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~伊月編~
新歓で先輩に食われる新入生女子ってバカだと思う、ぶっちゃけ。
先輩フィルターと新しい環境でハイになっちゃってヤリモクかどうかすら見分けらんないんだろうなって。
だから桜狐の第一印象も
バカでチョロそうな女
だった。
俺が三年生になった春。
新入生歓迎飲み会の席に、おぼこいって言葉がぴったりな、染めたことのなさそうな黒髪に、まだ慣れていないであろう下手なアイメイクをした、ソワソワしながら座っている女の子がいた。
隣に座った真面目に軽音やってるわけでもないそろそろ退部しそうな気配がするヤリチンの男の話を目をキラキラさせて聞いてるその様子を見て、あーこの後お持ち帰りされるんだろうなこの子と思った。垢抜けてないけどウブそうで顔が可愛い、男の餌になりそうなタイプだ。可哀想に。
まあ俺に関係ないので俺はその後別の子と抜け出してイチャイチャしたけど。
ヤリチンに引っかかっていたその新入生と再会したのは飲み屋。新入生歓迎会から数ヶ月が経った頃だった。
その子は誰かを待っている様子だった。つい声を掛けてしまったのは、その子が再生していた曲が、俺の好きなBlueNovelというバンドの曲だったからだ。
BlueNovelは二十年前、俺たちの世代が生まれてすぐの頃に解散しているバンドだ。この子で言えばまだ生まれてすらいないだろう。知っている人自体珍しいそのアーティストの曲をその子は聞いていた。身近でBlueNovelを聴いている人に出会ったのは初めてだった。
思わず話し掛けてすぐ、随分雰囲気変わったなと思った。
前までつい最近まで高校生をしていたのが丸分かりな様相だったのに、髪を染めパーマを当て、アイラインもちゃんと引けるようになっていた。その爪に施されたネイルや耳についたアクセサリーは女子大生っぽくて、ちょっと抱きたいかもと思ってしまった。
再会と言っても会話をしたことはなかったので、その子は俺が同じサークルの人間だとは気付いていなかった。面白そうだから後からバラそうと思って言わなかった。
名前は桜狐と言うらしい。
意気投合して、お持ち帰りできるかなと思った頃に別の男が来た。
「あ、これ? 私のセフレ」
当然のように紹介してくるその態度にギョッとした。
いやお前そんなキャラじゃなかっただろ、ついこの間まで恥ずかしそうに俯いてクズ男に口説かれながら全部真に受けてたアホだっただろって。
「せっかくだし3Pする?」
試すみたいに俺を見上げてくる猫みたいにはねたアイラインが色っぽくて、
女の子ってたった数ヶ月でここまで変われるんだ
って興味を持ったのが始まり。
据え膳は食うし面白いから3Pした。それから流れで二人でもするようになった。
桜狐に出会ってから、俺は久しぶりにBlueNovelの楽曲を聴くようになった。中高生の頃毎日聴いていたが、大学生になってから聴くとまた違った印象を受ける、不思議なバンドだ。解散理由は明かされていない。今彼らが何をしているのかは分からない。もう二度と聴けない、ライブにも行けないバンド。
「誰ですか? このアーティスト。たまに流してますよね」
俺が食った新入生の小百合ちゃんが上目遣いで聞いてきた。そうだよねえ、普通知らないよね。
「BlueNovel。俺この曲一番好きなんだよね」
「……聞いたことないですね」
あんまり有名でもないからねぇ、と適当に返答した。
桜狐のことは何度も抱いた。桜狐も俺のことは気に入ってくれた様子だった。
一緒に外食したり、出かけたりした。桜狐が料理を作ってくれたりもした。桜狐の作るご飯は好きだった。
桜狐はそれなりに性格が悪くて、一緒にいて本音で話せて楽だったし、話も合うと思った。
でもそれだけだった。気が合って多分音楽の趣味も合う面白いセフレ。俺にとって桜狐はその程度の存在だった。
――ただそれだけだった印象が覆ったのは、新入生歓迎ライブの日だった。
どうせ数ヶ月後には辞める興味本位で試しに入った初心者も多い中、その拙い演奏を聴くのが面倒で俺はほとんどスマホをいじっていた。
俺がその日初めて顔を上げたのはBlueNovelのイントロが耳に入ってきた時だった。
俺が一番好きな曲。
眩いライトの下で自信ありげな笑顔を浮かべて立っていたのは桜狐だった。
歌い出し。
普段の声と歌声の違いに驚いた。全然可愛くない、どちらかと言えば相手を脅すような低音の歌声。
“この曲最高でしょ?”って言いたげな笑顔で、俺が好きな悪戯っ子みたいな笑顔で、会場全体を震わせるような迫力のある声を出す。
その表情から目が離せなくて、どこで息継ぎするかも分からないようなこの曲を易易と歌いきっているのが俺よりも小さな身体であることが信じられなかった。
何よりも、BlueNovelをよく聴き込んでいるのが分かる再現度で、自分の声の強みも活かしている。
お前そんな楽しそうな顔するんだ、と見入ると同時に、転調前の声の出し方に鳥肌が立った。
――――……そう、BlueNovelのボーカルは、転調する前に声が枯れるくらい、叫ぶみたいに歌う。
見たくてももう見られない、二度とお目にかかることはできないであろうBlueNovelのライブに参加できたような満足感が後に残った。
俺以外も当然圧倒されたようで、ギターの音が消えた後、不自然な静けさが場を包んだ。
「と、鳥肌立ちました。凄……あの子」
隣の小百合ちゃんが自分を抱くようにして腕を擦っている。
そりゃそうだ、音楽好きなくせにあの歌声の凄さが分からない奴は耳が悪いとしか思えない。
『これは、BlueNovelってバンドの曲です』
新歓バンドは新入生が何かコメントをするルールになっている。マイクを持った桜狐が、バンド名を紹介した。
その名前を聞いた小百合ちゃんが、ハッとして隣から俺を見上げるのが視界の隅に映った。でもそちらを見る気にはもうなれなかった。
一分一秒でも惜しい。マイクを通したあの子の声にずっと浸っていたい。
『二十年前に解散したバンドなんですけど』
――知っている。
『私が中学生の時に、ボーカルの人が、肺癌で亡くなって。』
――俺は高校生の時だった。
『もしかしたらまたいつか再結成するかもなんて期待しながら生きてた私はめちゃくちゃ泣いたんですよね。それくらいこのバンドが好きでした』
――俺もしばらく飯食えなかった。
『だからこの曲歌うの大好きなんです。歌ってるとその人の遺したものと繋がれる気がして。……あ、曲名言うの忘れてました』
ふと思い出して焦ったように、桜狐が説明を付け足す。
『曲名は、fatumです』
多分俺が桜狐への恋心を自覚したのはこの時だったと思う。
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