【文学】言葉には不思議な力がある

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陽菜は息を切らしていた。 本屋から逃げるように離れ、川沿いの道を走っていた。 気がつけば、例の単行本の入った袋を強く握り締めていた。 次第に足を止め、くしゃくしゃになった紙袋の中の本を見つめる。 そこには、武者小実篤の『友情』が入ってあった。 正直、興味はない。 ぱらぱらとめくってみても、なんだか難しそうな本で、古臭い匂いがした。 本をパタンと閉じたと同時に、陽菜の肩を誰かが叩いた。 あまりに驚いて、体が飛び跳ねる。 「なぁに。そんなにビックリしちゃって」 陽菜の後ろに立っていたのは、親友の唯だった。 部活帰りなのか、肩には大きなスポーツバックがかけられている。 唯が頭を動かすたびに動く長いポニーテールの髪。 おでこもすっきりと出ているから、熱い夏場には涼しげに見えた。 「何? その本」 唯は陽菜の手から、『友情』を奪い取った。 陽菜は慌てて、取り返そうとする。 「『友情』? 私、作者の名前も知らない。陽菜ってこういう趣味あったわけ?」 唯はその単行本をまじまじと見た。 ぱらぱらめくったが、特に興味は沸かなかった。 そして、そのまま陽菜に返す。 「べ、別に、なんとなくだよ。夏休みだし、店員さんに勧められた本を買っただけ」 陽菜は慌てて、自分の手提げ鞄の中にその単行本を突っ込んだ。 唯はふぅんと言いながら、陽菜の前を歩いた。 「そっか、宿題で読書感想文出てたよね。陽菜は相変わらず真面目だね。読書感想文なんて、きっと私ぎりぎりに書くよ。あれならさ、ネットに書いてあるあらすじや他人の感想文見て、書いちゃえばいいんだし」 「そ、そんなのばれちゃうよ」 「大丈夫。江口でしょ?気づいたって、めんどくさがって説教もしてこないよ」 江口とは、陽菜たちの国語の教師だ。 熱血教師とは真逆で、物静かで何に興味があるのかも良くわからない教師だった。 それなので、生徒達にはどこかなめられていて、江口の授業中の半分は居眠りしている生徒が殆どだ。 二人は少しの間、黙って歩いた。 陽菜も唯に何を話していいかわからなかったからだ。 しかも、今の今まで唯と室井のことを占ってもらったばかりだというのに。 「それよりさぁ」 急に唯が振り向いて、陽菜に話しかけて来た。 「今日も室井先輩かっこよかったんだよ。試合も近いから、気合入ってたし。室井先輩が投げる姿ってほんっとかっこいいよねぇ。でもさ、最近、グランドに野球部の練習を見に来る子が増えたんだよぉ。私の室井先輩なのに、辞めてほしい!」 陽菜は少しだけ苛立ちを感じた。 室井は唯の恋人ではない。 別に他の女の子が憧れてもいいはずだ。 「あれ、殆ど夏期講習終わって、暇してる女子ばっかでしょ? 部活もしてないならとっとと帰れっての。しかも下級生まで増えてるし。一年で室井先輩に目をつけるなんて生意気だよ。私もさ、バレー部なんか辞めて、陸上部にすればよかった。そしたら、部活しながらも先輩のこと見ていられるし」 「でも、唯、走ってばかりの陸上部になんて興味ないって言ってたじゃない」 「室井先輩がいるなら別だよ。走りながらなら野球部のこと見られるけどさ、トスしながら野球部の練習見れないでしょ」 陽菜は言い返す言葉が見つからなかった。 陽菜が室井に興味を持つまで、唯のこういった自分勝手な言葉も気にならなかったが、同じように室井に恋焦がれるようになってから、唯の言葉がだんだん腹立たしくなっていたのだ。 唯はいつも室井を独り占めしたがる。 それは、陽菜も気持ちはわかるが、唯が室井を好きになる前に、他のたくさんの女子生徒が彼に憧れていたはずだ。 それにも関わらず、まるで自分が一番初めに好きになったかのように、他の女子生徒を邪険に言うのだ。 唯の事は、親友だと思ってきた。 室井のことがある間までは、唯のことを腹立たしいなんて思うことはなかったはずだ。 だが、今の唯の姿を好きになれなかった。 唯が変ったのではない。 むしろ、陽菜の感情が変化したのだ。 唯はクラスメイトからもあまり好かれていない。 