の一部に“仕事”を残した。学習することも。寝ている間に勝手にあらゆる知識をも脳に刷り込める技術があるのに。  単に“適性”振り分けで軍階級を持つ彼は、前頭の痛みをモニタされていないのを願いながら機械的に食事を摂り立哨に向った。痛ければ、考えない。余計なことを考えず済む。軍なんてお飾りだ。仕事を造る為のシステムの一。いったい誰がこの世界で叛乱だの暴動だの物騒なことをやらかすというんだ? たまたまアジテートするバグった奴がいたって誰もついてきやしない。  バグで思い出した。今日は午後から心理管理官のカウンセリングだった。二週に一度義務付けられている。鬱陶しい。変わり映えしない日々を根堀り葉堀り訊かれるのだ。それをモニタ記録とつき合わせてバグがないか診る。――何て答えればいい? 痛みすら愉しむ要素とするような毎日で。  部屋に戻り着替えて外出した。虹彩照合と外出カード。ひとつ誰かに仕事を作れたかも知れない。  夜のシフトを選ぶ位の自由はあった。既に夜半をとうに過ぎ朝に近い時刻ではあったが、空気はしっとりと闇を含み市街は充分明るかった。それが彼は好きだった。  ビルの間を結ぶチューブを見上げれば、その片側のビル中腹に胴が長くヒレの小さい古代魚のホロが大きくゆったりと通過する。一瞬消え、次には反対の高層建築に現れて群れていたメダカを数匹、ぱくりと呑み込んだ。  ああいう“仕事”なら考えに倦まずに済んだろう、いや、それも瞬間のひらめきみたいなものをモニタがデジタルプログラミングするだけかもな……動かないだけ損か。    ――そう茫漠と思い巡らせながらブラブラと歩いた。まだ少し頭が痛む。  流石にひと気は少なく、だが一定年齢以上に赦される範囲内での娯楽場や飲食店付近は、ある程度の喧騒めいた感覚があった。歩く。  石畳を模した樹脂の広場に辿り着く。噴水があり、昼間はオートで放たれた鳩が群れベンチには老人が陽光から生命源を戴くかのごとく(酸化作用、逆なのに!)居座り、子供を連れた母親(珍しい人種だ)がお喋りでせっせと時を消費する所。  そして……噴水の止まった今は良く見える、街のひかりをそのドームに集め輝くネット機構解除のキィが。  中には、ささったままの、本物の鍵。金属で出来たそれを回すだけでこの世界の凡てのデジタルシステムが機能停止する。どの街にも同様にあるというそれは回した者が居ないから真偽は不明。こんな場所に設置した古人の、社会の、システムそのものの意図が彼には分からない。誰にも解からない。 『濡れるな……』  想ったのは至極自然だった。いつもそう思うし、噴出する水は止まっていても溝には溜まったままで物理的に濡れるのだ。あそこによじ登り透明半球のフタを開けるか叩き割るかして鍵を回そうとすれば、だが。  溝の縁に片足を掛けた彼は、冷たい感触に口を開けたまま振り仰いだ。雨、だった。次回の雨は確かまだ先の筈だったような気がする……。  全身を叩く激しく僅かに苦い雨はすぐに止み、反対の足をぬるい水から引き抜いた。帰って寝ようと背を向ける。再び歩き出した。  午後の診察の前に、あの白い珠に何かペイントしてやろうと思いながら。もう、頭は痛くなかった。                                                          了
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