第6話

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第6話

 見送りのキスを求めるリョウを引き剥がし、約二十分歩いて辿り着いた白崎警察署のデカ部屋では既に第二班員の殆どが出勤していた。  デスクに着いて泥水を啜り煙草を吸っていると、岩崎課長と話し込んでいた石橋係長が振り向いて、全員揃ったのを見取ると大声を張り上げる。 「帳場だ、帳場! 強行犯係は全員九時に捜一大会議室だぞ!」  分かり切っていたことながら、うんざりした空気が漂い、あちこちで溜息が洩れた。マユキの隣では中山が肩を落として一際、凹んだ顔つきをしている。 「おい、中山お前、カミさんは?」 「今日中に実家の方に帰る予定っス。もう結構、身動きが取れないっスから」 「そうか、仕方ねぇよな」 「独身時代に逆戻りっスよ。マユキ先輩、メシとか一緒にどうっスかね?」 「あー、メシか」  と、マユキはリョウを思い出し、 「まあ、タイミングが合えばな」  そんな雑談をしているうちに人員が移動を始め、マユキと中山も席を立った。  捜一は五階、体力温存で階段ではなくエレベーターを使う。廊下を歩いて辿り着いた大会議室のドア脇には通称戒名と呼ばれる帳場名を印刷した紙が貼ってあった。今回は『臨海地身元不明者射殺事件捜査本部』と、随分長ったらしい。  室内に入ると長机がひしめくように並んだ中、バディの坂本主任を見つけた中山と分かれたマユキはさっさと一番後ろの席を確保する。隣に腰掛けた捜一の警部補とダベっている間に雛壇に設置されたデスクには、県警本部から来た管理官に白崎警察署長といった面子が臨場していた。  やがて仕切りの刑事課長が大声を上げる。 「静かに、静かにしろ! 総員起立! 敬礼!」  こうして帳場の第一回捜査会議は始まったが聞き込みの成果はゼロ、マル害の身元も未だ不明では、この上なく不景気なスタートと云う他なかった。  だるいだけの会議にマユキは薄く目を瞑り、聴覚のみで参加だ。だが鑑識の報告中に『マル害は幅広の腕輪を装着し』というのを耳に留めて目を見開く。  大モニタに映し出されたのは間違いない、リョウが言うところのリモータだった。  食い入るように見つめたその色はガンブルーではなくシルバーだったが大きさ・形はそっくりである。押せばホログラムのキィボードが飛び出すボタンもついていた。 「えー、特殊な形状をしたこの腕輪ですが、今のところ販売元も確認できず……」 「……可動部はありますが動作させても付属した小さな画面に何も表示されず」 「何らかの電力不足も考えられますが分解しても内部は過熱で融解しており……」 「……科捜研に解析を依頼しましたが、分析結果は未だ出ず――」  鑑識の報告が終わるとマユキは過剰に入っていた肩の力を抜いて考えた。  宇宙人、いや、未来の時空警察刑事というリョウの言い分が本当なら、もしかしてマル害も未来人ではないのか。それなら身元を幾ら辿っても出てこない理由がつく。  そしてリョウの隠し持っていた四十五口径の銃……やはりマル被はリョウなのではないか。悪事を働いたタイムトラベラーをリョウは警官として撃った――。  予断は禁物、それなのに推理どころか妄想の域まで思考が広がってしまい、独り黙って苦笑する。こんなことを言い出したらオツムを疑われて自分が病院に直行だ。  だが手にした四十五口径セミオートの重みが蘇る。間違いなくあれは本物だった。 「――先輩、マユキ先輩!」 「ん、ああ、どうした中山?」 「どうしたって、会議は終わったっスよ。機捜は範囲を広げてまた聞き込みっス」 「だろうな……ゲホゲホッ!」 「何です先輩、風邪っスか?」  中山の大声を聞いて大会議室に残っていた人員が一斉にこちらを向く。その視線は忌まわしいモノでも見るようだった。帳場のさなかに風邪など持ち込むとは言語道断である。うつされたら敵わない。中山までもが一歩退いて身を仰け反らせた。 「風邪なんかじゃ……は、ハックシュン!」 「誰が風邪だってか?」  煙草と灰皿を手にした石橋主任がやってきて低い声を出す。 「馬鹿野郎、マユキ。てめぇは帰って寝てろ!」 「いえ、大丈夫、です、ゲホッ」 「……ふん。地取り、てめぇは風邪が治るまで単独だな。うつしたら殺すぞ」 「はい、すんません……ゴホッ、ずびび」  地取りとは聞き込みのこと、それに一人で当たれということだった。気は滅入るが、代わりに単独なら時間の融通も利く。外回りの聞き込みなら尚更だ。  皆がさっさと大会議室から出て行くのを待ち、連絡員の数名だけになってからマユキは大会議室を出る。鼻水を啜りながらエレベーターで一階へ。機捜のデカ部屋に戻り、自分のデスクを見るとマップに蛍光ペンで聞き込み担当エリアを示したプリントが置かれていた。  