第1話

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第1話

「ねえ、晩ご飯何にする? リクエストは?」  慣れぬ力仕事を終え、脱いでいたソフトスーツの上着とスプリングコートに袖を通しながらハイファは相棒(バディ)のシドに訊いた。  シドはジャケットの袖で汗を拭っている。  公園に暴走コイルが突っ込んで下敷きとなった母親と幼い娘を救出するために居合わせた民間人たちと協力してコイルを持ち上げたのだ。皆の善意は報われて幸い母娘は軽傷だった。先程、要請した救急機に乗せて送り出したところである。  引っ繰り返って腹を見せたままのコイルをシドとハイファは眺めた。  コイルは現代では最もポピュラーな移動手段で、AD世紀における自動車のようなものだ。形も似ている。  だがタイヤはなく小型反重力装置を備えていて、僅かに地から浮いて走る。座標指定してオートで走らせるのが一般的だ。  目的地に着いて接地する際に車底から大型サスペンションスプリングが出るので、コイルと呼ばれるようになったらしい。  滅多に見ることもないそのドテっ腹からハイファはシドに目を移した。  シド、フルネームを若宮(わかみや)志度(しど)という。  前髪が長めの艶やかな髪も切れ長の目も黒い。その名が示す通り三千年前の大陸大改造計画以前に存在した、旧東洋の島国出身者の末裔である。  身に着けているのは綿のシャツとコットンパンツで職務中とは思えないラフさだが、動きやすいという点はシドにとって最重要であり、ときに命に関わるのだから仕方ない。  羽織ったチャコールグレイのジャケットも似たような理由で手放せないのだ。  このジャケットは自腹を切って購入した特注品で、挟まれたゲルにより余程の至近距離でなければ四十五口径弾をぶち込まれても打撲程度で済ませ、生地はレーザーの射線をもある程度弾くシールドファイバ製という代物である。  価格が六十万クレジットだったと聞いたハイファは仰天したが、シド本人は何度もこれのお蔭で命を拾っていて、外出時には欠かせないシドの制服と化していた。  けれど身を護るためのデザインはともかく、もっとセンスのある色にできなかったのかとハイファは常々惜しく思っていた。  何故ならそんなものを四六時中着て歩かなければならないほどクリティカルな日々を送るシドではあるが、決していかつい強面という訳ではなく、それどころか造作は極めて整い端正なのである。  鏡くらい見るだろうにシド自身はまるで自覚がないようで、ミテクレには全く構わない男なのが少々、いや、随分と勿体ないなあ、などと考えるハイファだ。  しかしそんなシドを自分がコーディネートした衣装で着飾らせる愉しみも残されている。言うなりに盛装してくれることなど本当に稀だが、そういう愉しみは滅多にないから愉しみな訳で――。  想像を超えて既に妄想の域まで達し、更にそいつを膨らませながらハイファがじっと隣のシドの横顔を眺めていると、シドはいきなり大欠伸をかました。  騒ぎの直後で人目にあるのにバディの自意識のなさに呆れつつ、質問を無視されたようで僅かに気分を害したハイファは軽く肘鉄で突きながら尖った声を出す。 「ねえ、晩ご飯は?」 「んあ? 晩飯なあ。お前の得意なヤツでいい」  カラフルにペイントされた低いベンチに腰掛けてシドは思い切り適当に答え、ポケットから煙草を出して咥える。さすがにこれは人目を憚ってか火は点けない。  マイペースのポーカーフェイスをハイファは睨みつけた。 「またそれ? じゃあ最低半日は煮込むすね肉のシチューでいいんですか?」 「あー、できれば今日の晩飯は今日のうちに食いてぇな」 「ならちゃんと考えてよね。作るのより考える方が難しいんだから」 「難しいなら官舎の上のレストランでもいいんじゃね?」 「却下。不経済です」 「不経済って、俺はずっと外食かテイクアウトだったけど結構やっていけたぜ?」  当たり前だとハイファは更にムッとした。 「そりゃあ朝は食べずにお昼は安いランチ、夜はアルコール生活ならその六十万クレジットの対衝撃ジャケットも幻のプラモ・零式艦上戦闘機のキットも買えるんだろうけどね。僕としては貴方に栄養バランスのいい食事をちゃんと摂って欲しいんです」 「なんか最近、本当に嫁さんじみてきたな、お前」 「嫌なら役回り、交代してあげてもいいけど、どう?」 「あ、いや、それはだな……」 「それじゃメニューを考えましょうねー、帰りに買い物するからサ」 「了解、了解」  返事だけは調子いい。ちゃんと言質を取ろうとしてハイファは上空を仰ぐ。降下してきたのは交通課の緊急機だ。緊急機はBEL(ベル)、BELは反重力装置を備えた垂直離着陸機でAD世紀のデルタ翼機の翼を小さくした、オービタにも似た機体である。 