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【文学】言葉には不思議な力がある
東京にだって田舎はある。
その畑いっぱいの町に昔からある個人商店の本屋で、少し変った商売をしているらしいという噂が、子ども達の間で出回っていた。
陽菜はその噂の本屋の前で立ち止まっていた。
年季の入った建物だった。
前面はガラス張りで、大きなとんがり屋根が二つついていた。
入り口の重たいガラス戸は常に解放されており、そこにセロテープでアニメや漫画のポスターがべたべたと貼られている。
そして、その扉の前にダンボールで作った手作りの看板が立てかけてあり、そこには汚い字で『占い承ります』と書いてあった。
本屋で占いとは変ったものだ。
しかも、占いをしているのはここのアルバイト店員だという。
大人たちがそんな話にのるはずはないが、近所の子ども達の間では一種の流行のようなものになっていた。
陽菜は薄暗い店内に入った。
レジカウンターには小学生の男の子たちが数人、屯している。
その中心に若い書店の店員がいた。
店員は茶色い太いふち眼鏡に、化粧っ気のない顔をしていた。
無造作に伸ばされた焦げ茶の髪を単純に後ろに束ねて簡単なおだんごにし、髪留めも飾り気のないものだった。
『花丸書店』とロゴのついた緑色の色褪せたエプロンの下に、ベージュの半袖ニットとジーパン姿というありきたりなファッションだ。
外見では年齢はわからない。
ただ、妙な存在感だけはあった。
陽菜はその店員と目が合い、彼女はにっこり笑う。
「いらっしゃい。今日は買い物?」
店員は明るく親しみやすい声で陽菜に話しかけるが、陽菜は目線をきょろきょろさせるだけで、黙ったままだった。
話しづらいのだ。
「ねぇ、ねぇ、ねえちゃん。やってよ、占い」
すると、カウンターに集まっていた小学生の男の子の一人が店員に話しかけていた。
周りの同級生たちも同じように騒ぐ。
「だめだめ。だってお前達は金持ってないんだろう?」
「持ってるって、100円」
そう言って一人の少年が店員に、手のひらにのせた100円玉を見せる。
これが少年の全財産だ。
「それじゃあ、本一冊も買えないじゃないか」
「え? 占いってお金いるんですか?」
つい陽菜の口からぽろりと言葉が出てしまった。
全員が陽菜の方を見る。
陽菜は恥ずかしくなり、口を手で押さえ、顔を真っ赤にした。
「なんだ、言ってくれたらよかったのに。占いがしたかったの?」
店員の言葉に陽菜は無言でゆっくり頷いた。
「占いの料金はもらってないのだけどねぇ……。でもタダでしているわけでもないのだよ」
店員は言いづらいのか、少し困った顔をした。
陽菜は顔を上げ、店員の顔を見つめる。
「じゃあ、何か本を買えばいいんですか?」
「そうなのだけど……、何でもいいってわけじゃないのだよね」
そう言って、店員はにやりと笑った。
そして、カウンターの棚の中からタロットカードの束を取り出して、陽菜に見せた。
「占いはタロットでするよ。どんな占いでも見るのだけど、その後にね、私の紹介した本を買ってほしい。おみくじみたいなものかな」
陽菜は複雑な表情をした。それに気づいた店員は両手を振った。
「違う、違う。売れない高い本なんて売りつけやしないよ。基本は500円前後の単行本」
「単行本? 小説ですか?」
「そうだね。君の悩みにぴったりの本を私が選んで、その本を君が買う。それが私の占いの報酬ってやつでどうかな?」
陽菜は目線をそらして考えた。
変な話だ。
そんな話を聞いたことがない。
けれど、占い代が500円程度で、本がおまけについてくると考えたら問題ないようにも感じた。
陽菜が顔を上げると、彼女の意思を悟るように店員はにっこり笑った。
「交渉成立だね」
レジカウンターよりも奥に机と椅子が置いてあった。
そこで陽菜は本屋の店員、牧野芽衣子にタロット占いをしてもらうことになった。
最初は小学生たちがこぞって芽衣子たちの近くに集まっていたが、芽衣子はハエでも追い払うように子ども達を店から追い出した。
陽菜は学校の帰り道だった。
今は、中学の制服のセーラー服のままだ。
こんなところを学校の教師やPTAの大人たちに見られたら、学校に報告されて、こっぴどく叱られる事だろう。
しかし、こうして学校帰りにお店に寄って帰るのは、どの中学生でもしていることだ。
そして見つかったら、参考書を買いに来たとごまかそうと心に決めていた。
芽衣子は机いっぱいにカードを広げ、それをテーブルの上でぐちゃぐちゃに混ぜる。
それをもう一度一つにまとめた後、芽衣子は陽菜の顔を真っ直ぐ見た。
「どんなことを占いたいか、聞いていいかな?」
「詳しく話さなきゃダメですか?」
「別に大まかでもいいよ」
芽衣子はとんとんとカードを整えた。
陽菜はゆっくりと話し始めた。
陽菜はここから徒歩10分ぐらいの公立中学校に通っている。
今は2年生で夏期講習を受けていた。
陽菜には唯という親友がいた。
