この心臓尽きるまで

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 : 次の日の部会に、確かに愛衣先輩は来なかった。 いつも前に出てホワイトボードに次のイベントの詳細や集金関係のことを書いてくれるその姿がない部会は、東京に東京タワーがないのと同じくらい違和感を覚える。 一応今年の部長とされている人がファシリテーターをしてくれているが、慣れていないためか拙い。幹部の交代があったにも関わらずこれまで愛衣先輩に仕事を丸投げしていたためか、サークル内のお金の管理についても知らないことが多く、それを確認するために何度か会議が止まった。 愛衣先輩がやればメインの話は二十分、遅くとも四十分で終わるはずの部会。けれど今回は、気付けば一時間過ぎていた。 「――というわけで。卒業生追い出しライブは予定通り二年生以下が前日準備をお願いします。僕からは以上ですが、何か質問点がある人はいますか」 「はいはいはぁ~い!」 私が座る席の二つ後ろの席で、同学年の女子たちが手を挙げた。 ちょっと前まで小百合と仲良くしていたグループの子たちだ。 机に隠してスマホをいじっていた隣の小百合もなんだなんだと思ったのか顔を上げた。 「ちょっといいですかー? 愛衣さんのことでちょっと」 女子たちは立ち上がり、ホワイトボードがある会議室の前方まで歩いて行く。 「愛衣さんが辞めるっていうの、もうみんな知ってますよね? そこでウチら考えたんですけど、ウチらって愛衣さんに一番お世話になったじゃないですか。多分ここにいるみんな、愛衣さんには感謝してると思うんですよぉ。だから、卒業生追い出しライブの前に、愛衣さんお疲れ様ライブを開催したいと思っててぇ」 ……は? 「愛衣さんにあんなにお世話になったのに、何もしないって寂しいじゃないですか。辞めるってことは、愛衣さん卒業生追い出しライブにも参加しないってことになりますしぃ。だったらその前に、最後に愛衣さんを送り出すライブを開催することがウチらにできる恩返しだと思うんですよー」 それどうやって鼻くそほじるの?と聞きたくなるくらい長い爪に黒色のネイルアートを施した手で、女がホワイトボードに“愛衣さんお疲れ様ライブ”と書き足す。 部長は先に話を聞いていたのか、うんうんと満足気に頷いている。 前の方で女の話を聞いている愛衣先輩信者のサークルメンバーたちも、「それいい!」「賛成!」とにこやかに話し合っている。 ……え、正気? 卒業生追い出しライブは2月の下旬で、今もう1月の下旬だけど……。その間にライブイベント入れるの? 「みんな賛成してくれてるみたいで嬉しいです! そうですよね、愛衣さんには何かしてあげたいですよね!」 してあげるって何? 愛衣先輩に頼まれてもないのに? 疑問に思って隣の小百合を見ると、うへぇ……と砂糖を食べまくった後みたいな表情をしていたので自分の意見に自信を持てた。 「――あの」 このままでは開催が決定してしまうと思い、手を挙げる。 女は私を見て顔を曇らせた。 「場所はどうするんですか? 誰が決めるんですか? この時期の予約は埋まってることが多いですし、もう一ヶ月切ってる中で日付決めて場所取って……ってしてたら間に合わないと思います。そのあたり具体的に考えてますか? サークルメンバーの時期的にも、多くの学科は今がテスト前で勉強と卒業生追い出しライブの準備で手一杯なはずですし、テスト終わるのが2月の上旬で、再試験期間とかも考えると2月に余裕ある人は限られてくるかと思うんですが……」 愛衣先輩抜きでイベントを開催したことまだないくせに、いきなりイレギュラーなライブを挟むなんて無茶だ。 そう思って発言した後で、私が部会で手を挙げたのは初めてだと気付いた。 ……愛衣先輩が辞めることに対して、私自身結構動揺してしまっているのかもしれない。 壊してほしくない。愛衣先輩が残したこのサークルの秩序を。 「そのあたりはこれから部長と話し合って決めます。愛衣さんが気に入らないからって、部会に私情挟まないでくださーい」 予想通り、女が明らかに喧嘩を売ってきた。 「愛衣先輩に恩返ししたくないとは言ってません。