知られたらおしまい

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傘を二本持って迎えに来た由良先輩は、「バカじゃねーの。天気予報くらい見ろよ」と文句を言いながら私を送ってくれた。 傘を差し出されたけど、受け取るだけ受け取って、開かずに由良先輩の方の傘に入る。 「……おい」 「いいじゃないですか。折角大きい傘なんですし」 言っても聞かないと思ったのか、由良先輩は諦めたように歩き始めた。天気悪いし暗いし寒いし最悪だけど、隣に由良先輩がいるってだけでここは幸せな空間になる。 「伊月か?」 「え?」 「こっち方面に迎えにこさせられたの初めて。新しい奴か伊月だろ」 確かに大学からこの道を通って私の家まで帰るルートの中で、私のセフレの家は伊月先輩の家しかない。他のセフレの家は他の道からじゃないと行けないし、由良先輩を呼び出すのもいつもそっち側のルートのうちのどこかだった。 「伊月はやめとけ」 雪が降っているせいで視界が悪い。雪のおかげか辺りは静かで、由良先輩のそんな言葉がクリアに聞こえる。 「ヤキモチですか?」 「ちげぇよ。先輩からの警告だ。伊月じゃなかったら俺もこんなこと言わねーよ。こんなに心配することもない」 茶化すような返しをしたのに、由良先輩は一切笑ってくれなかった。 「早く伊月以外の男探せ。男運なさすぎなんだよ」 「……そんなに伊月先輩アンチしなくてよくないですか? 伊月先輩、確かにガチ恋してる女子からしたらヤな男ですけど、そうじゃなかったら無害ですよ」 私が伊月先輩に恋するようなバカな女に見えます? と聞こうとしたが、私がバカな女だった時期を知っている由良先輩からしたらそう見えてるんだろうなと思って口を閉ざした。そして、話題を変えるようにして話を振る。 「ていうか、由良先輩は自分の心配した方がいいんじゃないですか」 「何の話だよ」 「明日愛衣先輩、伊月先輩と出かけるんでしょ。いいんですかそんなに仲良くさせといて」 いつものテンポで返事が返ってこなかった。どうしたんだろうと思って見上げると、由良先輩がこちらを見下ろしていた。 ――動揺している表情だった。傷付いているような顔にも見えた。 え? もしかして知らなかったパターン? 「……あいつ、明日はハルと出かけるって言ってたけど」 それを聞いて焦りが押し寄せてくる。由良先輩の声がか細くて、これまで聞いたことの無いような声のトーンをしているから。 ハル先輩と出かける? いやでもあの愛衣先輩が変な嘘つくと思えないし……。 「……やっぱ私の聞き間違いだったかもしんないです。伊月先輩からちらっと聞いただけなんで、それ以上聞いてないですし。あの人色んな女の子と出かけるから、似てる名前と聞き間違えたんだと思います。それかメイっていう同じ名前の違う子かも……」 何で私がこんなフォローしなきゃいけないんだ? という気持ちはあるけれど、由良先輩の表情が暗くて耐えられず、もし聞き間違いだったら申し訳ないので早口で補足した。 由良先輩からの返答はない。ただ無言で考え込むように前を見ている。 これあんまり話しかけない方がいいやつだ、と思って私も黙った。歩きながらこっそりスマホを開いて伊月先輩に【明日って軽音の愛衣先輩と遊ぶんですよね?】と確認のメッセージを送る。既読は付かない。当たり前だ、今女の子と一緒にいるんだから。下手すりゃおっ始めてる最中かもしれない。 伊月先輩に対してこれほど早く返事くれと思ったのは初めてだ。どうしよう本当に違う名前の別人オチだったら……。勘違いで由良先輩にこんな顔させてしまったことになる。 ぐるぐる考えながら歩いていると、由良先輩のマンションが見え始めた。無言も辛いのでちょっとからかってみようと思って由良先輩の身体にくっつく。 