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第2話
今どき恋愛で性別を問題にする人間はレッドリストに入れていいほど珍しい。遺伝子を弄れば異星人と子供も望める時代である。それなのにどうして自分は皆に対して『シドの恋人です』と公言することを当のシドから口止めされねばならないのか。
唇を尖らせ、つまらなそうに歩くハイファにシドはチラリと目をやった。
身長はあるものの華奢に見えるほど躰は薄く細い。上品なドレスシャツとソフトスーツを身に着けている。タイまでは締めず、ややラフな感じはなるべくシドに合わせようとしているのか。
シャギーを入れた明るい金髪は後ろ髪だけ長く、うなじで縛ってしっぽにしていた。瞳は優しげな若草色で誰が見てもノーブルな美人である。
日々諜報と謀略の情報戦を繰り広げる中央情報局第二部別室で宇宙を駆け巡るスパイだったハイファは、そんな女性と見紛うミテクレとノンバイナリー寄りの性格に後天的要因が重なってバイとなった身までを利用し、敵をタラしては情報を分捕るという、きわどい手法ながらも躰を張って任務をこなしていた。
そのハイファがシドと初めて組んだのは惑星警察に出向する前だった。別室任務の一環で、とある事件を追うために刑事のふりをして機捜課に潜入し、警察権を行使し捜査したのである。
二人の捜査の甲斐あって事件のホシは当局に拘束された。だがそれだけでは終わらなかった。ホシが雇った暗殺者に二人は狙われたのだ。
暗殺者の手にしたビームライフルの照準はシドに合わされていた。しかしビームの一撃を食らったのはハイファだった。シドを庇ったのだ。お蔭でハイファの上半身は半分以上が培養移植モノである。
けれど奇跡的に助かり病院のベッドで目覚めたハイファを待っていたのは、シドの一世一代の告白という嬉しいサプライズだった。
失くしかけてみてシドは失くしたくないものの存在に気付いたのである。
そしてハイファに言ったのだ、『この俺をやる』と。
勿論ハイファは天にも昇る気持ちだった。だがその影響は思わぬ処に波及した。
七年越しの想いが叶ってシドと結ばれた途端ハイファは躰を張ったスパイ稼業が務まらなくなってしまったのだ。
敵をタラしてもその先ができない、平たく云えばシドしか受け付けない、シドとしか行為に及べない躰になってしまったのである。
だからといって中央情報局第二部別室は存在すら世間に公表されていない、知る者は限られた一握りという部署だ。内情を知りすぎたハイファを簡単には手放せない。
だが丁度その頃だった。別室戦術コンが『昨今の案件の傾向による恒常的警察力の必要性』なるご高説を弾き出したのは。
そのためハイファは綺麗に消されるか他星系の激戦地に放り込まれる代わりに惑星警察へ出向なる名目の左遷になったのである。
こうして新人刑事ハイファはシドとクリティカルな日々を送ることになった。
ハイファがまだテラ連邦軍に籍を置いた現役軍人で別室員だという事実は機動捜査課ではシドとヴィンティス課長しか知らない軍機、軍事機密だ。何も知らない周囲が謎めいた新人の出現に騒ぐのも仕方のないことではあった。
何せ皆、ヒマだ。
「『俺だから』って何それ? 僕だって貴方が照れ屋なのは知ってるよ。でも否定の仕方が露骨すぎて噂の火に油を注いでるって空気くらい読めない訳?」
「別に大声で触れ回ることでもねぇだろうが」
「そうは言わないけど、あそこまでムキになって否定される僕の気持ちも考えてよ」
「考えたって状況は変わんねぇしさ……あああ、何だってんだ、くそう!」
グイグイ歩きながらシドは古巣の居心地の悪さを思い出して更に機嫌が悪くなる。
シド自身からして信じがたいことでもあったのだ。七年間も執拗なアタックを受け続けていたとはいえ、元々完全ストレート性癖で女の子大好き人間だったのだから。
ワーカホリック故に来るもの拒まず去るもの追わずをモットーとしながらも、何人もの彼女と付き合ってきた。
そんな自分がたまたま忙しさにかまけて彼女に去られた隙に、まさか手近な同性で親友のハイファに転ぶなどとは……。
まさに青天の霹靂で、故にうろたえ周囲にはニヤニヤ笑いでからかわれ冷やかされいたたまれずに表をほっつき歩いては管内の事件・事故発生率向上に随分と貢献し、それで署に帰れば事実を糊塗しようと躍起になって事実否認を繰り返してきたのだ。
つまり原因は機捜課でも皆に知られたシドの女性遍歴とも云える。
手近な親友に堕ちてしまった事実はシドにとって地軸が引っ繰り返ったような出来事であり、それは周囲にとっても若宮志度という男の恋愛観におけるイメージを羨望から大きくシフトさせるに充分だったのだ。
