第3話

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第3話

 自宅アパートは歩いて二十分ほどの住宅街にある。その一階角部屋の自室ドアを目にして、初めてリョウのことを思い出した。それでドア脇のポストの中を探る。だが近所のピザ屋と保険のチラシが入っているだけで鍵が見当たらない。  これは困ったぞと思いながらドアノブを引くと、難なく開いた。入るとすぐに小さなキッチンだが、明かりが灯っている。自分かリョウが消し忘れたのかと思ったが直後にそうでないことを悟った。室内で気配がしたのだ。  リビングのドアは閉められているが隙間から細く明かりが洩れている。そっと靴を脱いで上がった。  キッチンを縦断してリビングのドアを開ける。狭いリビングはTVとTVボード、二人掛けソファとロウテーブルがあるだけでいっぱいだ。その二人掛けソファにリョウは腰掛けてTVを視ていたが、マユキを見ると嬉しそうな顔をして立ち上がる。 「おかえり。遅かったじゃない」 「遅くても早くてもお前には関係ねぇだろ。何で出て行かねぇんだよ?」 「関係あるよ、せっかくご飯も作っておいたんだから。ちょっと待っててね」 「ちょ、待て、人の話を――」  聞く耳も持たず軽い足取りでリョウはキッチンへと消えた。あとを追ったマユキの前で、何処から手に入れたのかリョウはベージュのエプロンを身に着け、いそいそと鍋を温め始める。香ばしくも旨そうな匂いが充満するまで僅かだった。  半ば唖然としてリョウの背をマユキは眺めた。  クリーム色のドレスシャツと黒に近いブラウンのスラックスで身を包んでいる。身長はマユキと殆ど変わらないが、躰はいかにも細く薄かった。色素の薄い髪は襟足で跳ねていて縛れば短いしっぽができそうな長さだ。  そう思った瞬間、さらさらとした髪の感触がマユキの手に甦り、ふるふるとアタマを振って記憶を追い出した。  考えを巡らせつつ寝室に赴いて部屋着に着替えライティングチェストの引き出しに腰道具の着いたままの帯革を放り込む。洗面所で手を洗ってキッチンに戻ると食器棚からグラスを出して冷蔵庫のミネラルウォーターを注いだ。  一杯やりたいところだったが事件がいつ新展開を迎えて非常呼集が掛かるとも限らない。ここは水で我慢だ。  その間にも油が爆ぜる音がして更に香ばしい匂いが室内に漂い始める。 「もうサ、調理器具すらまともにないんだもん、苦労しちゃったよ」 「苦労せずに出て行きゃいいじゃねぇか」 「だって朝ご飯も食べなくて昼は外食でしょ。せめて夜くらいは美味しいモノを食べさせてあげたいじゃない、夫になる人にはサ」  思わず水を吹きそうになるのを堪え、リョウの横顔を凝視する。見られてリョウは首を傾げた。 「ああ、まだこの世界、この国では同性結婚が認められていないんだっけ?」 「……お前、日本人だろ?」 「元は地球(テラ)連邦星系人だけど、スカウトされて今は四十世紀後の時空警察の――」 「あああ、勘弁してくれよ。宇宙人だって言い張るんだな?」 「宇宙人ねえ……まあ、いいけどサ。さあ、できた。どっちで食べるの?」  エアコンの良く利くリビングに移ることにして出来上がった料理の皿を運ぶ。腹ペコな上に正直言って旨そうな料理を前にしてマユキも手伝うのにやぶさかではない。  ロウテーブルに並んだメニューはロールキャベツと一口カツにコールスローサラダ、野菜たっぷりの味噌汁にご飯だった。  ナニかがおかしいと思いながらも行儀良く手を合わせ、二人で食事を始めた。見た目通りに料理はどれも旨く、マユキは箸を進めながら何気なくリョウに訊く。 「昨日の俺って三時頃には帰ってきたんだよな?」 「そうだね。あんまり遅くて心配しちゃったよ」 「じゃあ、お前は先にこの部屋にいたってことだよな?」 「そういうコトになるね」 「なら食ったあとでいい、住居不法侵入で緊逮だな。空き巣で盗犯係に引き渡しだ」  緊逮は緊急逮捕のことだ。盗犯係はデスクを並べる同輩である。 「酷い、貴方を待ってただけなのに。僕は時空警察の刑事、張り込みと一緒だよ」 「ふざけるのもいい加減にしろよ。それだと俺はお前と、その……アレだ。ナニをしてないことになるじゃねぇか。嘘つくんじゃねぇって」 「嘘じゃないもんね。僕の側の時間軸ではマユキ、貴方は三時前に帰ってきて確かに僕を抱いた。