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伊月先輩の言葉に何も返すことができなかった。この人ヤバ……と言う気持ちでいっぱいである。
「何でそんなに顔色悪いの? 桜狐にとってもいい話だと思うけど」
「いや……そうなんですけど」
「俺と愛衣ちゃんがヤるの嫌だった?」
何でちょっと欲情した目してるの、この人。
こちらに近付いてくる伊月先輩が怖くて逃げたくなった。
「願ったり叶ったりな展開ではあるんですけど、何故かちょっとショックっていうか……。私、完璧な愛衣先輩に憧れてたのかもしれないです」
「それは勝手に理想を押し付けてるだけだよ。そうやって理想を押し付けてくる人たちばっかりだから愛衣ちゃんはしっかりせざるを得ないし、そこを見抜いて甘やかしてやるとすぐ落ちていった。でも付き合っていくうちに行き過ぎたメンヘラになってきたから、ちょっとダルかったよね~」
それで面倒臭くなったから他の男に押し付けたってこと? 怖すぎる。
これが他の女の話なら簡単にこんなヤリチンに対して何か期待してメンヘラになる女バカだな、で済ませていただろうが、被害者が愛衣先輩となると感じることも変わってくる。この話を聞いて愛衣先輩のことを可哀想だと思ってしまうあたり、私も多少は愛衣先輩信者なのかもしれない。
「――ていうか、何で愛衣ちゃんのことばっか気にしてんの?」
考え込んでいるといつの間にか伊月先輩が目の前まで来ていて、ぎしりとソファに乗ってくる。その声で思考を遮られた。
「前みたいに嫌な顔してよ」
「……は?」
「俺と愛衣ちゃんが一緒に出かけるって話した時は嫌そうな顔したから、ヤったらどんな顔するんだろうって期待してたのに」
「何それ……」
意味分かんないんですけど、と気が抜けてちょっと笑うが、伊月先輩の方は少しも笑っていない。
「伊月先輩、怖いです、ちょっと。伊月先輩が今何考えてるのか分かんない」
「俺が何考えてるのか、桜狐に分かったことあった? 全然、何も、何一つ、分かってないでしょ」
……何でそんな、つまらなそうな顔してるの。
伊月先輩の様子を窺うためにじっとその目を見つめていると、唐突にポケットの中のスマホが震えたのでビクリと身体が過剰に揺れた。
待ち侘びていた由良先輩からの着信通知だった。
「もしもし」
『今どこいんの?』
「え?」
『会って話してぇんだけど」
「……逆に由良先輩はどこにいるんですか?」
伊月先輩の家にいると知られたくなくて、質問に質問で返した。
『部室。バンド練終わったとこ。お前がもう帰ってんなら家行くけど』
「や、まだ帰ってないです! 大学にいます。会いたいです」
早口で答えると、電話の向こうで由良先輩が笑う声がした。私に尻尾が生えていたら今頃ブンブン振りすぎて取れているだろう。由良先輩からちゃんと連絡が来たことが嬉しい。しかもこの雰囲気、私にとって悪い知らせじゃない気がする。
「部室にいてください。すぐ行けるんで」
言いながら、伊月先輩を退かして立ち上がった。出していた荷物を鞄に詰め込み、一旦通話を切る。
「伊月先輩すみません、今日晩ごはん作れないです」
冷蔵庫にお肉が残っていて消費期限だけ心配だったのでひとまず冷凍庫に移動させた。
「電話の相手、由良?」
「そうなんですよ。実は色々あって、もしかしたらついに由良先輩をモノにできるかもしれなくて……。ほんとは今日このこと詳しく話したかったんですけど、無理になっちゃったのでまた今度にしますね。早く聞いてほしいです~」
喜んでくれると思った。いつもみたいに一緒に面白がってくれるかなって。私が由良先輩にちょっかいかけてること一番知ってる伊月先輩だから、マジで?やるじゃんって笑ってくれると思ってた。
「へえ。良かったね」
でも、返ってきたのは予想していたよりも淡白な反応だった。え、それだけ?
