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第5話
仕方なく抱き上げて湯船の中に座らせてやる。熱い湯も足してやった。
「お世話かけます」
「宇宙人用の風邪薬は売ってねぇからな」
「でも僕は風邪引かないよ。色んな過去を渡り歩くから免疫チップ埋めてるもん」
「へーへー、そうですか」
軽く流されてリョウは白い頬を膨らませ、唇を尖らせる。
一方マユキは嘘や妄想というよりホラ話に付き合う気分だった。
頃合いを見計らってリョウを湯船から引っ張り出す。横抱きにしてバスルームを出るとリョウを座らせておき、バスタオルで濡れた髪から全身を拭ってやった。自分は適当に拭き、部屋着を身に着けてから再びリョウを抱き上げる。
本当なら男を抱き上げるなどポリシーに反するのだが、言い訳できないコトをやらかしたのだ。丁寧にベッドまで運んで寝かせパジャマと新しい下着を置いてやった。
キッチンに出向いて冷蔵庫からスポーツドリンクのペットボトルを出すと、まずは自分が口をつけて半分ほどを一気に飲み干す。寝室に戻って何とか上体を起こしたリョウにボトルを突きつけた。素直にリョウは残りを一気飲みし、またパタリとベッドに沈む。
「朝は冷えるからな、動けるようになったら服を着ることをお勧めする」
言い残して押し入れから毛布の予備を手にするとリビングに向かおうとした。その部屋着の裾をリョウが掴む。振り払おうとするも、くっついて取れない。
「離せよ、帳場に遅刻は拙いんだって」
「髪だってまだ濡れてるし、あったかくしないとマユキこそ風邪引いちゃうよ?」
「嫌だ、向こうで寝る」
「あんなコトまでしたのに照れなくてもいいでしょ。一緒に寝ようよ」
「嫌だっつってるだろ!」
「ンな、子供みたいに駄々こねてないで。誰に言う訳でもないんだからサ」
その笑顔と科白の中に、暗に「誰かに言うぞ」という脅しめいた響きが混じっているような気がして、ぞっとしたマユキはリョウを見返した。今現在彼女の一人もいないのは情けないまでの事実だが、だからといって男に手を出したことが周囲に知られれば……とにかく近い将来に於いて、非常に宜しくない事態が待ち受けているのは確実だ。
暗い顔つきをしたマユキにリョウは唇を尖らせる。
「いいじゃない、今どきゲイだのバイだので騒ぐ方がおかしいって」
「俺は完全なるストレートだ!」
「そんな大声、アパート中に聞こえるよ。あ、でもバスルームのアレも聞かれちゃったかも」
「……分かった、ここで寝る」
二階建てアパートの上階には離婚したばかりの坂本主任が入居している。坂本主任は今晩の聞き込み組だ、きっと出掛けているに違いないと、無理矢理自分を納得させたマユキは手にしていた毛布を押し入れに仕舞い、天井のライトから下がったヒモを引っ張って常夜灯にすると黙ってベッドに横になった。
ベッドは前の入居者から受け継いだベッドはセミダブル、だがマユキは寝返りを打ったら落っこちそうな端に寄り、リョウに背を向けて毛布を引っ張り上げる。
様々な物事が脳裏に渦巻いていたが、いつでも何処でも眠れるのは刑事の特技だ。目を瞑るとすぐに眠気が押し寄せてきて、三分後には寝息を立てていた。
◇◇◇◇
妙にいい匂いがして目を覚ますと六時半だった。七時間ほども眠った計算で、すっきりした気分で身を起こす。寒くなくエアコンが利いていて、リョウの存在を思い出した。
ベッドに腰掛けて一服し、着替えを済ませてキッチンに行くと、マユキのパジャマを着てベージュのエプロンをしたリョウが調理台に向かったままで迎えた。
「おはよう、マユキ。寝ぐせが酷いよ?」
「濡らせば直る……ゲホゴホッ」
「何それ、貴方もしかして風邪引いたんじゃないの?」
「ゲホゲホ、何でもねぇよ。んで、それは何だ?」
鍋の中身を見せて貰うとコーンスープが出来上がっていた。優しい香りに何だかホッとさせられる。他にも香ばしい匂いが漂っていてオーブントースターを覗くとピザトーストがふつふつとチーズを焦がしていた。
