第9話

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第9話

 上品に紙コップのコーヒーを飲み干しながらハイファはゆっくりと頷く。 「それでも、お前の祖父さん、ええと、誰だっけか?」 「メッテルニヒ=ファサルート」 「そう、それ。不審死なんだろ、届け出て司法解剖に回さねぇのかよ?」 「僕に言われてもね。まあ、幾ら会長としてバリバリやってたとしても年も年だし、どうやって死んだかもまだ聞いてないし。全ては上空五百キロの彼方だから」  本社社屋はバルナだが、屋敷は本星セントラル側にあるという。 「だけどね、バルナの二十五階建て社屋の上五階はファサルート家の私用階になってる。上に行くほど血が濃いっていう嫌味な階級社会の縮図的環境。そこでメッテルニヒは死んだ。その情報も僕に直接じゃない、別室経由だけどね。僕は蚊帳の外」 「ずっと蚊帳の外ならいいんだがな。で、ときに俺はどういう立場になるんだ?」 「わあ、それ考えてなかったよ。シドの隠蔽(カヴァー)か、どうしよう……僕の夫?」 「冗談言ってる場合かよ」 「実質そんなものでしょうが、同性の結婚もできる訳だし。じゃあ、護衛?」  別室からの命令書や薄っぺらい資料には何の指示もされていなかったのだ。 「お前も出世したもんだな。その制服、もっとエラそうに肩に星付けたらどうだ」 「そんなので見栄張っても歳と釣り合わないよ。この焦げ茶のネクタイで押し切るしかないかも。中央情報局ってのを全面に出して、その奥にいる組織を悟らせる作戦」 「そのタイの色の意味を知ってる奴はいるのか?」 「会社もあそこまで大きくなれば実務に携わってる人間なら知ってるよ。情報戦略は欠かせないし、軍の中でも中央情報局は全テラ系星系の情勢を掴んでるんだから」 「なら別室の存在も知ってておかしくないと。お前が別室員ってのもバレバレか」  軽くハイファは頷いた。 「別室も今回カヴァーしろとは言わなかったから、そういうことだね。わざとリークしたんじゃなくてFCはとっくに知ってたと思う。まあ却って【疑惑解明】するのに動きやすくていいよ。別室の権力よりイヴェントストライカに期待してるのは見え見えの命令だけどね」 「ふん、何にぶち当たっても俺のせいじゃねぇからな」  たった三十分ほどで煙草を半箱近く空けたシドは立ち上がる。 「そろそろチェックパネルをクリアしなきゃならんが、本当に大丈夫か?」 「うん。ピンクの脳ミソの僕としては貴方の制服姿に鼻血が出そうだけどね」 「バーカ、二人で鼻血吹いてたら変態扱いされるぞ」  いつもの顔色までは戻りきっていないものの、BELの中よりはかなりマシになったようで屈託のない笑顔にシドはホッとした。ある程度ハイファの考えが聞けたのも収穫である。明るく軽いペルソナの下は意外なまでに生真面目なのも知っていた。  だから本人が言いたい時には必ず居合わせて聴いてやるのが自分の務めだともシドは思っている。前に本人が言ったのだ、『ひとつひとつ終わらせていかないと、僕はいつか破裂しそうだから』と。何より大切な奴を破裂させる訳にはいかない。  軌道エレベーターはシドにとって記憶の中では初めての体験だった。顔に出してはしゃぎこそはしなかったが、ほんの少しだけ気分が昂揚しているのを意識しながら、ハイファと共に搭乗口へと向かう。もう人の列ができていた。  カタパルト発進する古代のロケットとマスドライバーの原理を組み合わせて利用した、圧縮空気と反重力装置で遙か彼方の上空に人の乗り込んだ箱を打ち出す軌道エレベーターだが、G制御装置が機能したエレベーター内は瞬速で上昇している感じが一切しない。  それどころか幾つものソファと壁に投影された泳ぐ熱帯魚の映像やリラックス効果のあるBGMで快適だった。隣に座ったハイファの膝枕で昼寝したいくらいだ。  二人して殆ど喋らず、ただ周囲の鑑賞に没頭しているともう着いている。    降りるのが惜しいようなそこを離れる時にはハイファの調子も出てきたらしく荷物も自分で手にしてシドと肩を並べ、颯爽と歩き出していた。  バルナ側の軌道エレベーターのステーションから一歩出ると、びっしりと二、三十階建ての様々なロゴの入った社屋がひしめいていた。ここバルナの構造上、地上のセントラルエリアのような超高層ビルこそないものの、見る者を威圧せんばかりだ。  それだけなら本星でも見られる光景である。足元は全て本星と同じく茶色のファイバブロックを敷き詰めたもので、その歩道脇にはオートで移動できるスライドロードが併設されていた。街灯と本物の街路樹が植えられているのも同じである。  だが決定的に違うのは空を覆う透明で巨大な半球を通して、母なるテラ本星が覆い被さるように見えることだ。  地球低軌道、見渡す限りの空がテラだった。  これは余所ではなかなか見られない圧巻のショーだ。思わず二人して立ち止まり、空を仰ぐ。あの星に自分たちは住んでいるのだと、確かに胸を張りたくなる誇らしさが湧いた。  テラからの陽光反射とそれを増幅する透明半球ドームでここ第二商用衛星バルナは光に満ち溢れる。テラの自転による遠心力だけでなく反重力装置とG制御による自己推進で足元でなく頭上がテラ側となっていた。  そして軌道エレベーターで繋がれたテラとバルナ間の相対位置は常に同じ、故にテラから照らされるこの人工月は本星と昼夜も同じで時差ぼけとは無縁だった。 「すっごいね……綺麗」 「……ああ。お前もバルナは初めてか?」 「うん。本星の屋敷と裏側の宙港だけだったから」 「そうか。これをお前と眺められただけで来た甲斐があった気がするな」 「僕も……ねえ、僕らの部屋のある官舎ビルって何処なのかな?」 「分かる訳ねぇだろ」  溜息をつきながらハイファは薄く笑い、言葉では素直に嘆いた。 「これでこのまま帰れたら嬉しいんだけどね」  そういう訳にもいかない。せめて今日の通夜と明日の葬式だけはクリアしなくてはいけないのだ。……他にも何か厄介な用事があったような気もするが。  検索を掛けようとしたシドより早くハイファがリモータアプリの十四インチホロスクリーンを立ち上げている。FCの社屋位置を映し出していた。 「タクシーで行った方がいいみたいだね」  距離は二キロくらいだがハイファの体調も鑑みてシドは同意する。  軌道エレベーターがステーションに着いたばかり、二人がのんびりテラを仰いでいる間に無人コイルタクシーは他の客を乗せて出払ってしまっていた。  オートドリンカで買った清涼飲料水を飲んで待ちながらハイファはまだ少し冷たい手でそっとシドの手を握った。
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