第3話

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第3話

 歯列を割りコウの柔らかな舌に結城は舌を絡ませる。唾液をすくい取るように幾度も吸って、舌先を甘噛みしてもコウは抵抗しなかった。それだけでなくコウが感じているのも伝わっている。  密着した躰の僅かな変化に結城は気づいて、膝を震わせる細い躰を抱き締め支えた。  それでも拒否するのは簡単だっただろうが、コウはされるがままだった。  唇を離し、すみれ色の瞳を超至近距離で覗き込む。コウは真顔で見返してきた。 「男と経験、あるか?」  真っ直ぐに訊く。コウは真顔のままで答えた。 「ありません」 「そうか。すまなかった」  言った途端に痛烈な平手打ちを食らう。幾ら細くても男、おまけにそれなりに訓練されているのだ。不意を突かれて結城は身を揺らがせる。そこに更に膝蹴りを食らわされた。まともに腹に貰って思い切り咳き込み、冗談抜きで涙が滲む。 「ゲホゲホ、ゴホッ! 悪かった、ゲホッ、本当に――」 「『すまない』って何ですか! 最初から下心で僕に目をつけてたんですか!」 「ちがっ、違う……違わないが、違う!」 「連邦標準語で喋って下さい!」 「ゲホッ……あんたが、宙艦の窓に映ったあんたの目が、俺と同じだったからだ」 「何なんですかっ、それは!」  階級を意識した丁寧語は変わらないが、とっくに被った猫を脱ぎ捨てて地でいくことにしたらしいコウに結城は内心溜息をついていた。  待ち焦がれた雪どけが来て真っ先に咲いた花のような明るい色の瞳をしているクセに、何処とも知れない深淵を覗き込むような昏い目をしているのが気になり勝手に同室にまでしたのだが、余計なお世話だったらしい。 「大事なものでも失くしたのかと思ったんだが……」 「それと貴方が僕を抱くのと何か関係があるんですか?」 「いっときでも、互いに埋められればいいと思った」 「人を勝手に穴埋めしないで下さい。食事、当然、貴方の奢りですからね!」 ◇◇◇◇  この宙港ホテルで一番格式高いレストランで食事をしたのち、ビビるのを通り越し呆れるほどの額をリモータリンクでレジに支払った結城は、売店でドラール星系産の輸入煙草を仕入れると四五〇七号室に戻った。コウが素直に同室に入ったので少々ホッとする。 「さてと。先にリフレッシャ、いいですか?」 「ああ、ゆっくりしてきてくれ」  ショルダーバッグから着替えを出してバスルームに消えるコウの背を見送り結城は煙草を咥えて使い捨てライターで火を点けた。深々と吸い込んで紫煙を吐く。煙草からニコチン・タールの害が消えて久しいが企業努力として依存物質は含まれている。  二本目を吸いながらルームサーヴィスでウィスキーのボトルを頼んだ。どうせこの分だと宿泊費も全て自分持ちだ。それに独り身ではもう大して使い道もない。  結構な上物を飲みながらソファのひとつに腰掛け、同期させたリモータでTVを点けた。天井近くの中空に3Dホロ画面が浮かび上がる。習い性としてニュース検索してはみたが、ここの警察は優秀なのか事件という事件はなかった。  そんなものを目に映していると、自然と心は逝ってしまったバディに移っている。  誰よりも背を預けられる奴だった。そういった仕事上だけでなく、心をも預け合った、何もかもを共有し合った奴だったのだ。未だにあいつがこの世から消えたとは信じられない。  いい歳した男が泣き喚くこともできず喉に詰まった熱い塊を震わせては吐き出す。  こうしていればいつかは熱い塊も薄らぎ、消えてなくなるのだろうか。  行きずりの他星系の刑事などという男に声をかけたのは本当に自分と同じ目をしていたからだった。けれど同宿まで思いついたのは、ほんの気まぐれでしかない。今の時代でゲイだのバイだのと騒ぐ馬鹿はいない。  向こうにその気があれば抱き、その気がなければ少し休んでドラール星系便にさっさと乗る。その程度の気持ちだった。  だがその代償が赤く腫れた頬と腹の青アザだ。普段の自分だったらここまで簡単に二撃も貰うことはなかった筈だが、そんなに油断していたのか。部屋の定位置にあったファーストエイドキットの消炎剤は吹きかけたが、不名誉の負傷は明らかで情けないことこの上ない。 「リフレッシャ、お先にすみません」  声を張り上げながらジーンズに綿のシャツを身に着けたコウが出てくる。歳は訊いていないが眩しいほどに若い、まるきり少年のような出で立ちだ。 