2章

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2章

 エミカは、人付き合いが嫌いだった。別にそれなりの社交性はあるほうだし、友達がいないわけでもないし、職場で浮いているわけでもない。表面上の付き合いならむしろ得意だが、人との踏み込んだ関係を築くのが苦手という意味で、人付き合いが嫌いだった。    だから、よく困るのは街で知り合いを見つけたときだった。自分と同じ進行方向に向かっている知り合いの後ろ姿を見つけたとき、エミカはサーチライトから逃げる泥棒のように慎重に歩いてペースを落とす。  現在エミカは、まさにそのときの速度くらいゆっくりと歩いている。大きく違うのは、誰かから逃げるためではなく、誰かを見つけるためにゆっくり歩いているということだ。  エミカは、前日に法凜から言われたとおり、牛のキーホルダーを身に着けた男性を探していた。牛のキーホルダーをつけている人がいたとして、見える場所はどこかと考えたときリュックサックしかないと思った。だから今、亀のようにのっそりと歩いて、街行く男性の背中を見続けているのである。 「牛のキーホルダーを身に着けた人が、あなたの運命の人よ」  昨日、その言葉を法凜から聞いたとき、思わず絶句した。この人は何を言っているんだと、疑惑を抱いた。 「う、牛ですか?」  そして、思わず訊き返してしまった。  「牛嶋エミカ」の恋愛運の「キーパーソン」だから、「牛」の「キー」ホルダーということなら、あまりに稚拙だし、そもそも占いでも何でもないではないか。  だが、それを言った張本人を見ると、いたって大真面目な顔をしている。むしろ、この六日間、ずっと考えに考えたような苦しげな表情に見えた。いや、考えたのではない。法凜は最初、天からのメッセージを受け取る、と言っていた。相当、天に願ってくれたのだろう。それにあの法凜が、エミカの名字が牛嶋だから「牛を探せ」というような駄洒落のような占いをするわけがない。  エミカは一瞬でも法凜のことを疑ってしまった自分を恥じた。  それに今回は、その「牛のキーホルダー」を身に着けた人を探せばいいだけということだ。前回のように、自分が体を張って季節外れのハロウィーンのようにならなくてもいいのだ。六日連続一人で仮装なんて、あとにも先にもあんな恥ずかしいことはなかった。危うく、好きだったオレンジ色もメロンも嫌いになるところだった。  それに比べれば、ゆっくりと歩きながらキョロキョロと男性の背後を見続けることなど、造作もないことだった。だが、問題は牛どころか、キーホルダーをリュックサックにつけている男性すらほとんどいないということだった。いたとしても、キャラクターものや、アルファベット、ナンバーを型どったものなどばかりで、他の動物のキーホルダーをつけている人すら見つけられなかった。  はたして、牛が動物の中でどれほど人気があるのかは怪しいが、少なくともライオンや虎などに比べれば人気はなさそうだ。それを見つけるというのは、かなり難易度が高い試練なのではないのかと思った。そもそも日本全国で探しても、純粋な牛のキーホルダーをつけている人がどれほどいるのだろう。そして、その人物がエミカの生活圏に存在している確率はどれくらいなのだろう。  足早に離れていく男たちの背中を見送っているうちに、これは自力ではなく、他力の面が大きいミッションだと思った。メロン柄のワンピースを着るだけなら、自分の殻を破るだけでなんとかなるのだが、今回のこれは、自分がいくら頑張ったところで何も得られない可能性がある。虚しい背中を追いかけていくうちにエミカは、これじゃあ駅員の哀愁溢れる背中を見て興奮している鈴と、やってることは同じではないかと、次第に絶望を感じ始めていた。  それに、だ。  もし、万が一奇跡的に牛柄のキーホルダーをリュックサックにつけた運命の人に出逢えたとして、エミカは何と声をかければいいのかわからなかった。 「いい牛ですね」とか「牛は好きですか?」なんて訊いた日には、不審者か、もしくは牛肉卸業者のヘッドハンティングかと思われるかもしれないと思った。  そうなのだ。その人を見つけたとして、かける言葉がない。  そのこともエミカを絶望させた。
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