空飛ぶニワトリ

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空飛ぶニワトリ

『象が飛べるのなら、僕たちにも出来るはず。』  そんなキャッチフレーズに惹かれて、僕の両親はヒヨコの僕を、ある寄宿舎付きの学校に放り込んだ。僕たちニワトリの御先祖は空を飛べたらしい。だったらその力を再び取り戻し、若い世代には大空を自由に飛び回って欲しい。  どうやら一時期、そういう思想が横行したらしいのだ。ニワトリは流行り物が好きだし、まあ、ロマンがあるとも言える。両親ともにモロかぶりの世代だったので、息子に夢を託したとしても仕方がない。    学校では毎日毎日、空を飛ぶための授業を受けた。羽ばたきの練習など運動的なものが主体だが、座学の時間もあった。しかし、理論ではなく、精神論ばかりだ。まず、飛べないと思ってたら飛べない、そういう固定概念を捨てろ的な。  授業の効果はともかく、自由に空が飛べたら楽しそうだな、という単純な動機で僕たちは順調に鍛えられ、短期間でほとんどの生徒が1メートル以上は飛び上がれるようになっていたので、時々見学に来る親たちが、これなら本当に飛べるようになるかも、と色めきたった時期もあった。      そして僕は、校舎の窓まで飛べるようになった。  そんな距離が飛べるニワトリはあんまりいないから、すごいという事になり、学校中から賞賛と期待が集まった。  次の目標は校舎の屋根。それまで以上の努力もしたし、自分でもさらに行けると自信があった。コンディションもバッチリだった。  でも、僕は期待された記録の更新どころか、窓まで飛ぶ事さえ出来なかった。  そんな事を何度も繰り返して、僕は思ったのだ。  これを、何度やるのか?  失敗しても、何回も諦めずにもう一度?  記録が伸びたらその先へ。  そしてそれを維持するためのトレーニング。  周囲の悪意なき期待と失望。  賛辞と罵倒。  もしかしなくても。  これは果てしなく続く。  実現可能かどうかわからない未踏の地へ向かって。  まるで飛べなかった時にはない感覚だった。  そうして、長く在籍したその学校を、僕は辞めた。  空飛ぶニワトリになれたらカッコいいな。  そう思って、無邪気に毎日を過ごす自分が好きだった。  ニワトリが空を飛ぶのは奇跡だ。  諦めずに努力を続けて、奇跡を起こせたら素晴らしい事なのかも知れないけど。――    辞めることを教師に告げ、お前も逃げるのかと言われた。長い間飛ぶためのトレーニングしかして来なかった自分が、外に出て生きていけるのかという不安でいっぱいでもあったが、思ったより辛かったのは、今までやってきた事を全部捨てることだった。学校を去り、飛ぶ事を諦めるというのはそういう事だ。全てがムダな事だったとしても、それは自分の半身をその場所に捨ててくるような辛さだった。  ちょうどその頃、学校の経営が危うい、という話が内部にも漏れ聞こえていた。いくら頑張っても飛べるようにならない。洗脳が解けるように段々と生徒は減っていた。世間の飛べる思想もすっかり下火になっており、理事長もニワトリが飛べるようになるとは最初から言っていない、理想を目指すことで成長を促すなどと詭弁を弄する始末だった。  しかし残っていた仲間たちは自分が飛べるようになると信じていたし、なんなら自分たちが実現できなくても、次世代へと想いが受け継がれるだけでも意義があると思っているようだった。  そんな考えの仲間たちと関係が保てるはずもなく、期待してくれていた親元にも帰れない。職探しをしても雄だから卵を産むことも出来ず、コネもないからろくな仕事はなかった。それでもようやくニワトリ放し飼いの農園にアルバイトで入る事が出来た。    ある日農園で掃除をしていると、ヒヨコが猫に襲われて、あっという間に鶏舎の屋根に連れ去られた。  ずいぶん長い間飛ぶことはしていない。鶏舎の屋根までは一メートル半。あの時の、校舎の窓とほぼ同じだ。  僕は箒を投げ捨てて、空に飛んだ。  ――――――――――  象は空を飛んでおらず、ニワトリも空を飛べない。だいたい御先祖だって、そんなに飛ぶのが得意ではなかったようではないか。胡散臭い学校はその後、解散したらしい。  夢も友だちも青春も、帰る場所も何もかもなくしてしまったけど、小さなヒヨコは助けられた。  放し飼いの農園をパトロールしながら、僕は今、幸せに暮らしている。      
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