知られたらおしまい

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知られたらおしまい

こんなに頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされたことがかつてあっただろうか。 小百合の発言について詳しく知りたくて聞き返したけれど、「癪だからこれ以上はナシ! 自分で気付いて」と言われてしまった。 どういうことだよ……となりながら、四限が終わった後いつの間にか伊月先輩の部屋まで足を運んでいた。 約束もしてないのに来てしまったことに着いてから気付き、戻ろうとした時、ちょうど伊月先輩が帰ってきて鉢合わせてしまう。 伊月先輩は何故か部屋のドアの前にいる私に怒りもせずに、「寂しかったの?」と笑って聞いてきた。 こくりと頷きながら、伊月先輩ってどのセフレにもこんなに優しいのかなと初めて疑問に思う。 思えばこの人は、頻繁に来る私を一度も嗜めたことがない。他のセフレだっているはずなのに、私とばかり会うことになっても文句を言ったことがない。 “もしかしたら私は特別なのかも”と思わせることがこの男のメンヘラ製造機たる所以なのだとしたら、完全に罠にハマる一歩手前な思考だけど。 伊月先輩、私のこと好きなの? という質問は、あの時ほど軽々しく口にできなかった。 何も聞けないまま、伊月先輩の部屋でテレビを流しながら晩ご飯を食べた。勿論作ったのは私で、食器とかは伊月先輩が用意してくれた。あとちょっと材料を切ってもらった。 「そろそろこたつ出そうかな~」と遅いことを言う伊月先輩に、そういえば去年もこたつ出すの遅かったよなこの人と思った。 気付けば、伊月先輩とセフレになって、一年以上が経っていることに驚いた。 『心斎マコシ監督の最新作、今週日曜上映開始!』 作ったお鍋を伊月先輩と二人で食べている最中、テレビCMからそんな言葉が聞こえてきて思わず顔を上げた。心斎マコシは私の好きな映画監督だ。 「新作上映されるんですね。しばらく追ってなかったんで知らなかったです」 「今週日曜かあ。一緒に観に行く?」 え、一緒に行ってくれるんですか? と聞き返そうとしたが、小百合との約束を思い出してやっぱり日曜は駄目だと思った。 「すみません。日曜日は空いてないです。来週だったらいけますけど」 「え?」 伊月先輩が心底驚いたような顔をする。そんな驚かなくてもいいだろう。 確かに私は土日基本的に暇だし、セフレの家へ行くか一人で過ごしているかのどちらかしかない。 セフレの家へ行くのも基本夜だから、土日と言っても昼間は空いているはずだし、実際今まではそうだった。……でも、今週末は違う。 「友達とモンブラン食べに行くので」 「友達? 誰? セフレ?」 「いや、女の子です。最近話すようになって」 「桜狐に、女の子の友達?」 「そんな怪訝そうな顔するのやめてもらっていいですか?」 失礼すぎる伊月先輩を軽く睨む。 そんなに変なことか、私に女の子の友達ができるのは。 「…………邪魔だなー」 「え? 邪魔?」 「や、桜狐暇な時しかないから誘いやすくてよかったのにと思って。その子なんて名前なの?」 「小百合。軽音の」 「冗談でしょ? 俺の既セクじゃん」 「知ってますよ。伊月先輩が前言ってた子ですよね」 さすがに既セク同士が仲良くなるのは気まずいのか、眉間に皺を寄せてちょっと嫌そうな顔をする伊月先輩。初めて伊月先輩のそんな顔を見たような気がした。 それからその話は流れ、しばらく他愛もない話をして夜にかけて面白くなってくるテレビ番組を一緒に観た後、ふと伊月先輩が言う。 「あ、桜狐、今日十時までには帰ってね」 「はい?」 「十時からうち来る子いるんだよねー。大学の子だから桜狐見られて変な噂立っても嫌だし、来る前に帰って」 「ああ、セフレですか」 「うーん、まだ違うかな。最近告ってきた子。今までのタイプとはちょっと違って可愛いんだよね。まだ処女みたい」 「うわ……処女を捧げるのが伊月先輩ですか……」 「憐れむような顔しないでよ」 くすくすと笑う伊月先輩。まあ、今日は私と約束していたわけでもないし、急に来たのは私だし、先約があるならそっちを優先して当然だろう。 