陽菜とは違い、明るくて活発な女の子だ。
前髪を上げて、いつもおでこを見せているから、男の子からは『でこ』という愛称で呼ばれていた。
本人は少し嫌がっている。
そんな唯に好きな人が出来た。
3年生の室井春人という少年で、軟式野球部の部長だった。
格好良く、成績も優秀な上、スポーツ万能。
校内の女子生徒の憧れの的だった。
実は校内で密かにファンクラブもあるそうだ。
そんな王子様を見に、よく昼休みや放課後になると陽菜と唯の二人でグラウンドに出ていた。
でも、次第に室井を一緒に見ているうちに、陽菜も彼のことがだんだん好きになってしまった。
それを正直に親友に話すべきなのか、それとも胸に秘めとくべきなのか悩んでいたのだ。
陽菜は出来るだけ、芽衣子に唯のことや室井のことがばれない様に気をつけながら、そのことを大雑把に話した。
芽衣子は目の前のカードを陽菜に切るように指示した。
まずは一つの束から三つに分けて、最後に好きな順番にもう一度一つの束に戻す。
それを芽衣子が受け取って、カードを机の上に並べていく。
並べられたカードはつぎつぎに開かれる。
陽菜には全く意味のわからないイラストのカードばかりであった。
芽衣子は首を傾げ、顎をさすって考えていた。
陽菜の心臓は激しく鳴る。
「……陽菜ちゃんはぁ、この先どうしていいかわからないのだねぇ……。悩んでいる状況はすごく理解できる。陽菜ちゃんの中で、誰かに憧れ好きになったことは、小さいながらも幸せと感じている。だからこそ、友情をとるべきか、恋を取るべきか……。カードはここには真実を語れと示している。誠実な心で話せば、友達もわかってくれるんじゃないのかな?」
「そうでしょうか……」
陽菜の表情はすっきりしていなかった。
悩んでいる。
それは芽衣子にも見てわかった。
しかし女とは不思議なもので、悩んでいてもすでに答えが決まっている場合が多い。
芽衣子は席を立ち、文庫本の棚の前まで歩いた。
そして、二つの本を持つ。
一つは三田誠広の『いちご同盟』と、もう一つは武者小路実篤の『友情』だった。
おそらく中学生からしたら、この『いちご同盟』の方が読みやすい。
最初、彼女の悩みを聞いた時、こちらを勧めようと考えていた。
しかし、占いの結果を見て、そうではない方がよいと思えたのだ。
命をテーマにした感動的なストーリーよりも、恋愛の現実を知ったほうがいいかもしれないと思った。
芽衣子は『友情』を手に取り、机に戻った。
そして、陽菜に見せる。
それはイラストも可愛くなければ、読む意欲も沸きそうにない題名の本だった。
「私に恋愛より友情をとれと言いたいのですか?」
陽菜はいかにも不愉快そうに言った。
芽衣子の予想していた通りの反応だった。
表は大人しそうに見える陽菜だが、かなり気が強い性格なのがわかる。
「そういうことじゃないよ。恋愛は時として残酷だということだ。友人に本当のことを告げて、恋愛を一直線に見るのも、恋心を隠して、友情を保つのも君次第だってことだよ。でも、何をとっても君は傷つく……」
「そうならないために占ってもらったんじゃないですか!」
「運命は一緒だよ。『恋は盲目』だからね」
陽菜がすごい剣幕で怒り、芽衣子を睨みつけていると、芽衣子の頭を誰かが雑誌を丸めたものでぽかりと後ろから叩いた。
芽衣子が振り向くと、そこには年配の女性が立っていた。
年齢はおそらく60は過ぎている。
頭は白髪だらけの短髪パーマで、顔は皺だらけだった。
背が低く、眼鏡をしていて、芽衣子と同じエプロンをしていた。
「店長……」
芽衣子は叩かれた自分の頭を撫でながら、気まずそうに言った。
彼女はこの店のオーナーであり、店長の築地千代だった。
仁王立ちで芽衣子を睨んでいる。
「またあんたは、子ども相手にそんな馬鹿げたことやっているのかい。いつも勝手なことはするなと言っているだろう!」
「イヤだなぁ。私はただ、単行本を一冊薦めていただけですよ。ねぇ、陽菜ちゃん」
芽衣子は陽菜に振った。
陽菜は慌てて本を掴み、自らレジに向かった。
「ありがとうございました。この本、買います」
陽菜は芽衣子から単行本を一冊買った。
そして、逃げるように店を出て行った。
「シェイクスピア曰く、『友情は多くは見せかけであり、恋は多くの愚かさに過ぎない』」
格好をつけ、語り口調で話す芽衣子に、千代は再び雑誌で頭を叩く。
「馬鹿なこと言ってないで、片付けな。こんなことして、子どもから荒稼ぎしているのがばれたら、親御さんからの抗議でうちは潰れちまうよ」
「ひどいなぁ。占ったついでに本を紹介しているだけですよ。私はね、現代の若者の活字離れをどうにかしようとして――」
「どうでもいいから、仕事しな。適当な話をして仕事サボっているのはわかってるんだよ」
芽衣子は「へいへい」と返事をして、目の前のタロットカードを棚に仕舞い、店内の本の整理を始めた。
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