本当の気持ち

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 : 「桜狐。LINE交換しよ」 翌日講義室へ行くと、伊月先輩が同じ階の廊下で壁に背を預けて待ち構えていた。それも、新しくなったiPhoneを持って。 えっ話聞いてました? 私昨日由良先輩のことが好きって言いましたよね? という気持ちをグッと堪え、「嫌です」と冷たく返す。 「桜狐に怖い思いさせてばっかでごめん」 「現在進行系で今怖いんですけど」 「桜狐のこと好きすぎていつも空回っちゃうんだよね」 好きという言葉をあまりにもあっさりと発されて言葉に詰まった。 そんな“俺ドジっ子だよね、えへ”みたいなテンションで言われても、可愛くないですよ? 「俺新しいアカウント作ったよ。桜狐にブロックされてるアカウントとかいらないし」 「サークルのグループLINE入れば私の連絡先も出てくると思いますけど」 「桜狐としか交換しないって言ったでしょ?」 「いや、サークルからの連絡どうすんですか」 「桜狐から回してほしいな。じゃないと俺サークルの情報入ってこなくてイベント参加できないかも」 こんな面倒臭いことを言いながら立っているその姿ですら傍から見れば絵になるのだからスタイルのいいイケメンとは恐ろしい。廊下を歩いている人は絶対このイケメンがこんなこと言ってるって予想付かないだろうな……。 「ウザいです。伊月先輩には先輩としても友達としても感謝してますけど、恋人にはなれないです」 はっきり断っているはずなのに、伊月先輩はその言葉を聞いて弾けたように笑った。 「俺にウザいなんて言うの桜狐くらいだよ」 「な、何笑ってんですか。こっちは貶してるんですよ? 話聞いてます?」 「まぁいいよ、連絡先は今度でも。でもお昼ごはんは一緒に食べよ?」 「ええ……? 私小百合と食べるんですけど」 「……ふーん。小百合ちゃんとすっかり友達なんだね。桜狐に俺より仲良い存在がいるの嫉妬するなぁ」 「私が誰と仲良くしてようが伊月先輩には関係ないでしょ」 「じゃあ、今日は三人で食べる? 三人ならいい?」 「三人……まぁ、小百合は喜ぶと思いますけど」 「だろうね。じゃあ決まりね。二限終わったら迎えに行くから」 満足したように笑顔で頷いた伊月先輩は、ひらひらと手を振りながら去っていく。 ちょうど一限目が始まるくらいの時間になったので、私は慌てて講義室に入る。 あぁもう、調子狂う……。 この際だから伊月先輩のこと小百合に押し付けられないかな……。 面倒な伊月先輩を他人に押し付けると同時に小百合の恋のキューピッドになれるなら万万歳だ。 はぁ~~~と色々考えすぎてクソデカ溜め息を吐いていると、すっかり私の隣が馴染んだ小百合が不思議そうに「どうした?」と聞いてくる。 今日の昼伊月先輩が来てもいいか問うと、当然ながら 「え、え! そりゃもちろん大歓迎だけど!?」 と喜ばれた。 呑気なもんだ。  : 一限が終わった後、私は一階にある学生控室の自動販売機に温かいココアを買おうと階段を下りていた。 小百合は講義室で先生にさっきの授業の質問をしている。 仲が良いとはいえ常に行動を共にするわけではないベタベタしていない感じの距離感が私にはちょうどよく、これが小百合といて居心地がいい理由の一つだ。 二階に続く階段を下りようとした、その時。 ハーフ顔の美人でおっぱいも大きくて 髪の毛は染めてるわりに傷んでなくて 肌が白くて薄ピンクのリップが映えてて お洒落で垢抜けててしっかり者で勉強もできて 私の知る人間の中で一番完璧な女性(ひと)が、 私の隣を通り過ぎていく。 ふわりとシャンプーの良い香りが漂って、消えていった。 動くことができなかった。 すれ違いざまに何か言おうとして、でも何を言っていいのか分からなくて黙り込んだ。 立ち止まった数秒間脳裏を過ぎったのは、私が新入生の頃、  %color:#cdcbcb| と言ってくれた愛衣先輩の笑顔だった。 愛衣先輩は順調に単位を取りきっていて、もう大学に来ること自体少ないだろう。 これを逃したらもう会えないかもしれない。 私は振り返って走り、渡り廊下に繋がるドアを勢いよく開けてその名を呼んだ。 