2章

3/8
前へ
/48ページ
次へ
 まだ開店前なので、裏口から事務所に入ると、いつも通り鷹松が先に出勤していた。ペットボトル型の缶コーヒーを飲みながらパソコンを見ている。  ここで「おはようございます」以外の言葉を放つと、話が長くなるのでいつも通り小声で挨拶だけを済ます。自分のロッカーに向かう途中、無防備に開けたままの鷹松のロッカーが目についた。中は相変わらず乱雑で、臭いもするのであまり近づきたくはないが、カバンの類は入っていないようだった。 「あの、店長ってカバン持ってきてないんですか?」  エミカはつい無防備にも聞いてしまった。言葉を発したあとで「しまった」と後悔が襲った。 「あぁ、カバンかい? そうなんだ、ある事件があってから持たないことにしたんだよ。あぁ、ある事件ってのは置き引きなんだけどね。しかも犯人はなんとおばさん。逃げるおばさんを見つけて追いかけたまでは良かったんだけど、追いかける道中で俺、足をくじいちゃってね。骨折だよ。カバンは失うは骨は折れるわで、あ、骨が折れるってのはダブルミーニングね。それから、もうカバンなんて絶対持つもんかと思って、これを持つようにしてるんだよ」  鷹松はポケットからスーパーのビニール袋を取り出した。なぜか得意顔である。  エミカは気の抜けた「へー」という返事をしたが、まだ鷹松は喋り足りないのか続けた。 「いや、牛嶋さん、わかるよ。エコバック持ったらいいじゃないですか、ってことだよね。うんうん。でも俺どうしてもエコバックって好きになれなくてね。だって、なんかエコバックだけ、国から推進されてるみたいで贔屓されてないかい? あ、まさにエコ贔屓だね。あと、自分でエコって言っちゃってるんだよ? 自分で自分のこと優しいですよ、ってアピールしてるみたいで、俺の江戸っ子魂に水を差すんだよね。あ、僕江戸っ子でもなんでもない田舎生まれ田舎育ちなんだけどさ、海沿いのだけどね。それにこのスーパーの袋って、すぐごみ箱に早変わりするから便利なんだよ。ほら、俺効率的なこと好きじゃない? 効率おたくなんだよね」  効率おたくだったら、なぜこんな非効率な脱線めいた喋り方をするんだとエミカは思いながらも笑顔でうなずいておいた。心では、二度とこの男にカバンの話はしない、と誓って。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加