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第8話
けれどシドは聴取しようと群がる彼らに対し、極めて簡素な説明をしただけで背を向ける。
何はともあれハイファをステーション内の医務室につれて行くためだったが実際にやったことは非常に単純かつ簡単だったので殆ど言うべきこともなかった。
とにかく医務室でハイファを医師に任せた。これで約一時間は休ませられる。
すると心に僅かな余裕が生まれ、同業者に悪いような気がしてきたので急いでBELの離発着場に戻った。その頃には居合わせた人々も七分署に問い合わせた回答を得ていたらしく、皆の強張った顔には『何故戻ってきたんだ?』と書いてあった。お蔭で実況見分もするすると終わり医務室に駆け戻る。
ハイファは処置室で点滴を受けながらベッドに横になっていた。傍に置いたパイプ椅子に前後逆に腰掛けてシドはハイファを眺める。
常日頃から明るく軽くそつのない振る舞いをする男だ。スパイという職務上必要なことだと思われる。それだけに本心を表に出さないのが習い性になっているらしい。
そんな男がここまで弱るとは本当に具合が悪かったのだろう。この状態の原因は自分だと解っているだけに、さすがのシドも自分への怒りはさておき本気で萎れていた。
点滴のお蔭か少々顔色は良くなったものの瞑目したまま横たわる華奢なほどに細い躰は本当に休息を要していたようで、ぐったりと仰臥して動かない。
どうしたものかとシドは思案する。本当にハイファをバルナのFC本社に行かせて良いのだろうかと考えたのだ。
自分の所業を棚に上げるようだがハイファもいつになく切実な求め方をしていた。今朝も少し様子が変だと気付いたし、何処か心ここにあらずという風情で妙に危なっかしいのだ。
躰は隣にいるのに心はいないような雰囲気である。
だが理由を訊いても答えないだろう。言いたくなければ七年間も口を閉ざす男だ。
ふと気付いて重いであろう武装を解いてやろうとしたとき、若草色の瞳が見えた。
「貴方はヒマでしょ。もう大丈夫だから煙草でも吸ってきたら?」
起き上がろうとするのをシドは慌てて留める。
「点滴が終わるまでは寝とけって。……すまん」
「何を謝ってるんですか、僕も望んだんです。貴方だけのせいじゃありません。それよりまた厄介事に巻き込んでごめんね。まさか直接別室命令がくるなんて」
「それこそ別室命令でお前が謝ることじゃねぇって。それはもう言っただろ」
「ん、そうだけど……」
「バルナは初めてなんだよな、俺。これでも少しは愉しむつもりでいるんだぞ」
「そっか、ありがと。点滴終わったから一緒に行くよ。コーヒーくらい飲みたいし」
医者を呼ぼうとするシドを押し留め、浸透圧を利用する無針タイプの点滴をハイファは自分で外し、意外にも滑らかな動きで身を起こした。多少の無理はしていそうだが、休めたからか微笑んで見せる目にも力が戻っていてかなり回復したようだ。
隣の診察室に引っ込んでいた医師に一声かけたシドは処置室を出ると、まずは二人分の荷物を発着場に預けにゆく。そのあと軌道エレベーターが動くまでの約三十分を喫煙席のあるコーヒーラウンジで過ごすことにした。
目前が壁になったカウンターのスツールに並んで腰掛ける。
「そんな刺激物、飲んで大丈夫なのかよ?」
ホットコーヒーの紙コップに口をつけながらハイファは笑った。
「大丈夫だって。それにしてもハイジャックとはね。さすがイヴェントストライカ」
「お前はそのバディだって忘れてねぇか? 一蓮托生だぜ」
「僕は一心同体の方がいいなあ」
「昨日から脳ミソ、ピンクに染まってねぇか?」
「んー、ちょっと自信がないかも。何たって貴方と一緒にいるんだもん、欲しくなっちゃうのは当然でしょ。七年間の重ーい想いを受け取りなさいって」
「まあ仕方ねぇよな。俺もお前といる限り脳ミソ真っピンクだぜ」