感謝を伝えるならサークルとしてのライブイベント以外にも方法があるんじゃないかって言ってるんです」 「そんなこと言って、気に食わないだけでしょ? そもそも愛衣さんがサークルやめたのだって、あんたのせいじゃないの?」 黒ネイル女の隣に立つ友達が、腕を組んで反論してくる。 「愛衣さんが嫌がってるのに由良さんにちょっかいかけ続けて、愛衣さんにも限界が来たんだってあたしは思ってんだけど。折角だからこのライブで謝罪したら? 愛衣さんもスッキリすると思うよ」 「俺のことは今関係ねぇだろ」 上級学年が座る方の席に付いている由良先輩が、腕を組んだまま口を出した。 黒ネイル女がその言葉にムッとする。 「関係ありますよ! 由良さんがその女に揺れたから、愛衣さん追い詰められて……っ! ていうか由良さん、昨日図書館で一緒に勉強してたってマジですか? 愛衣さんから乗り換えたんですか? タイミング的に、愛衣さんがサークルやめたの、由良さんたちのせいとしか考えられないんですけど」 ――由良先輩は関係ないし、今してるのはライブの話なんだけど、と苛立ち、思わず立ち上がろうとしたその時、 ぷっと由良先輩の前方の席で吹き出す音が聞こえた。 それは徐々に大きな笑いへと変わり、全員がそちらに目を向ける。 そこに座っているのは、いつも部会に手ぶらで参加する伊月先輩だ。 肩を震わせて笑うその姿は、緊迫したこの状況には似つかわしくないものだった。 「……伊月さん、何がおかしいんですか?」 「あー、ごめん。」 一通り笑い終えたらしい伊月先輩が顔を上げ、ゆるりと口角を上げて言う。 「私情挟んでんのはお前らだろ、と思って」 しん、と会議室内が静まり返った。 いつもゆるゆると優しい口調で喋る伊月先輩のこういう発言には、場を黙らせる強力な力がある。 「ライブやるってなったら決めることいっぱいあるよ。開催費をどうするか、車出しを誰にするか、どのバンドが参加するか、桜狐が言ってた通り場所も決めなきゃいけないし、それぞれのバンドの練習もある。それ全部君たちにできるの? イベントを一から準備することに慣れてもいないのに、一ヶ月以内に全部決めて開催できるって本気で思ってる? 愛衣ちゃんに感謝を伝えたいなら、サークル巻き込んでないで個人でやってろよってのが俺の意見かな」 反論意見は出なかった。というより、伊月先輩のこの圧に勝てる人間がこのサークル内にはいない。 伊月先輩の黒い部分を見たことがなかった人もいただろう。 誰もが黙り込み、最終的に部長が「……あ、じゃあ、この件は保留ってことで」と情けない声を出して、最悪な空気のまま今週の部会は終わった。 お通夜かな? ってくらい静かな中、サークルメンバーたちが鞄を背負って部屋を出ていく音だけが響く。 廊下に出てから色々と何か言っている人たちもいるようだが、話の内容までは聞こえなかった。 いつもであれば部会の後はみんなでご飯食べへ行ったり遊びに行ったりするメンバーも多いのだが、今日ばかりはそんな空気でもなかった。 私が由良先輩と伊月先輩の方をじっと見て突っ立っているのを見て、「先帰るから。お疲れ」と小百合が一人で帰っていく。 私は荷物を纏め、由良先輩たち上級学年の席の方へ歩いていった。 「由良先輩。ごめんなさい」 由良先輩が私を振り返る。 「……何が?」 「私と今一緒にいたら、色々文句言われて大変ですよね」 さっきだって、どこから目撃情報が流れたんだか知らないが、一緒に図書館で勉強していたこともバレていた。 愛衣先輩と別れた由良先輩だって、そんなことしてたら愛衣先輩信者からのバッシング対象になるだろう。 「私しばらく由良先輩と距離を置きます…………と言った方がいいんでしょうけど、由良先輩が好きなので正直置きたくないです」 真剣な表情で正直な気持ちを言ってみせると、由良先輩が破顔した。 「別に何言われたって気にならねぇからいいよ」 由良先輩ならそう言ってくれると思ってた。 私はほっとした後、前方にいる伊月先輩の方を見た。 「い、つき先輩」 今は一対一じゃなくて由良先輩もいるおかげで話しかけやすい。でも、あれ以来久しぶりにその名前を呼ぶせいでうまく呼べなかった。 伊月先輩の整った顔がこちらを向く。 