「愛衣先輩っ……」 愛衣先輩がゆっくりと振り返る。少し髪を切ったらしい愛衣先輩のミディアムヘアが風に揺れた。 「本当に辞めるんですか?」 少し距離があるためやや大きな声でそう聞いた。 「……まだ、卒業生を送り出すライブがあるのに」 あなたはサークルメンバーからあんなに愛されてるのに。 愛衣先輩がいない軽音サークルは、夜空に星がなくなったみたいに空っぽだ。 「けじめだから」 愛衣先輩が優しく笑って言った。その笑顔が前と変わっていなかったからほっとして一歩ずつ近付く。 「ライブ来るくらいよくないですか? みんな愛衣先輩とこのままお別れは嫌だって思ってます」 「ごめんね。一度決めたことを覆すようなことはもうしたくないの」 「……」 「由良から聞いたでしょ? わたしがどんな女か。わたし、桜狐ちゃんには喋っていいって言ったから」 愛衣先輩が空を見上げる。 「これまでも、わたし、正しくないことをした時は“もうこんなことしない”って思って、そう思ってるのに決意を覆して正しくないことを続けて……その繰り返しだった」 そしてまた私の方へ向き直り、既に覚悟を決めている人間の目をして言う。 「サークルをやめようと思ったのは、桜狐ちゃんとか伊月くんが関係してるわけじゃない。元々あのサークルはわたしには重荷だった。幹部は仕事しないし、全部わたしに押し付けるし、わたしいつまでこれやらなきゃいけないんだろうってずっと思ってた。自分を大切に、自分の気持ちを優先した時に、辞めるって選択肢が出てきたの」 あ、この人本当に辞めるんだ、最後のライブにも来ないんだと確信を持ててしまって、そう思った時に突然、当たり前にいた人がいなくなる寂しさに襲われた。 私の好きなあの軽音サークルをここまで大きくしたのは間違いなくこの人だ。 私が新入生の時、新入生歓迎の場の中心にいたのはいつも愛衣先輩だった。 愛衣先輩はサークルの柱で、いなきゃだめな人だった。……でも、もういなくなるんだ。 ここで愛衣先輩が辞めなくても、もうすぐ愛衣先輩は卒業する。世代交代の時が少し早く来ただけ。 「……今泣くの? 由良から、桜狐ちゃんはわたしと違ってあんまり泣かないって聞いてたのに」 確かに私の鼻にはいつの間にかツンとした痛みが走っていて、今瞬きをしたら涙が溢れるくらい目も赤くなっているだろう。 私のあの軽音サークルで過ごした二年間の中にずっと愛衣先輩がいた。間違いなく偉大な先輩だった、ずっと恋敵だったけど、その事実に変わりはない。 「ほんっと、ヤな女だなぁ、桜狐ちゃんは」 愛衣先輩がちょっと切なそうに笑った。 そりゃあ、愛衣先輩からしたら私はずっとヤな女だっただろう。大好きな伊月先輩の想い人で、彼氏の由良先輩にもちょっかいをかける女。そのくせ、自分がいなくなるとなると泣き出すのだから死ぬほど面倒な後輩だと思う。 私が必死に我慢しても出てくる涙を拭いている間、愛衣先輩は黙って私の傍にいてくれた。 こんなことをしていたら二限目が始まってしまうと思い、一生懸命涙を引っ込めて立ち去ろうとしたその時、愛衣先輩がはっきりとした口調で言い放つ。 「――よし、決めた。桜狐ちゃん、次の部長ね」 「……はい?」 その言葉を咀嚼するのに数秒かかった。 「え、いや、まだ幹部引退してないですし、時期外れですし、私が今なったら変ですよ」 「変じゃないよ。わたしも、前の部長から推薦されて例年とは違うタイミングで部長になったもん。それに、わたしが言うなら誰も文句言わないでしょ」 サークル内での自分の立ち位置や信者の数をよく理解しているらしい愛衣先輩は自信ありげにそう言ってみせた。 ……何で私? 私には愛衣先輩みたいなカリスマ性ないし、音楽サークルの中では一番人数の多いあの軽音サークルを引っ張っていける気なんてしない。 「桜狐ちゃんは物事の処理能力が高いし、ある程度はっきり物を言えるし、何より――」 しかし、愛衣先輩は前言撤回する様子はなく。 「うちの軽音サークルのこと大好きでしょう?」 その言葉を聞いて、この人私のことをずっと見ていてくれたんだ、と思った。
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