暫し互いに惚気ているうちに再びハイジャックにストライクへと話題が戻る。
「けどサ、『テラ連邦に搾取されて貧困に喘ぐ星系』って言い分はそれなりに立派だよね。事実として僕が巡ってきた色んな星系で、同じ星系内なのに惑星間で目を疑うほどの貧富の差が存在する所もあったし」
「ふうん。何事もフェアじゃねぇのが世の中だと思うがな」
「貴方の『何にでもぶち当たる驚異の力』は特別。それで全てがハードラックって決まってる訳じゃないでしょ。でも僕が言ってるのは草を噛んで飢えをしのいで一生を終えていく人たちがいるってこと。同じ星系内なのに富んでいる星があると、そこは大抵母なるテラ本星と宜しくやってるんだよ」
ハイファの言いたいことも勿論シドには理解できた。だが問題はそこにないと気付いていた刑事は揶揄する口調だ。
「へえ。じゃあお前はあれが貧者の味方だとでも思ってんのか?」
「素直に頷ける方法ではなかったけど、それなりに意味はあった……違うのかな?」
「最新式のパルスレーザーガン構えて言われても、俺には判らんな」
「ああ、そっか。それはそうかも。さすがに場数踏んでると観察眼も鋭いよね」
「タイタンの宙港もあんなモン持ち込ませやがって、弛んでるんじゃねぇのか?」
土星の衛星タイタンには第一から第七までのハブ宙港があり、そのどれかを通過しないと太陽系の内外の何処にも行けないシステムになっているのだ。
「踏みたくもねぇ場数踏んでる身としちゃあ、貧者の味方になりたいなら公務員にでもなれってんだ。それで真っ当に働いて寄付でも……何だよハイファ?」
困ったような顔に気付いて訊いたシドに、ハイファは薄く笑ってみせる。
「あのね、実際にそういう星系も見てきたんだよね、僕。きちんと働いて税金納めたり、寄付をしたりする人たちがいる一方で、ウチみたいな会社もあるってこと」
「ああ、テラ本星と宜しくやってる富んだ星イコール、FCみたいな会社と仲のいい政府が仕切る星ってことか。テラは純然たる資本主義社会だ、そんなもんだろ」
「関係ないから貴方は諦めてるのか、それとも割り切ってるのか分かんないけど簡単に言えるんだよ。本当にね、FCがレアメタル輸入してる星なんか鉱夫やその家族は搾取されて大変」
「やけに食いつくけどさ、それってお前が今、悩むことなのか?」
「……誰かが悩まなきゃいけないと思う」
紫煙を吐き出しながらシドは以前ハイファが言ったことを思い出していた。『労働者を劣悪な環境下で最低の賃金で雇って』レアメタルは先進星系のみ潤していると。
「個人の力でどうにかなる問題じゃない。ところがそこでお前が社長の椅子に座っちまえば、お前自身どうにかできる立場になれるって話だな」
「まあね。でも軍も刑事も辞めたくはないんだよね」
「躰はひとつしかねぇし、それでネチネチ昨日から悩んでる訳か」
「それだけじゃないんだけど、他の問題は行ってみれば大概分かると思うから。そうだ、なるべく煙草吸っといた方がいいよ。バルナの環境上、吸えるのは本当に一部だけだから。それもその場で環境税取られるんだってサ」
チッ、とシドは舌打ちする。
「マジかよ。堪んねぇな、それは。って仕方ねぇか。衛星つっても空に浮かぶ風船だもんな、原理は。平らな地面に透明半球くっつけて与圧して、そいつに空気清浄機付けただけみたいなモンだからな。命綱の空気清浄機がヤニで汚れたら困るってか」
「そういうこと。でもじつは裏側には軍の宙港があるの知ってた? これも軍機、それも最高機密事項のカク秘だけど、タイタンのハブ空港を経ずに星系外に出られる」
「何だ、それなら送ってくれてもいいじゃねぇか」
「今回そこまでの緊急任務じゃないってことの証左だね。いいことです」
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