最後の餞

2/3
前へ
/49ページ
次へ
 : 演奏が終わる頃には汗をかいてしまっていた。 これほど全力で歌ったのは久しぶりだ。 袖から降りると、行く先に由良先輩がいた。 「お前らのバンドが一番良かった」 由良先輩はそう言って、投票用紙を見せてくる。 そこには、“WhiteNovel”というBlueNovelを捩って作った私たちのバンド名があった。 「……まだ全バンド終わってないですよ」 「でももう決定だろ」 「それは私への贔屓なんじゃないですか~?」 思ったより普通に話せている自分に驚いた。失恋した直後はあれほど引き摺って、体重増えたのに。 「贔屓じゃねえよ。普通にお前の歌声好き」 「それを贔屓って言うんです! ……ふん。フったくせに調子いいこと言わないでください。私近いうちにすげえいい男捕まえますから。その時後悔しても知りませんからね!」 軽く睨んでやると、由良先輩は少しキョトンとした後に、「っく、」と可笑しげに噛み殺すような笑いを見せた。 「楽しみにしとくわ。早く幸せになれよ」 ――由良先輩も。 と言おうとしたけれど、まだ由良先輩と他の女の幸せを願えるほどには立ち直れていないから飲み込んだ。 ……これを言うのは、また今度会えた時にしよう。 次の演奏が始まりそうなのでそれを見るため移動しようとした時、スマホが震える。 【いい演奏だった】 ――……愛衣先輩からのメッセージだ。 ライブハウスの後方に設置されたカメラは、愛衣先輩に向けてのライブ配信のために用意したものだ。 見てもらえるかは分からなかったが、ライブ準備の段階で思いつき急遽用意し、愛衣先輩に連絡を入れた。 実際にここに赴かなくても、観ることができるように。 愛衣先輩抜きで準備されたライブを見せて安心させたかったというのも目的だった。 正直見てもらえるとはあまり思っていなかったのだが、このタイミングでこのメッセージが来るということは、現在進行系で見てくれているのだろう。 小百合や咲希たちとのグループに【愛衣先輩見てくれてる】と送ると、【マジ!?】【ヤッター!!!!!】と愛衣先輩信者らしい反応やスタ爆が返ってきた。 さっき全力で歌ったことで少し疲れたので、自動販売機に水を買いに行こうと思って部屋を出た。 廊下は室内よりもひんやりとしていて気持ちがいい。タオルで汗を拭いてから、自動販売機に小銭を入れていると、不意に話しかけられる。 「ねえあれ、俺に向けて歌ったでしょ」 そこに立っていたのは伊月先輩だった。相変わらず足が長くてスタイルがいい。 「はい。伊月先輩に向けて歌いました」 正直に答えると、伊月先輩が無表情で私に近付いてくる。なんだなんだと思いながら取り急ぎ自販機のボタンを押し、落ちてきたペットボトルを取った。 「ちゅーしていい?」 「だめですけど?」 「だって桜狐が可愛いこと言うんだもん。不可抗力でしょ」 目がマジな伊月先輩が私の腕を掴んでじりじり壁に追い詰めてくるので、オイオイオイオイ!と全力で思って押し返す。 「桜狐、可愛い」 「分かりましたから退いてください」 「今までの歌で一番良かった。あの歌声他の奴らも聴いたと思うとむしゃくしゃする。今すぐ抱きたい」 「いやだめですからね。私もうセックスは正式に付き合った人としかしませんから」 「じゃあ付き合ってよ。俺桜狐のこと世界で一番大事にできる自信ある」 これまで散々女を道具としか扱ってこなかったくせに、その自信マジでどっから来るんですか? とツッコミを入れたい気持ちを堪える。 「桜狐、フラれたでしょ」 不意打ちで図星をつかれて顔を上げた。 「……何で知ってるんですか」 「由良が今日、愛衣ちゃんに改めて告りに行くって言ってたから。色々区切りついたんだろうなって」 見透かすような目で見下ろしてくる伊月先輩と目が合って、居心地が悪くなる。 「辛い?」 「……別に」 「慰めてあげよっか」 「いらないです」 「悲しい時は人と一緒にいた方がいいよ」 そんなの知っている。 だから私は色んな男を転々として、セフレを複数キープするって形でどうにか自分を守っていた。 今だってどっちの方が楽かって言うと、伊月先輩の好意に甘えて縋ることだろう。 伊月先輩に抱いてもらって、一緒にいてもらって、伊月先輩が私に向ける好きという気持ちで心を満たせたら、それはすごく心地がいいんだろうな。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加