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本当の気持ち
「ガチじゃないですか…………」
正直ドン引きである。
そんな素振りをこれまで見せていたら心構えができてここまで引かなかったかもしれないが、伊月先輩は今まで色んな女とふらりふらりと遊んでいたのだ。察しろという方が難しい。
なんかちょっと由良先輩の気持ちが分かった気がする。私も色んな男と遊びながら由良先輩に好きですって言ったもんね。そりゃ混乱するね。
「そんな激重感情ずっと抱いてたんですか? 怖いです」
「ほら、そういう反応するじゃん」
そりゃするわ。涼しい顔して裏ではそんなこと考えて複雑な駆け引きしてただなんて怖すぎる。
伊月先輩は、はぁ、と大きな溜め息を吐いて私を見据えた。
「俺由良よりベースうまいよ?」
「由良先輩の専門ギターなんだから当たり前じゃないですか」
「セックスも俺の方がうまいと思うけど」
「変なところで張り合わないでください」
意味の分からないアピールをしてくるあたり、伊月先輩が冷静じゃないことだけは分かった。
由良先輩を振り返ると、由良先輩は何を考えているんだか推測できない目をしている。
「……私は一緒に泊まっても全然手出してこない由良先輩みたいな人が好きです」
改めて、由良先輩にも聞こえるようにそう言った。
「夜に帰る時家まで送ってくれる人が好きです」
伊月先輩は、私の後に他の女の子が来る夜私のことを追い出して、送ろうともしなかった。
「全然遊んでなくて、」
新入生の時、私に好きだの可愛いだの言うだけ言って抱いてやり捨てしたチャラい先輩の顔が脳裏を過ぎる。
「私のことポイ捨てしない人が好き」
――そう、私は多分まだあのことがトラウマで、だから遊んでいる人は無理なのだ。
だから伊月先輩のことずっとそういう目では見てこなかったし、今後もきっと見れないと思う。
数秒間伊月先輩と見つめ合う変な間ができた。
私と由良先輩と伊月先輩しかいなくなったこの部屋は妙に静かで、さっきまで部会で揉めていた部屋とは別の空間にも思えた。
と。不意に、伊月先輩が窓際まで歩いて行く。
どうしたんだろう、と無言でその様子を窺っていると、伊月先輩がガラリと窓を開けた。
そしてポケットから自分のスマホを取り出し――それを窓の外に投げた。
共通教育棟の5階に位置するこの会議室から、だ。投げられたiPhoneが無事でないことは推測できるし、私はそのiPhoneが最新型であることも知っている。
「今円安ですよ何やってんですか!?」
iPhoneバカ高いんですからね!? と悲鳴にも近い声を出すが、伊月先輩は何でもないような表情で窓を閉める。
「バックアップ取ってないから」
「余計ヤバいし!」
「これでもう他の女の連絡先全部消えたよ」
「はい~……?」
「全部のSNSのアカウント新しく作るし、桜狐としか交換しない」
頭が痛くなってきた。真顔で何を言ってるんだ、この男は。
「別にそんなこと、求めてないです」
「求められてなくても必死なんだよ、こっちは。ねぇ、どうしたら由良みたいになれる? どうしたら桜狐に信用してもらえる? 俺別に今後桜狐としか喋んなくてもいいよ。他の子に色目使わないし、桜狐が望むなら何でもする」
伊月先輩が私の手首を掴んできた。
何で? そんなキャラじゃなかったじゃん、伊月先輩。いっつも余裕そうで他人のこと舐めてて、女に執着したことなんてなさげな表情してたじゃん。
「……伊月先輩、」
「また会うって言うまでこの手離さないから」
伊月先輩に手首を掴まれ、駄々っ子か、とツッコミを入れたくなってしまう。
その時、不意に後ろの由良先輩が立ち上がり、伊月先輩に掴まれている方の私の手を軽く引っ張った。
「ビビってるだろ」
私の背中と由良先輩の体が触れている。突然の至近距離に狼狽えた。
「今俺は桜狐と話してるんだけど。」
「桜狐が動揺してる。無理強いすんなよ」
「……」
伊月先輩は一瞬凄く怖い顔で由良先輩の方を睨んだが、無言で私の手を離す。
「この際だから由良もはっきりさせてくんない? 桜狐のことフるのかフらないのか」
伊月先輩の言葉でピリついた空気が流れる中、これって私を巡って争わないでって言う場面なんだろうか……と妙に冷静な自分がいた。
「とっくの昔にフってっけど」
「フってるのに曖昧な態度取るから桜狐が変な期待持つんじゃん。桜狐がもう何の希望も抱かないようにメンタルズタボロになるくらいのフり方してよ。そしたら俺慰められるし、つけ入れるから」
「……」
仮にも好きな子のメンタルがズタボロになることを望む伊月先輩どうなんだろうと呆れていると、由良先輩も同じことを思ったらしく、少し黙った後で、
「やっぱ無理。お前みてぇな奴にこいつ預けらんねえ」
と吐き捨てた。
「――桜狐」
「えっ、あっハイっ」
突然名前を呼ばれて情けない返事をしてしまった。
「帰るぞ」
差し出された手を反射的に受け取ると、由良先輩は私の手を引っ張って伊月先輩の前を通り過ぎた。
伊月先輩がまた私の手を掴んで引き止めようとしてくるから、慌てて避けて振り返って言う。
「私は由良先輩が好きなんで……! ごめんなさい!」
怖くて伊月先輩の顔は見れなかった。
そのまま早足で由良先輩と一緒に会議室を出た後どっと疲れが襲ってきて、大きな溜め息を吐く。
本当に私のこと好きだったんだ、伊月先輩。
スマホ投げ捨てるくらいだもんな。
いつも余裕そうな伊月先輩の余裕がなくなっていることを感じる。
そういえば他人から本気の好意を向けられたの初めてかもしれない、と思っていた時、由良先輩の私の手を掴む力が強くて現実に引き戻された。
「い、た、ちょっと痛いです、由良先輩」
「……あ、わり」
考え事をしていた様子の由良先輩がぱっと私の手を離した。
廊下を歩いて一緒にエレベーターに乗った後、私は由良先輩にお礼を言った。
「ありがとうございます。助けてくれて」
「……そうだな」
「……どうしたんですか? さっきから歯切れ悪いですよ」
エレベーターが一階に到着しドアが開く。
一緒に共通教育棟から出て、既に暗くなっている大学敷地内の道を歩いた。
「伊月のあんな表情を初めて見た」
「ああ……そうですね。私も初めてあんな必死なところ見ました」
「マジで本気だったんだな。あいつ」
敷地の向こう側にある横断歩道を見つめる由良先輩の横顔は相変わらず整っている。
でも今はそれに見惚れるほど心に余裕がない。まだ伊月先輩の言動を思い出して動揺している。
「あ、由良先輩、今日は送ってくれなくていいです。この時間帯バスまだ出てるんで」
私は駆け足で横断歩道を渡り、バス停を指差した。
いつもこういう時はバスが出ていようがいなかろうが“送ってください♡”アピールをするはずの私の変わり様に由良先輩は訝しげな顔をしたが、「……分かった」と私を一人にしてくれた。
そう、一人になりたかった。
他人から強い感情を抱かれるのが初めてで、その相手がこれまで嫌われ者の私の傍にずっといてくれた伊月先輩で――その事実に、変に胸がざわざわして落ち着かないから。
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