マユキの側の時間軸とは多少ズレてるかも知れないけどさ」  そこでマユキは今朝リョウが言っていたことを思い出す。 「宇宙規模の大災厄とやらを俺の子孫が起こすのを防ぐために、お前は未来からやってきた。そう言い張るんだな?」 「へえ、ちゃんと聞いてたんだ。僕は僕の一生を懸けてこの任務に立候補したんだからね」 「俺のカミさんにでもなって、子供を作らせないようにするってか?」 「さすが刑事だね。いい勘してるじゃない。その通りだよ」  半ば冗談で言ったのに大真面目に頷かれマユキは内心嘆息する。  これは署の留置場よりも病院に連れて行った方がいいのかも知れない。男であってもこれだけの美人が可哀相に、家族も心配しているだろう。 「けどさ、明日から俺、帳場なんだよな」 「あ、それニュースでやってたよ。臨海地の倉庫街で射殺ってヤツでしょ?」 「ああ。家に送ってやるなら今晩しかねぇからさ、住所は何処だ?」 「時空警察本部は内緒。でもウチならグリーズ星系、ここからワープ三回で……考えたこともなかったけど、何千光年離れてるんだろ?」  考え込むリョウに、マユキはいよいよ気の毒になって溜息をついた。  綺麗に食してしまうと男二人で後片付けをし、インスタントコーヒーを淹れて暫し緩んだ。その間にTVニュースで射殺事件を報じているのを眺める。  そうしながらもずっとリョウの処遇を考えていたが、取り敢えず自分が非番になるまでは好きにさせておくしかないと思い始めていた。女性ならば内心嬉しいものの倫理的に放置はできなかったが、幸い男で気を遣う必要もない。着替えなどは貸してやれば済む。  食材を買ってきたことからも、そうカネに不自由していないのは分かっていた。パソコンと一緒に明日消えていても驚かないが、そうでなくとも飽きれば勝手に出て行くだろう。それまで自分はソファで寝ればいいことだ。  寝ると考えたら欠伸が出た。昨夜も午前様だったのだ。 「ふあーあ。すまんが先に風呂、入るぞ」 「どうぞ、ごゆっくり」  部屋着を脱いでバスルームに入る。熱いシャワーを浴びながらユニットバスの浴槽に湯を溜めた。全身を洗いシャワーで泡を流しているとドアが開いてギョッとする。  するりと入り込んできたリョウは当然ながら衣服を身に着けてはおらず、そのまま素肌をマユキの背に押しつけた。マユキは狭い洗い場で進退窮まり身を硬直させる。 「ナニすんだよっ!」 「そんなコト、訊かないでよ。照れるじゃない」 「照れるな、出て行け!」 「やだっ! ほら、貴方だってもうここが……あれ?」 「ソコに触るな! 離せって……あっ、くっ!」  何故か覚えていない昨夜のことはいざ知らず、ストレート性癖の二十四年間を護らんと、マユキは必死になって身を捩った。男二人で手と手の攻防を繰り広げる。だが狭すぎるのと驚きで思考が空転し身についた逮捕術も出てこない。そして下ばかりに気を取られている間に一歩、二歩と後退し、頬に柔らかなものを押しつけられた。  それがリョウの唇だと気づいたときには、焦りのあまりに泡で足を滑らせている。世界が回転した次には頭から湯船の中に転倒していた。 「わあっ、マユキ、大丈夫!?」  情けなくも泳げないマユキは大パニックとなり、小さな湯船からリョウに助け上げられる。 「くそう……ざけんじゃねぇぞ、コラ」  本気の怒りを込めた低い声には大概のホシが落ちる筈だった。しかしそれも素っ裸で浴槽のふちに座って発したのでは本来の効果を発揮できなかった。  案の定、リョウは喜色満面でマユキを見つめると、 「やっぱりこっちは寒ーい!」  などと言いながら、そそくさと湯船に身を沈める。その左手首にガンブルーの腕輪が嵌ったままなのを何となくマユキは目に留めた。 「それ、外さないのかよ?」 「あ、これね。リモータっていうんだけど、元いた世界ではマルチコミュニケータで携帯コンで財布でもあるんだよ。濡れても大丈夫だし、任務が終わるまでは嵌めておかないと時空警察本部で僕のことをモニタ不可能になっちゃうから」 「……そうか」  もう本当に疲れた気分で肩を落としていると、リョウが性懲りもなく手を伸ばしてくる。避けることはできたがマユキは避けなかった。ある意味、悟りの境地に達していた。
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