君の声

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手放したのは自分なのに。 おかしくなって微笑むと隣に人が立った。隙のないアイボリーのパンツスーツが似合っている。同じ営業部の隣の課で営業アシスタントをしている三十代後半の女性。 仕事上関わりはあるので話はするけれどプライベートなことを教え合うほど親しくない。だから軽く会釈をしてやり過ごそうとした柳井に彼女はふらりと体を寄せてきた。 「顔色いつも通りだけどちゃんと飲んでる?」 俗にお局と表現される類の押しの強い彼女は、同席する相手のためか氷を落としたグラスにウイスキーを注ぐ。腕を伸ばして柳井の前から水のボトルを持っていくと今度は自分のものなのか薄めに焼酎の水割りを作る。 幾つか種類がある焼酎のボトルを眺めていた柳井は曖昧に肯く。酔ってはいないけれど鱈腹ビールを飲んで満腹になっている。これ以上飲まされたくはない。 「今日は接待する側なのでほどほどに楽しんでます」 結局馴染みのある銘柄を手に取って自分で水割りを作る。これで酌をしたとしても注ぎ返されることはないだろう。それを持って一人でテーブルにいる取引先のところへ行こうとしたらまた呼び止められた。 「あのさ、こんな所で聞くのもアレなんだけど、柳井くんって彼女いるって本当?」 内緒話をするようにすり寄られたので小声でも充分聞こえた。しかしそんなプライベートなことをいま尋ねられるとは思ってもいなかったのでぽかんとしてしまう。 見た目にはわからないけれど目の前の女性は結構酔っているのかもしれない。そう思わせる媚を多分に含んだ声色だった。 「いえ、いませんけど」 律儀に答えると彼女は小鼻を膨らませながら満面の笑みを浮かべた。そういえば女性たちの間で賭けが行われていたなと思い出す。この女性は『いない』にかけていたのかもしれない。だから嬉しいのだろう。 暇なことをする、と内心眉を顰める。賭けの対象にされていい気はしない。それにそれほど自分の恋愛事情に興味があるのかと思うとぞっとした。 この顔のせいで殊色恋沙汰についてはあることないこと噂をされてきた。あの横柄な代理店の担当になったのだってそこそこ数字があるからノルマのために、と言うのは建前で、担当者が女性だから柳井であれば上手く立ち回るだろうと前任者が押し付けてきたのだ。 そんなに自分は上手に女性を遇らえない。周りが見込んでいるほど器用な男ではない。虚像と実際の落差で柳井は胃のあたりが重くなった。
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