1章

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 私は通勤時、最寄り駅まで徒歩で行っている。途中、必ず駅前の商店街を通っていくのだが、その途中にどの年齢層のどんな女性が行きつけにしてるのかもよくわからない服屋がある。そもそも、その服屋にあまり入っていく客をあまり見たことがない。なぜ、ずっと営業していられるのか、不思議にさえ思っていた。  私は、その前を通る際、道に面しているショーウィンドウに飾られている服を無意識に毎日見ていた。ずっと代わり映えのしない服だったのにかかわらず、見ることが習慣になっていたのである。  だが、占い師に「メロン柄のワンピースを着なさい」と言われて数日経ったある日のことだった。いつものようにその服屋の前を通ると、なんとショーウィンドウにメロン柄のワンピースが飾られていたのである。それまでその服屋は、ただただ不思議な店という印象だったのに、それからは妙に運命的なものを感じてしまった。  さらにその服の基調の色がオレンジ色だったいうこともある。実は私はオレンジ色が最も好きな色だった。だが、オレンジが似合う顔をしていない。オレンジが似合う顔はどんな顔なのかは分からないが、少なくとも私ではないことくらいは分かる。だから好きな色訊かれても、他の無難なダークカラーを答えることが多かった。  そもそも、私に似合う色などないのではないか? 少し前に自分を見失いかけていた私は、カラーセラピーでも行って、似合う色を探してもらおうと思っていた。「あなたはオレンジ色に選ばれた女性よ、オレンジ色を着なさい」とでも言ってほしかったのかもしれない。だが、私が向かった先はカラーセラピーではなかった。私はなぜか、開運占い師のもとに駆け込んだのだ。  そう、当時の私は片思いをしていた同級生にふられてから、めでたく二周年が経ったこともあり、男性への飢えが限界に達していたのだ。  なぜだろう。どんどん、話がそれていく。まるで、次々と私から視線をそらしていく、このスーパーですれ違う客のようだ。  ともあれ、私が着たくもなかったメロンに身を包まれているのは、占い師に「出逢いが欲しければ、メロンの柄の服を着なさい」と勧められたからで、なぜ私が、みすみすその占い師の言うことを聞いているかというと、運命と思えるタイミングでメロン柄ワンピースを見つけたことや、ちょうど落ち込んでいて誰かに助けを求めていたという精神状態だったということも重なり、占い師の言葉を信じてみようと思ったからである。  そして、その結果がこのザマだ。何も良いことなんてないではないか。さらに言えば、このメロン柄ワンピースを着るのは先週から数えて今日で六日目なのである。  そしてこの六日間、さらに言えば占ってもらって以降ろくなことがない。家の周りを、みすぼらしくて不審者のようなおばさんがウロウロしていたこともあるし、職場ではクレーマーじみたおじさんに延々と説教をくらった。私は両方とも心当たりがないことだったし、それまで予兆もなかった。占い以降の出来事なのだ。  もう、占いなんて信じない。やっぱり嘘っぱちだ。さっさと家に帰って着替えて、元の自分に戻ろう。そもそも本来ならこんな恥ずかしい服を六日も着たくなかった。  実際私は、信じないと言いながらも信じてしまうところがある。占い師から聞いた私の現在の開運ナンバーが「6」でなければ、初日でこんな服押し入れにしまっただろう。全ては、占い師が「開運数字」と称して、私に「6」を授けるから悪いのだ。だからこんな目線の集中豪雨という試練に合いながらも、今日まで六日間も着続けてしまった。近所の人から「開運のメロン」とか言われて、幸せの黄色いタクシーのような扱いをされているかもしれない。だがそれでも、不幸のメロンと言われるよりはマシか。  しかし現在、周囲の目線から感じるのは「幸運」どころか「疑念」や「軽蔑」だ。でも、それも今日で最後になるだろう。  一抹の寂しさを覚えながら、私は普段は買わない少し高級なプリンとチョコレートの入ったカゴをレジ台に置いた。兎にも角にも、今日で長く恥ずかしかった激闘が終わる。せめてもの自分へのご褒美だった。 「いらっしゃいませ〜、お待たせしました〜」  爽やかで長身、赤ちゃんのようなフワフワの髪の毛の男性店員がレジをしてくれた。よく見かける、おそらく大学生の店員だが、そういえばここ最近は見かけていなかった。  最悪だ。私が密かに格好良いと思っていた店員に、まさかメロン最終日の記念日に、このあられもない姿を見られるなんて。あと一日会わなければ、この姿を一度も見せずに逃げ切ることができたのに。  はぁ、これからこのスーパー来づらくなる。だが、それはまだマシなことかもしれない。色んなスーパーにこのメロン姿をばら撒くよりも、ここに一点集中したおかげで、他のスーパーには今までどおり行けるだろう。  ピッ ピッ  プリンたちを読み込んでいくスキャナーの音が虚しく響く。そのときだった。 「あの、お客様……もしかして、メロン好きなんですか?」  私は耳を疑った。こんな辱めを受けて、はや六日。初めて、この姿の私に話しかけてくれた人がいたのである。しかもそれが、今私の目の前にいるイケメン店員であるというのだから、私の鼻の穴も自然と膨らんでしまう。 「えっ……」  私は声にならない声を出した。 「あの、僕メロン凄い好きで、僕も結構メロングッズ持ってるんですけど、こんな堂々とメロンの服を着た人見たことなかったんで、すいません、つい声をかけてしまって……」 「えっ、そうだったんですか。店員さんもメロン好きだったんですか……」  私のドギマギと鼻息は、まだとまらなかった。喋るのが苦しかった。ちらっと店員の胸についた名札を見た。「みなばら」と書いていた。おそらく、「皆原」と書くのであろう。以前から彼の名字は、名札を見て知っていたが、なぜか私はこのとき初めて見たという演技をした。誰のための演技かはわからない。だが、私は動揺したときに限って、このような意味のない反射的演技をしてしまう。そんなことより、この運命的なチャンスを生かさないといけないのに。 「あの。それ、どこで買われたんですか?」 「かわれた?」 「あっ、『買われた』ってことですね?」  一瞬『変われた』瞬間を訊かれているのだと思ってしまった。そんなわけがない。成功者に変わったきっかけを聞くのならわかるが、私はただただドキマギしながら六日間メロン柄ワンピースを着続けただけの女だ。 「あの、駅前の商店街のオルビスタウンという服屋で……」  私が勇気を出して、買った服屋の名前を教えた瞬間だ。 「あっ、すいません! 次お待ちのお客様どうぞー!」  レジに並びだした客に押し出される形で、オレンジ色に光った私は皆原くんの前から去ることとなった。  虚しく「オルビスタウン」という店の名前が響き、そして残った気がした。  その名前を自分が覚えていたことが、とても嫌だった。  そして去り際、申し訳なさげに私のほうをちらりと見た皆原くんに、胸が苦しくなった。
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