「あとはコーヒーと野菜サラダだけど、マヨネーズとドレッシング、どっち?」
「マヨネーズでいい、ゲホッ」
五分後にはキッチンのテーブルでリョウと向かい合い、ピザトーストに噛みついていた。スープのおかわりを要求してマユキは宣言する。
「今日から帳場入りだからな。遅くなるか帰ってこねぇかのどっちかだぞ」
「そっか。でも『出て行け』とは言わないんだね」
「やるだけやって放り出すのも気が引けるだけだ。非番になるまでは置いてやる」
「じゃあ、ずっと帳場ならずっといてもいいってことだよね? お宮入りすればいいのに」
「阿呆、不吉なことを言うんじゃねぇよ。大体、未来からきた宇宙人なんだろ、お前は。射殺犯が誰かくらい分からねぇのかよ?」
唸るように訊いたがリョウは薄く笑いを浮かべて肩を竦めたのみだ。
「ふん。役に立たねぇ時空警察だな」
「貴方の場合はともかくとして過去を変えることは御法度なんだよ。タイムトラベラー犯罪を追うのが時空警察の本来の仕事だからね」
「へえ。タイムトラベルなんてSFの世界だけかと思ってたぜ」
「縄文人が人工衛星の打ち上げを見ても、似たような感想を抱くと思うよ」
「宇宙人にとって俺たちは縄文人も同然か。……ごちそうさん」
刑事の早食いでさっさとプレートを綺麗にし、席を立つとリビングの二人掛けソファで煙草を吸いながらTVのニュースを流し視る。射殺事件も取り上げていたがマル害、つまり被害者の身元もまだ割れていないことを報じていた。主任らの苦労も報われなかったようだ。
そこに片付けものを終えたリョウがやってきてマユキの煙草に柳眉をひそめた。
「さっきまで咳してた風邪引き患者が煙草なんて……まだこの時代の煙草ってニコチンとかタールとかが入ってて有害なんでしょ?」
「未来の煙草は無害だってか?」
「うん。ただ企業努力として依存物質は含まれてるけどね」
「なるほど。……おっと、七時半か。帳場だし早出するかな」
「そっか……じゃあ携帯のナンバ教えてよ。これに登録するから」
と、ぶかぶかのパジャマの左袖を捲る。リモータとかいう幅広の腕輪についたボタンを操作すると驚いたことに宙を裂くようにして白っぽいキィボードが現れた。思わずマユキは手を伸ばす。だが触った筈のキィボードは感触がなく、手が突き抜ける。
「何だこれ……ホログラムか?」
「そう。で、携帯ナンバは?」
数字の羅列を告げるとリョウはホロキィボードに指を滑らせ、キィを叩いて打ち込んだ。更に何かの操作をすると次にはもうキィボードは消えている。半ば呆然として見ていたマユキだったが頭を振って立ち上がった。寝室に向かう。
ライティングチェストの引き出しを開け腰道具の着いた帯革を腰に巻いて締める。ダッフルコートを羽織りポケットに手錠を入れた。そこで使い捨てライターのガスが少なくなっていたのを思いだし、予備が仕舞ってある隣の引き出しを開ける。
中には雑多な小物とライターの他、見覚えのないホルスタが仕舞われていた。
途端に鼓動が跳ね上がったが声は出さず、静かにホルスタを手にしてみる。ずっしりと重い銃が入っていて、抜いてみると自分たちが射撃検定等で持たされるリボルバのスミス&ウェッソンM360Jサクラより大型で、何よりセミ・オートだった。
扱い方をまるで知らない訳でもなく、そっとマガジンキャッチを押してマガジンを抜き、弾丸を確かめてみる。薬莢を煌めかせているのは四十五口径オート・コルト・ピストル弾だ。と、物音がして慌ててマガジンを銃に戻し、ホルスタに入れて元通りに引き出しの奥に仕舞う。
「――ねえ、時間がイレギュラーになるなら合鍵が欲しいんだけど」
「あ、ああ。渡したヤツを使ってていい。俺は署に合鍵があるからな」
応えながらも胸の鼓動は激しいままだった。
勿論マユキの脳裏には四十五口径ACP弾で眉間をぶち抜かれた男が浮かんでいた。
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