「由良先輩~。私のマンションよりこっちのが近いですし、泊めてくれません? ほら、雪ですし。私手こんなに冷たくなってますよ?」 冗談のつもりだった。けど由良先輩はぼうっとしているようで、「……ああ」と心の籠もっていない返事をしてきた。 「え、いいんですか?」 「明るくなったらさっさと帰れよ」 「…………え、いいんですか?」 「いいって言ってるだろ」 雑な返事をしながら、由良先輩が自分のマンションの方へ歩いていく。 愛衣先輩という彼女ができてから、家に入れてくれることはあっても泊めてくれたことはなかったのに。 ちょっとびっくりしながら付いていって、傘に付いた水滴を振り払ってから由良先輩の部屋に入った。 由良先輩の肩はちょっと濡れてた。多分、私の方に傘傾けてくれてたんだと思う。 「やばい、私狼になっちゃうかもしれないです」 「なったら外に追い出すからな」 泊めるくせに襲ってオーケーというわけではないらしく軽く睨んできた由良先輩は、疲れたようにクッションの上に座り込む。 そして大きな溜め息を吐いて動かなくなった。 「……由良先輩? お風呂沸かしましょうか?」 「あー……、うん、しといて」 心ここにあらずといった感じで返事してきた由良先輩。最近全く来ていなかったとはいえ由良先輩の家のお風呂の場所とかはさすがに覚えているので、スイッチを押しに行く。洗面所には愛衣先輩のお泊り用の化粧水とか乳液、歯ブラシが置いてあってチクリと胸が痛んだ。 身体が冷たいので、先にシャワーを浴びてしまおうと思ってシャワーを浴びた。完全にお湯が溜まったわけではない浴槽にも浸かっているうちに、沸いたことを知らせる音がした。脱衣所の横に置いてあった由良先輩のシャツを着てリビングに戻る。 由良先輩の体勢は私がお風呂に入る前と同じだった。ぼうっと何かを考えるように天井を見上げている。 「由良先輩、お風呂沸きましたよ。あと服借りました」 「……ああ、そ。俺も後で入るわ」 「もしかして、元気ないです?」 もしかしてどころではない。どう見たって元気がない。 愛衣先輩を信用しきっている由良先輩とはいえ、さすがに元彼と出掛けられるのは応えるのだろう。 「慰めてあげましょうか?」 ぎしっと由良先輩を押し倒すような体勢でクッションに手を埋めた。 見下ろす由良先輩はやっぱり私好みの綺麗な顔をしている。 「抵抗しないんですね」 「いやもう、お前の相手する気力ねぇ」 「そんなにショックです?」 「俺何も言えねぇのがキツい」 「何も言えない?」 「俺も桜狐と二人で会うだろ」 「……」 「呼び出されたら行くし、家にも入れる。出掛けたりとかはしねーけど、似たようなもんだと思ってる」 「……そうですね」 「同じようなことを今まで愛衣にしといて、愛衣に伊月と出かけんなって言うのは理不尽だ」 苦しみを吐露するように由良先輩がぽつりぽつりと言う。 「自覚あったんですね。愛衣先輩に酷いことしてるって」 「……そりゃな」 「だったら何でやめなかったんですか? やめればよかったじゃないですか。愛衣先輩を傷付けてるって分かった時点で、私と関わらなければよかったじゃないですか。今日こうして私のことを迎えに来てくれたのは何でなんですか?」 由良先輩がようやく私の方を見た。感情の読めない瞳が私を見つめる。 「……やめようとしたよ。だからクリスマスにお前との約束破っただろ」 「……」 「けど結局お前のことほっとけなかった。だからこのザマだ」 ハァ~とまた大きな溜め息を吐いて、由良先輩が眉間に皺を寄せる。 私はその言葉が、何だか泣けるくらい嬉しかった。同時にそれと同じくらい、――興奮した。 「私のせいで困ってるの? かわいーね、由良先輩」 ――多分私、今最近で一番意地悪で楽しそうな笑顔してると思う。 