「ふあーあ、やっときたか」  またも欠伸混じりに呟いてシドはのっそりと立ち上がった。ハイファも倣う。  ランディングした緊急機から飛び降りてきた交通課員に事情説明し、左手首に嵌ったリモータから事故の実況音声を取り込んだ外部メモリのMB――メディアブロック――を引っこ抜いて預けた二人は、署への道を辿り始めた。 ◇◇◇◇  地球(テラ)連邦軍中央情報局第二部別室員ハイファス=ファサルートが、シドの職場の太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署に出向してから二ヶ月が経とうとしていた。  十六歳にして出会ったその日にハイファの側が惚れて告白して以来、苦労して親友の座を勝ち取りキープすること七年間。  だがシドの性癖は完全にストレートだったため実らぬ想いと知りつつも、めげずにハイファは果敢にアタックし続けた。  その想いがとある事件をきっかけに奇跡的に通じたのである。  つまり公私に渡ってバディを組んで二ヶ月ということだ。  七分署での所属は刑事部機動捜査課、機動捜査課はAD世紀での機動捜査隊と職務は殆ど同じで、殺しや強盗(タタキ)などの凶悪犯罪の初動捜査を担当するセクションである。  ただ、昔は外回りをしながら事件の報が入るのを待っていたが、現代では秘密裏に警邏するのも署から出動するのも時間的にそう変わらないために、課員は署で待機しているのがが常だった。  だがAD世紀から三千年も経った今、機捜課が出張るような事件は滅多に起こらない。ここは後から順次テラフォーミングされた他星系惑星に比べて妙なエリート意識が漂うテラ本星セントラルエリアだ。個人のID管理も厳しいが、義務と権利のバランスの取れた社会で、人間の原始的本能に根ざした犯罪は極めて稀となっていた。 「なのにシドの周りだけ、あり得ない確率で事件・事故が起こるんだね」  完璧にプログラミングされ座標指定だけで目的地までオート走行する筈のコイルが急に目の前で暴走を始めたのだ。事故を思い起こしてハイファは感慨深げに呟いた。 「道を歩けば、ううん、表に立ってるだけで事件・事故を呼ぶ超ナゾ特異体質のイヴェントストライカがここまで跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)してるとは思ってもみなかったよ」  署への道のりを辿りながらシドはポーカーフェイスの眉間に不機嫌を溜めて唸る。 「跳梁跋扈とは何だ、俺は妖怪か。それにその仇名を口にするな」 「でも本当のことでしょ、イヴェントストライカっていうのは。他の人たちは他課の下請けまでしてるくらいヒマなのに、シドと僕だけ事件とその書類に追われてるし」 「ふん。下請け仕事に行きたいなら止めねぇぞ」 「そんなことは言ってないじゃない。一緒にいなきゃバディの意味がないでしょ。背中を護り合い、ときに命を託し合うのがバディじゃないのサ」  などと言っておいてハイファは右隣をすたすた歩くシドを軽く睨んだ。 「けどヴィンティス課長から言われたよ。これまでシドと組んだ人間は誰一人として一週間も保たずに五体満足で還ってこなかったから、くれぐれも気をつけろって」 「課長の愚痴なんかまともに聞いてんじゃねぇよ、大袈裟だっつーの。大体、全員ちゃんと生還したんだからさ。お前だってジンクスの洗礼受けても還ってきただろ?」 「そうですね、心臓を吹き飛ばされても処置が早ければ助かる現代医療のお蔭でね。だからってソレ見て貴方と組みたがる気合いの入ったマゾはいなかった、と」  突っかかるハイファの言い種にシドも嫌味の応酬だ。 「誰も彼も根性ねぇよな。ドMのお前を見習えってんだ」 「あーた、喧嘩売ってるんですか? それに仮に僕がドMなら貴方はドSなんですか? おまけにせっかく得たバディをないがしろにするのはどうかと思う」 「別にないがしろになんかしてねぇだろ。何をそんなに突っかかるんだよ?」 「また分かんないふりして。何であんなにムキになって僕との仲を隠すのサ?」 「そいつは……俺だからだよっ!」 「意味が分かりません。論理的な説明を求めます」  あまりの日常のクリティカルさに何年も単独捜査を余儀なくされてきたシドが、ここにきてハイファというバディを得た。その事実は機捜課内で噂の的になったのだ。  曰く、『シドが男の彼女を連れてきた』。  それは幾らも経たずに事実となったものの、シドは頑としてプライヴェートにおいてのハイファとの仲を認めようとはせず、強固なまでに否定し続けているのである。  七年越しの愛が実ったハイファにとってはそれが不満なのだ。
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