自分勝手な発言が嫌がられる。 気も強く、思ったことをはっきりと発言するので、皆居心地が悪いのだ。 陽菜はいつも唯のそばにいるからわかっていた。 唯は自分勝手で我儘だが、根はとてもいい子だ。 純粋で明るくて、大人しい陽菜からすれば、その自分の意見をはっきり言える唯が羨ましくもあった。 けれど、恋は人を変える。 さらに唯を身勝手にしてしまう気がした。 それは陽菜も同じかもしれない。 今まではそんな発言も聞き流すことが出来たのに、最近では聞き流すことが出来なくなっていた。 唯が室井を自分のものだと言う度に、陽菜の心の中にどろっとした何かが溢れてくるように感じていた。 「ねぇ、陽菜。この後、暇?」 唯が陽菜の顔を覗いて話しかけてきた。 陽菜はじっと唯の顔を見た。 「今から服を買いに行きたいんだぁ。ついてきてくれない?」 「服? イオンモールに行くの?」 「イオンモール? そんなダサイところ行かないよ。原宿だよ、原宿」 陽菜は驚き、自分の腕時計を見た。 時刻はすでに三時を過ぎていた。 「原宿? ここから電車で一時間以上はするよ。今から買い物なんかしたら、帰るのが夜遅くなっちゃうよ」 「わかってるよ。でも、原宿がいいの。今時イオンモールで服買う中学生なんかいないよ」 「でも、唯ちゃん、この間までイオンモールにあるお洋服屋さんに通い詰めていたじゃない。あそこにも可愛い服いっぱいあるよ。有名なお店だって揃ってるし」 唯はむっとした顔をした。 「だから陽菜はお子ちゃまなんだよ。田舎の中学生でもないし、東京の中学生は原宿で買い物しなきゃ。恥をかくのは自分なんだから」 陽菜は黙ってしまった。 陽菜たちの住んでいる町は田舎だ。 少し歩けば田んぼもあるし、大きなショッピングセンターといえばイオンモールぐらいしかない。 殆どの子の家が一軒家で、中学生だからといってわざわざ原宿まで買い物に行く子は少ない。 近くのイオンモールも周りのお店からしたらかなり大きく、名店が勢ぞろいしている。 都心に着て行っても恥ずかしくない、おしゃれな服もたくさん売っている。 つい最近までは、毎日のように近所のイオンモールに行って買い物をしていたのだ。 高校生や大学生が着ているお洒落なお店を見つけて、唯はそこの服ばかり買っていた。 それなのに、なぜまだ服が必要なのか陽菜には理解できなかった。 陽菜は東京出身だが、渋谷や原宿などの都心のことはあまりよく知らない。 まだ中学生だからと、子どもたちだけで行くのも学校で禁止されている。 都心の方は治安もあまりよくないので、子どもだけで行動するのは危険なのだ。 しかし、唯はそれをいつも鼻で笑っていた。 今時の中学生が渋谷や原宿に行けないなんておかしい。 東京の子はみんな毎日のように行っているんだと主張していた。 陽菜は気が引けた。 二人だけで原宿に行くこともそうだが、それ以上に家に帰るのが遅くなることが不満だった。 両親も心配するし、もしかしたら学校に通報されるかもしれない。 そうすると、今後はもっと自由に外出できなくなる。 「ねぇ、行かないの。行くの?」 唯は強い口調で陽菜に聞く。 陽菜はきゅっと肩に力が入った。 「行きたくないわけじゃないけど……」 「じゃあ、行こうよ。駅に30分待ち合わせでいい?」 唯は急ぎ足になって、陽菜の前を歩いた。 それを追いかけるようにして、陽菜はついていく。 「あの、私のお母さんも誘っちゃダメ? そろそろ、家に帰ってくると思うし……」 すると驚いた顔で唯が陽菜の方を振り向いた。 「はぁ? 何言ってるの。ただの買い物に親同伴が必要な中学生なんかいる?」 「そ、そうかもだけど、今日はもう遅いし……。やっぱり大人が一緒の方がいいよ」 「嫌よ。大人の横で買い物なんて出来ない。気を遣うし、すぐにあれもだめ、これもだめって言うんだもん。自由ないじゃん。とにかく、30分に駅でね。待ってるから!」 唯はそう言って、家まで駆け出していった。 陽菜は何もいえないまま、唯を見送った。
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