「……ありがとうございました」 味方してくれて。 あの夜があったせいで伊月先輩が何考えてるのか分かんなくてまだちょっと怖いけど、さっきのは確実に、私の意見を守るために言ってくれた。 もうセフレとして伊月先輩と関わることはしないけど、先輩としての恩はある。これまでも。 「桜狐の熱い告白を聞いたところで恐縮だけど、俺桜狐のこと由良にあげるつもりないよ」 え、なんの話? 伊月先輩は困惑する私を見つめながら、長机に腰掛けてその長い脚を組む。 「昨日は由良と勉強してたんだ? 仲良いね。俺からの連絡は無視するのに」 あ、そういえば伊月先輩のこともブロックしてたんだった……と気まずくなった。 いやでも、結構無理矢理色々された件についての謝罪もないし、私悪くなくない? 「ちなみに由良より俺の方が成績いいよ」 「……何の話ですか」 「由良じゃなくて俺に教わった方がよくない?って話」 「私の話聞いてくれない伊月先輩より、由良先輩の方がいいです。私は」 ハッキリ言うと、伊月先輩の眉がピクリと動いた。 「ああそう。付き合うの? 由良と」 「いや、それはまだ……ゆっくり落としていこうというところですけど」 落とせる見込みは今のところないですけど、というのは悔しいから黙っておこう。 その時ふと、小百合の話や由良先輩から聞いた愛衣先輩の話を思い出し、あの話が本当なら……と意地悪なことを言ってみたくなった。 「さっきから何なんですか? 嫉妬ですか、伊月先輩。まるで私のこと好きみたいですよ」 ちょっとした挑発のつもりだったのに、不自然な沈黙が走るものだから余計気まずくなった。 私が自意識過剰な恥ずかしい人みたいじゃん、と思って発言を撤回しようとしたその時、伏し目がちだった伊月先輩が肯定する。 「そうだよ。全部嫉妬だよ」 長机から立ち上がった伊月先輩がゆっくりとこちらへ近付いてきた。 「桜狐に友達ができてウザがったのも、あの日由良と会わせたくなかったのも、他のセフレを切らせるように誘導したのも、桜狐に俺としか関わってほしくなかったから」 あまりに真っ直ぐ見つめてくるから、隣に由良先輩がいるのに、伊月先輩から目を逸らすことが全くできない。 「でも、俺が切られるのは想定外だった」 「……」 「って言っても、どうせ桜狐は信じてくれないよね」 自嘲的に笑った伊月先輩が、私の手を掴んで引っ張ってこようとしたので、思わずその手を振り払った。 「な、何ちょっと悲しそうな顔してんですか。らしくないですよ。てか、伊月先輩にそんな被害者面する資格あります? 私あの日怖かったんですよ、伊月先輩のこと。あれ、私が好きだから由良先輩のところに行ってほしくなかったってことですか? じゃあそう言ってくれたらよかったのに、何も言わないから普通に怖かったんですけど。謝罪してください」 「ごめんって言ったらまた俺のところ来てくれるの?」 「いや、それは保証できないですけど! 私もうセフレは全員切るって決めたんで」 「“セフレ”ね。どんなに心の隙間に入り込んでも、ずっと傍にいても、俺って所詮桜狐にとってただのセフレなんだね」 伊月先輩のこんな声のトーンを初めて聞いた。小百合の話を聞いた後も実はちょっと疑ってたけど、こんな顔されたら信じてしまう――この人私のこと好きなんだって。 「……言うの、遅いですよ」 「言っても信じてくれなかったのは桜狐でしょ」 「じゃあ何回も言ってくださいよ。人間のコミュニケーションには言葉っていう立派な手段があるんです」 愛衣先輩を利用したり、回りくどいことをしたりする前に、私に好意を信じさせてほしかった。 「伊月先輩、実はめちゃめちゃ拗らせメンヘラだったりします?」 「言うねぇ」 「私の何がそんなに好きなんですか? 伊月先輩の周りには他にも可愛い子いっぱいいるじゃないですか。私に執着する理由が分かんない」 「桜狐がどう思おうと、俺はずっと桜狐のこと好きだったよ」 真っ直ぐな目で言われた久しぶりの“好き”に動揺した。 何も言えずに見つめ返していると、伊月先輩がゆっくり口を開き、話し始めた。 いつから私のことを好きだったのかを。
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