「結城さん、着替えは持ってないんでしょう? 一緒に洗濯しますからリフレッシャ浴びちゃって下さい。放り込んでスイッチ入れて貰えたら、あとは任せられてあげますから」 「有難い、ならそうさせて貰うか」  水の貴重な惑星育ちらしく申し出たコウの厚意を受け、結城は煙草を消してバスルームに向かう。脱衣所にしつらえられたダートレス、いわゆる洗濯乾燥機にドレスシャツと下着類を放り込んでフタを閉め、スイッチを入れてリフレッシャを浴びた。  生温い洗浄液を黒髪から浴び、全身を泡立ててから熱い湯に切り替える。泡を流しきるとバスルームをドライモードにして躰を乾かした。  バスルームを出てホテルのガウンを身に着ける。部屋に出て行くなり指摘された。 「髪、乾いてないですよ、結城さん」 「寝るまでには乾くからいい」 「ボトル入れておいて、寝る気があるんですかね」  訊くでもなく言いながらコウはダートレスから乾いた衣服を取り出し、結城の衣服も几帳面に畳み始めた。脱ぎ捨ててあった結城のスーツもハンガーに掛かっている。 「放っておいていいぞ、どうせ一眠りしたら出て行くんだからな」 「だからってシワになっちゃうでしょう? 色男が台無しですよ」  その色男を容赦なくぶん殴り蹴りを入れたコウは、そんな事実など忘れたかのように暢気に喋った。 「ドラール星系もリマライと同じ、パライバからはワープ三回でしたっけ?」 「ああ。第二ワープアウト地点が水資源抗争も熱い、お隣さんだ」 「直行便もなくなっちゃって、いったいどうなるんでしょうね?」 「一介のサツカンには分からん」 「ですよね……よし、終わりっと」  売り物になるくらい丁寧に畳まれた衣服をソファの上に積み上げてしまうと、コウは結城の前でためらいなくジーンズを脱ぎ、下着と綿のシャツ姿になって片側のベッドの毛布に潜り込んだ。もう金髪しか見えない。何だかやるべきことを機械的にやっているような雰囲気だ。 「それこそワープラグだろう、眠れるのか?」  ワープラグは他星に行った際の時差ぼけのことである。一ヶ月過ごしたというテラ本星セントラルエリアの標準時なら、まだ夕方くらいの筈だった。ここも窓外はようやくふたつの(ムーン)、パイロープとシトリンが黄色く輝きだしたばかりの宵の口だ。  だが返事はもう規則正しい寝息だった。羨ましいほどの寝付きの良さは確かに刑事向きだ。  結城は煙草とウィスキーを友にまた、溜息をつくことにする。 ◇◇◇◇  やっと眠りかけたと思えば酷く五月蠅くなり、目覚めた結城はベッドを滑り降りると、いつものクセでロウテーブルに投げ出してあった煙草を咥えて火を点けた。  そして騒音を発している、もう片側のベッドを見やる。  コウがこんなに寝相の悪い男だとは思ってもみなかった、というのは控えめな表現だ。天井のライトパネルは常夜灯モード、だがそれでも分かるほどの汗を額に浮かべうなされている。起こしてやるべきか煙草一本分考えてから、結城はコウのベッドに近づいた。 「おい、コウ。起きろ……コウ!」  見開かれた目は恐怖をありありと映し、一瞬後にはコウの手がシリルM220に伸びた。だがそれのグリップを握る前に結城はコウの手首を掴んでいる。油断しきっていた昼間と違うのだ。  結城は慎重にコウのシリルを取り上げて安全装置(セイフティ)を確かめると、すぐには届かない枕元のキャビネットに移動させる。  他人の銃を取り上げるのは拙いが互いに見える位置なら構わないだろう。 「撃たれるほど悪いことをした覚えはないんだが」  言いながらリモータでライトパネルを点ける。問題はシリルではなくコウ、立てた膝に突っ伏して荒い息を繰り返していた。綿のシャツも汗でびしょ濡れだ。時折震えているのを見取って結城は自分も着ているガウンを取ってくると、コウにひとこと断っておいて綿のシャツを脱がせ始める。  ボタンをふたつ外して右肩の傷痕に気づいた。明らかな弾傷、今時の治療は傷痕など残さない完全再生なのに何の意味があるのだろうと思いながら、細い腕から袖を抜かせる。 「あのう……抱かれるって、どんな感じなんですか?」  唐突に、だが意外にもハッキリとした声でコウが訊いてきた。 「俺には分からんが、コウ、あんたに教えてやることはできる」 「そうですか……何もかも忘れて自分を任せられたら、どんなに楽でしょうね」
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