在署番を務める第三班の人員が深夜番を賭けたカードゲームで盛り上がる中、岩崎課長の視線を少々気にしながら煙草を咥えた。ノートパソコンを起動して車両使用許可申請を出す。一本が灰になる頃に署内メールで車両使用許可が下りた。  ダッフルコートを着て紙コップに淹れた泥水を熱いまま一気飲みし、受令機のイヤフォンを左耳に突っ込んでデカ部屋を出る。そのまま署のエントランスを抜けた。  腹の底から温めたにも関わらず真冬の寒風は痛いくらいだった。空もどんよりと重たげな灰色で今にも何か降り出しそうな気配だ。ダッフルコートは着ているが袖や襟からあっという間に温かな空気が攫われてゆく。身を縮めながら裏の駐車場まで駆け足で移動、使用許可の下りた覆面パトカーに乗り込んだ。  ヒータを全開にして運転すること二十分、割り当てられた聞き込みエリアに着く。そこも倉庫街だったが、この辺りは小さな物置のような倉庫ばかりが密集していて、見渡すに人の気配はなかった。ここでも自分は隔離されたらしいと思いながら車を降りる。  ロックしておいて小型倉庫を覗いて回ったが出会えたのは野良猫三匹だけだった。  一巡りしたのちに時計を見るともう十五時過ぎ、だが食欲はなく車で自販機のある場所まで戻る。ホットの缶コーヒーを手に入れて一息ついた。  今どきは何処も厳しく車内禁煙である。仕方なく外に出てポケットから吸い殻パックを出して煙草に火を点けた。煙で固めておかないと鼻水と一緒に脳ミソが流れていきそうだった。  一本で我慢してまた割り当てエリアに戻る。時間の融通が利く、つまり多少サボってもバレないのだが、意地のように小さな倉庫の間の小径を歩き続けた。  お陰で二巡目になってようやく人間と出会う。作業服を着た男二人は貯木場関連会社の社員で、けれど一通りの聴取をするも一ヶ月に一度だけこの付近の海に浮かべた丸太の保存状態を確認しにくる彼らからは何も聞き出すことはできなかった。  逆に事件について質問攻めに遭う始末で時間潰しの役には立ったが、それだけだ。  彼らと共に海際まで歩き、海面が殆ど見えないくらいに並べて浮かせた材木用の丸太を眺めた。中には直径一メートルはありそうな丸太もあり、それらの上で羽根を休めるカモメがいたりして、ぼんやりと見ている分には面白い風景だった。  夕方も十七時近くになって受令機に『臨海地の地取り組は一旦撤収』が入る。  時間的に少々混んでいて三十分近くかけて署に辿り着いた。 「おう、風邪引き男。戦果はあったんかい?」 「ゲホッ……いえ。係長たちはどうでしたか?」  大仰に肩を竦めた石橋警部補は煙草を咥えマユキに火を要求した。マユキは自分も一本咥えると、同じく哀れな依存症患者の会を形成する五人分の煙草に火を点ける。その間に一番ぺーぺーの中山が全員分の泥水の紙コップを確保して配った。 「ここまで何もねぇのは珍しい、逆に言えばそいつが不審なんだがな」  主任の言葉に中山たちも浮かない顔で頷いている。 「マル害の似顔絵をマスコミに流したって話だ。そいつでヒットするのを期待ってとこだな」 「ああ、こいつですか」  デスク上に伏せて置かれた紙切れを捲ると、何処といって特徴のない中年男の顔が鉛筆で描かれていた。もう一枚あって、そちらには男の衣服のカラー写真がプリントされている。皆で覗き込んだのち、主任が声を張り上げた。 「あとはまた夜だな。昨日逃れた奴、挙手!」  黙ってマユキも手を挙げる。 「深夜勤務、ご苦労。今晩の予報は雪だ、覚悟して地取りに当たってくれ」  第二班員の半数が溜息をつき、デカ部屋を出て行く者とパイプ椅子を連ねてベッドをこさえる者に分かれた。パイプ椅子組は家が遠い者たちでこのあと七階の食堂に繰り出すか、署外のファミレスに行くかで相談を始める。  マユキは煙草を消すと空の紙コップを捻ってダストボックスに放り込み、また駐車場に走って車に乗った。あまりに情報が少ないために却って今回の帳場はのんびりとした雰囲気だ。こうして自宅に帰って二、三時間でも仮眠が取れるのは有難い。  だがこの緩い空気も時間が経てばキリキリと張り詰めてゆくのだ。無能な警察はマスコミに叩かれ、上層部は針のムシロに座らされて皆、目の色が違ってくる。ちょっとしたことで捜査員同士の諍いが起こり、ときには掴み合いの喧嘩にまで発展することも少なくない。  そこまで行かずにマル被を挙げたい思いを皆が抱え、サボりもせずに夜中でも歩くのだ。  アパートまで車なら五分、すぐ傍の空き地に駐めて降りるとロックする。  自室はまた鍵が掛かっておらず、ドアノブを引くなりリョウが微笑んで出迎えた。
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