「さようなら」

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柳井の目をまっすぐ捉えて櫻田が告げる。 逃げることを許さない強い瞳が濡れたように潤んでいる。止めようとした柳井に怒っているのか、唇がへの字に歪んでいた。 「その人はたぶん俺のことをそんなふうに思ってません。でも、どうしようもないんです。顔を見たら苦しくなるのはわかってます。それでも会えないのは、もっと苦しい」 櫻田は決して柳井の名前を出さなかった。けれど彼の告白が自分に向けたものだと言うことは確かだった。熱っぽい表情が、食い入るような視線が、雄弁に柳井への好意を物語っている。 思わず、息を呑んでいた。 櫻田のこの感情は知っていたつもりだった。ふと落ちる沈黙に混じる困惑と思慕。自分のことには鈍い柳井だけれど、人の心の機微には敏感だ。だからこのところの彼の様子に薄々気づいていた。 それなのに実際に言葉にされて柳井は怯んだ。直接的な告白でさえなかったのに動揺した。 柳井の困惑を感じ取った櫻田が気勢を下げる。彼が言う通り端から叶わぬ想いと覚悟しているのか、ふっと一つ息をつくといつもの落ち着いた様子に戻った。 「それが誰か、聞いてもくれないんですか」 囁くような声が二人の間に落ちる。吐息混じりの声を、柳井は側を通るトラックの走行音で聞こえないふりをして流した。 「家まで送ってくよ」 柳井の提案に櫻田は黙って首を振った。 「大丈夫です。今日は酔ってないので一人で帰れます」 そう言って、駅の方へ歩いてきた道を戻って行く。いつもはぴんと張った少年のような背中が少し曲がっている気がした。頼りなく映る後ろ姿に宛てもなく声をかけそうになって、思い止まる。 横断歩道を渡る前に振り返った櫻田は珍しく微笑んでいた。 「さようなら」 その静かな声はいつまでも耳に残った。
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