「……伊月先輩のおかげでもありますよ。伊月先輩が愛衣先輩に手を出してくれたから、その隙に突っ込んでいけました。今度お礼しなきゃダメですね」
冗談めかしてそう言うと、伊月先輩がようやくいつもみたいにヘラヘラした笑顔を浮かべてくれた。
「じゃあ焼肉奢ってよ。高いやつ」
「え~……私今月金欠なんですよぉ」
「俺のために働いて奢って?」
「絶対嫌です」
いつものように軽口を叩き合い、よかったいつもの伊月先輩だと思ってちょっとほっとした。
鞄を手に持って、来たばかりの伊月先輩の部屋を去る準備をする。
靴を履き、いざ出ようと玄関のドアノブに手をかけた時、その手の上に伊月先輩の手が重なった。
いつの間にかすぐ後ろに伊月先輩が立っている。
「行かないで、桜狐」
振り向くことができなかった。
「行くなよ」
間近で感じる体温と、滅多に聞かない伊月先輩の真剣な声音に動揺して。
私が固まっているうちに、伊月先輩が私の腰を引いて部屋の中に戻し、フローリングの上に押し倒してきた。
背中と床がぶつかるような勢いで倒されたので怯んでいると、噛みつくみたいにキスをされる。伊月先輩が上に乗っているのと、両手を押さえられているのとで抵抗できない。
え、なに? と内心焦りながらも受け入れているうちに、伊月先輩が私の服のボタンに手をかけた。
「っま、ってください、私すぐ行かなきゃいけなくて、」
解放された方の手でその手を押さえるが、伊月先輩は制止を無視して服を脱がしてくる。見上げた先にあるその顔は無表情で、何考えてるのか分かんなくて怖くなった。
「伊月先輩、ヤるんだったらまた今度にしましょう? 私今から行くって由良先輩に言っちゃってるんですよ」
「だから?」
ふっと馬鹿にするみたいに笑ってきた伊月先輩は、私の首筋に顔を埋めたかと思えば、そこに思いっきり噛み付いてきた。
「い゛ッ……た!」
伊月先輩に噛みつかれたことなんてなかったのでブサイクな声をあげてしまう。痛くてバタバタ足を動かしているのに伊月先輩は止まらず、今度は鎖骨の辺りにキスマークを付けてきて、胸の膨らみにも噛み付いてきた。「ッ……」と声にならない悲鳴が漏れる。
「やだ、伊月先輩、やめて」
「先に俺と約束してるのに由良を優先されるのはさすがにムカつくなあ。俺の機嫌取って?」
カチャリと音を立てて自分のベルトに手をかける伊月先輩。
あ、こういう行動って伊月先輩の地雷だったんだ、って長い付き合いになるのに今初めて知った。
「っあ、じゃあ、由良先輩と話してからまたここ戻ってくるんで! とりあえず一旦――……んんッ」
「まだ言うの?」
黙らせるように濡れてもいないそこに自身のものを突っ込んでくる伊月先輩に抵抗するが、伊月先輩の力はやっぱり強くて受け入れるしかない。いつもちゃんと前戯してくれる伊月先輩がこんな乱暴に襲ってくるのは初めてで、余程怒らせてしまったのだと悟る。
「怖い? 可愛い。ずっとここにいるって約束してくれたら優しくしてあげるよ」
顔が強張っているであろう私に、状況とは似つかないほど甘い声でそう脅してくる伊月先輩。
「……DV男予備軍みたいなことしないでください。どうしたんですか、らしくないですよ」
捩じ込まれたそれがゆっくりと抽挿を開始し、痛みで顔が歪む。腰を掴む手の力の強さに、あ、これ逃してもらえないやつだと思い、せめて由良先輩に連絡しようとスマホに手を伸ばす。しかしそれは許されず、スマホはすぐに取り上げられてしまった。
「何気にしてんの? どうでもいいでしょ、由良とか。今桜狐と一緒に居るのは俺でしょ?」
「待たせてるんですけど……」
「待たせとけばいいじゃん。桜狐だってクリスマス、待ってたでしょ? 由良のこと」
「それとこれ関係なくないですか? こういうことやられるの、めんどくさいです」
変に自分の行動を制限してくるセフレにウザがる男の気持ちが分かった。
ただのセフレに好かれたら迷惑がるくせに、自分より他の男を優先されるとそれはそれで気に食わないって、男ってほんと勝手だなあ。
いや、それ以前に――伊月先輩なら喜んでくれる、私のこと応援してくれるって期待してたからショックなんだ。だから私はイライラしている。
伊月先輩にとって私は友達でも何でもない、ヤれるから今まで味方していただけの、性処理道具だと思い知らされるようで。
「黙れば?」
ちょっとキレてるらしい伊月先輩が更に奥深くに入ってくる。
由良先輩のところへ行くのはもう無理だと悟り、黙って目を閉じた。
ああもう――面倒臭い。何でこんな、喧嘩みたいなセックスしなきゃいけないんだ。
部屋の明かりはそのままで、お風呂に入る暇すらなかった。
ぜんっぜん気分よくない状態で、結局由良先輩に連絡もできないまま、一晩中伊月先輩の下で喘がされることになった。
伊月先輩とするセックスでこんなに気持ちの乗らないセックスはこれが初めてだった。
伊月先輩はいつもよりしつこくて、私が疲れてぐったりしてもやめなかった。
いつの間にか朝と呼んでもいい時間帯になっていて、視界の片隅に映る時計の針の位置を見ながら、ああ由良先輩との約束破っちゃったなってちょっと泣いた。
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