その時、ヴヴッとスマホが震えた。ロック画面に映っていた通知は、伊月先輩からのものだった。 【そうだよ】 “軽音の”愛衣先輩と出掛けることを肯定する文面。よかった、これで、遠慮なく襲える。 「由良先輩、セックスしましょう?」 由良先輩の頬を撫で、誘うように甘えた声を出す。 「やっぱり愛衣先輩、伊月先輩と出掛けるらしいですよ? 私の聞き間違いじゃなかったみたい」 「……」 「悔しくないんですか? 向こうは嘘ついて伊月先輩と仲良くしてるのに、自分はダメなんて」 「……」 「わざわざ嘘つくなんてやましいことがあるに決まってますよ。向こうだってもう何かあったかもしれませんよ?」 愛衣先輩に限って何かあったはずない。愛衣先輩がどんな人か私はよく知っている。でも、頭の中の推測とは裏腹に、口は由良先輩への悪魔の囁きを続ける。 由良先輩が欲しい。攻め落とすなら、由良先輩が崩れかけている今だと思った。 「全部私のせいにしていいから。抱いてください、由良先輩」 由良先輩の瞳が揺れる。一瞬の迷いの色が見えたのを見逃さず、由良先輩の唇に自分の唇を近付ける。 ――しかし由良先輩は、私の肩に手を当てて私を押し返した。 「悪ぃけど無理だ」 「……女にこんだけ言わせといて襲ってくれないんですか? 据え膳くらい食ってください」 「うるせーな。お前、どんだけちょっかいかけても俺がお前に手を出さないことで安心したいだけだろ」 言われて黙ってしまった。由良先輩に手を出してほしいのは勿論だが、出されなかったら出されなかったで安心していることも事実だ。由良先輩が愛衣先輩を裏切るような人じゃないってことを確認できるから。 「俺がここで応じたら、お前はまた、男なんてって悲観する」 彼女がいる状態で私に手を出さない人だから好きだってことも、由良先輩にはバレてるらしい。 男なんてクソだ。 少女漫画や女性向け恋愛小説に出てくるような男なんて現実には滅多に存在しない。 彼女がいてもちょっと誘えば乗ってくる男、彼女がいようが浮気するのは当たり前と思っている男を何人も見てきた。 彼女がいたって他の女とヤれるならヤりたいっていうのが男の本音。取り繕ってても大体の男はそう思ってる。 だから由良先輩は珍しい方。 彼女できてからパタッと私とヤってくれなくなったし、どんだけ誘ってもしてくれない。 つれないなと残念に思いつつ、私はそんな由良先輩が好きなのだ。 「明日が終わったら愛衣とちゃんと話してくる。だからそれまで待ってくれ」 何を? と思って由良先輩を見返す。 由良先輩は私を退かして立ち上がった。 「この間、愛衣がいなかったらどうだったかって聞いただろ」 部会の後のことだろう。 「考えてみたけど分からなかった。でもお前のことは正直可愛いと思う」 「……え」 「それも含めて愛衣に話す」 「……それって、」 「これまで避けてたお前の話ちゃんとして、伊月のことも聞く。どのみちモヤモヤしたままじゃ続かねぇと思うし。話し合ってお互い納得のいく形に収まらなかったら、多分俺はフラれることになると思う」 「……別れて私と付き合ってくれるってことですか?」 「そこまで言ってねーよ、バカ。色んなことをとりあえず清算して、お前への答えはそれから出すって言ってるだけ」 由良先輩が敷布団を敷いて、私の寝る場所を作ってくれた。 「というわけで、少なくとも今日はなんもしねーから期待しないでさっさと寝ろ」 え、寝れませんけど……? 思考が追いつかない私を放って、由良先輩はお風呂へ行ってしまった。 布団にくるまりながら由良先輩の発言を反芻する。 考えすぎて結局あまり寝れないまま、次の日の朝を迎えることになった。
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