そう理解した時、ちょっと恥ずかしくなった。 ……ハイ、私がバカでしたー。 小百合があんな真剣な感じで伊月先輩が恋に落ちた時うんちゃらかんちゃらとか言うから、もしかしたら伊月先輩本当に私のこと好きなのかも……とか考えちゃったけど、ないわ。ないな。危ない危ない、伊月先輩の他のセフレと同じような期待しちゃうとこだった。 伊月先輩はこういう人間、女の子を日替わりで食べてる男。それを忘れちゃいけない。 「お皿片付けといた方がいいですか? 鉢合わせるのもよくないですし、伊月先輩に洗い物任せちゃって先帰った方がいいです?」 「うーん、そっちのがいいかも。今日は来てくれてありがとーね」 食べ終わって課題をやりながらゴロゴロした後、既に九時半になっていたのでそう提案すると、伊月先輩は適当なお礼を言ってキスを落としてきた。 セフレってこんなもんだし、特別扱いを期待する方がおかしいのに、なぜだか胸がちくりと痛んだ。 「……伊月先輩、明日は来ていい?」 リュックを背負って出ていく前に何となく次の約束をしたくなって振り返り、玄関先でボソリと問うた。 何故か小さな声になってしまった。聞こえてなければそれでいいと思っていたのに、その声はしっかりお皿を片付けていた伊月先輩の耳に届いてしまい、その目がこちらを見つめてくる。 「明日は午後休だから愛衣ちゃんと出かけるんだよね。明後日だったらいいよ?」 ――愛衣先輩とやっぱそんな仲良いのかよ。 唾でも吐きつけてやりたい気持ちになったが、さすがにここで怒ったらただの面倒臭い女になる。 「じゃあまた明後日に来ますね」 笑顔で返して伊月先輩の部屋を出た。 別に伊月先輩に独占欲があるとかでは全くないのだが、相手が愛衣先輩だとまた別。それは伊月先輩にも伝えたし分かっているはずなのに、“俺は次誘われたら桜狐の方行くつもりだったよ”なんて適当な言葉で宥めて、結局は愛衣先輩と会うのだ。 そう簡単に私の嫌がることをするのは、伊月先輩にとって私がどうでもいい女である証拠。 行動が伴わない都合のいい言葉はいくらでもくれるっていう、クズ男の典型的な特徴。 節穴すぎるよ、小百合。 伊月先輩みたいなクズが誰かに純粋な恋をすると思っちゃうほど頭お花畑だから、伊月先輩みたいなのに引っかかるんだと思うなあ。 そんなことを考えながら歩いていると、空から雪が降ってきた。 戻って伊月先輩に傘を借りようとも思ったけど、もうすぐ十時だったのでやめた。 私のセフレって、夜でも送ってくれない男ばっかだな。 そう気付いて自嘲的な笑いが漏れた。 ……私何やってんだろ。雑に扱ってくる男ばかりに股開いて、いい思いさせて、ほらやっぱり男ってこんなもんだよねって毎度失望してる。 本当はセックスそのものが好きなわけじゃない。強がっているだけ。穴としてしか見られないのが悔しいから、私だってあんな奴らのこと棒としてしか見てないって自分に言い聞かせてるだけ。 いつまで続けるんだろうこんなこと――そう思った時、耐えきれないほどの虚無感が襲ってきて、思わずスマホのメッセージ画面を開いた。 “その人”に電話をかける。 一度目は出なかった。 二度目も、出なかった。 三度目――五回ほどコール音が鳴ったところで、ようやくその音が止まる。 『メンヘラかよ。鬼電してくんな』 大好きな由良先輩の声が聞こえて、心の底からほっとした。 「さっき男に追い出されたんですけど、暇してないですか?」 『……追い出されすぎじゃねーの。前もあっただろ』 「その時とは別の男でーす。傘持ってないんで迎えに来てくださいよ」 『コンビニで買え』 「もうコンビニから大分離れちゃいました」 『……位置情報送れ。迎えに行くから』 少し躊躇うような間があった後、結局由良先輩はそう言った。 「由良先輩、やっぱり私に弱いですよね。もう付き合っちゃいます?」 ブツッ――通話を終了させられてしまった。 あーあ、つれないなあ。 つれない態度を取りながらも迎えには来てくれる由良先輩を想像すると自然と口角が上がって、さっきまでの嫌な気持ちなんかどこかへ行ってしまった。
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