男主体の職場だと構う方もムキになる方も中学生男子並みである。
「でもサ、もう二ヶ月だよ。いい加減に飽きない?」
「あれから二ヶ月も経つのか――」
三月とはいえ北半球中緯度のセントラルエリアはまだ寒く、ビルの影に入るたびにファイバブロックの地面から冷気が立ち上ってくるのが感じられる。
ハイファはスプリングコートの襟元をかき合わせた。責められ言い訳に終始して体温が上がったのかシドは対衝撃ジャケットの前を開けたままだ。
常日頃から『刑事は歩いてなんぼ』を信条とするシドは、コイルも歩道脇に併設されたスライドロードも使わない。二人は自らの足で署までの長い道のりを歩く。
ヴィンティス課長が胃を痛め、血圧を下げてまで『やめてくれ』と懇願する足での捜査というか私服での密行警邏はイヴェントストライカのお蔭で犯罪を防いでいるのか、はたまた余計にストライクするイヴェントをこさえているのか分からない。
今日も合法ドラッグに過剰トリップし往来で野球拳をしていたカップルを厚生局に引き渡し、中年男を取り囲んで凄んでいた青少年たちに更に凄んで説諭・解散させ、地上数十メートルの高層マンションからシドの鼻先ギリギリに降ってきたサボテンの鉢植えの持ち主に後日必ず出頭するよう言い聞かせ、ようやく署に辿り着いた。
コイル事故現場を離れたのは十五時半頃なのに今は陽も暮れかけていた。
やっと七分署のエントランスで正面のオートスロープではなく脇の階段に足を掛ける。そのときハイファの左手首に嵌めた別室員仕様のごついリモータが震えた。
携帯コンでもマルチコミュニケータでもあるリモータは、現代の高度文明圏に暮らす者なら必要不可欠な機器で、現金を持たない現代人の財布でもあった。これがなければ飲料一本買えず、自宅にも入れないという事態に陥るのだ。
上流階級者はこれに装飾を施したり、護身用麻痺レーザーを搭載することもある。
「何だ、発振か。別室からか?」
小さな画面を注視するハイファが柳眉をひそめたのを見てシドが訊いた。
「違う、そんなんじゃなくて私事」
「訊いても構わねぇなら教えろよ」
ついぞ聞かないハイファの友人関係に興味を持ったが返事は想定外だった。
「昨日、ファサルートコーポレーション会長のメッテルニヒ=ファサルート二百五十五世が死んだって」
「って、それ、お前の祖父さんじゃ?」
「そうだね」
「そうだねって……じゃあ、順当に行けばお前の親父さんが会長、お前が社長か?」
「今、訊かれても分からないよ。株主総会や役員たちがどう出るかにも依るし」
「でもお前ん家はずっと世襲制だろ?」
疑問形で口に出したがシドはとうに知っていたことである。揉めるのが嫌でハイファは軍に逃げたと以前に聞いていたからだ。
「僕は遠縁から貰った婿養子の、そのまた妾の子だからね。名前にはファサルートの二百五十八世なんてくっついてても、本当の意味でファサルートの血は殆ど持ってない。だから止められても結局は勝手にテラ連邦軍に入隊できたんだけど」
「それでも名前がお前を縛ってるから、正式に呼ばれるのが嫌いなんだろ?」
口にしながらシドは不穏なものが胸に湧き上がってくるのを感じる。
自分の職務上のバディで誰よりも大切に想うハイファス=ファサルート二百五十八世はAD世紀の昔から続くファサルートコーポレーション現社長の非嫡出子だった。
石炭・石油からメタンハイドレード、重水素に核融合技術などを経て、現在は主に他星系のレアメタルの流通を手がけているファサルートコーポレーション・通称FCは、テラ連邦でも有数のエネルギー関連会社というだけでなく血族の結束が固いことでも有名だ。
その現社長の愛人の子であるハイファは正当な跡継ぎが夭折したため幼い頃に認知されたのだが、家族とも呼べぬ家族とは至極冷たい関係だったらしい。
彼らに反発したハイファは跡を継がない意思を確固として示すために、制止を振り切ってテラ連邦軍の少年工科学校にテラ標準歴十五歳で入隊したのだ。
それでも消せないしがらみはついて回り、名ばかりではあるが今以てハイファはFCの本社代表取締役専務という肩書きを背負わされている。それは本当に名ばかりで月に一度ほどリモータに溜まった書類を機械的に処理するだけなのだが……。
「普通は葬式には出なきゃならねぇよな?」
「それだけじゃ済まなくなりそうだから出ない方が賢明だろうけど、どうしよう?」
「場所は何処だ?」
「本社で社葬。上空五百キロの第二商用衛星バルナだね」
珍しく陰鬱な顔をしているハイファに死者への弔意は感じられない。ただただ面倒なことになったという思いばかり、後継ぎ問題や家族との対面が気に掛かっているのだろう。
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