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第11話 餅巾着
夜、夢をみた。
夕ご飯にテイクアウトした熊野のおでんを食べ、お腹いっぱいで幸せの寝ていたはずだった。
なぜか夢の中に熊野が出てきた。熊野はいつもの白シャツ&エプロン姿ではなく、お爺さんの格好をしていた。昔話に出てきるようなお爺さんのコスプレをしていて、雨子は思わず駆け寄る。
「熊野何やってるの?」
「委員長にプレゼントがあるよ!」
熊野は、腕に大きな巾着袋を抱えていた。袋をよく見ると、油揚げでできていた。もしかして餅巾着?
「どう言う事?」
「おでんだよ!」
熊野は笑顔で、おでんの具をばら撒いていた。巾着は手品のようだった。なぜかおでんの具がいっぱい出てくる。
大根、玉子、ちくわ、こんにゃく……。
熊野の持っている巾着からは、後から後からおでん具が出てきる。雨子はおでん具を捕まえるが、全く追いつかない。いくつか取りこぼし、土に上に落としてしまったものもある。
「委員長、おでん食べて!」
土に落としたおでん具を拾うおうとした時、熊野が口元にタコを持ってきた。串がついたおでん具のタコだった。
「お、美味しい!」
熊野にタコをもらって、咀嚼していた。味が染み込んだタコは、食べているだけで頬の中が溶けそうだった。
まるで幸せ……。
そう思った瞬間、目が覚めた。
「なにこの夢???」
窓の外は、もう朝になっていた。小鳥の鳴き声も聞こえる。
夢だと自覚はあったが、まだ口に中にタコの味が残っているようだった。巾着袋からおでん具をばら撒いている熊野……。
明らかに夢で現実ではないが、再び頭の中に熊野が居着いてしまったようだった。
その後、仕事に行き、掃除や料理などやっていたが、全く集中力がない。熊野の顔が何回も浮かぶ。笑顔で美味しいおでんを振る舞っていた。
やっぱり胃袋をガッツリと掴まれてしまったようだった。
仕事はちゃっちゃと早めに終わらせ、夕方、熊野のおでん屋に直行した。もう赤提灯には光が灯り、開店していた。
のれんをくぐり、さっそくカウンター席につく。
「委員長! いらっしゃい!」
熊野の笑顔を見ていたら、ドキドキとしてきた。なぜこんなに心臓が浮ついているのだろう。
いつもはおでん鍋しか興味がないが、今日は熊野の顔をまじまじと見てしまった。よく見ると、右目の目尻にホクロがあり、余計にドキドキとしてきた。
「きょ、今日のおススメは何?」
雨子はドキドキを抑えながら、熊野に聞く。
「今日は、餅巾着!」
餅巾着?
どう否定しようにもあの夢を思い出してしまった。
「さ、どうぞ」
熊野は大根と餅巾着を器のよそった。それをカウンターの上に置く。
「なんで大根と餅巾着?」
「これが食い合わせがいいんだよ。餅の消化を大根が助けるらしい。まあ、二つとも一緒に煮るとお餅が溶けちゃうから、離して煮てるよ」
「へえ」
「思えばおでんってバランスいいよね。炭水化物だけでもなく、タンパク質や食物繊維もとれる。まあ、生野菜で取れる栄養素は取れないけどね」
熊野の言う通りだった。おでんは案外バランスが良い。コンビニで買える食べ物の中でも太りにくいかもしれない。
人気が上位だけのおでん具だけなら、味気ないかもしれない。全部含めておでんだ。
しみじみとそう思う。何一つ欠けてはおでんでは無い。
自分もそうかも?
引きこもりニートだったが、何となく社会と接している。本格復帰とはいえないが、足がかりはできていた。完全に「お前は無能」という烙印を押されていたわけでもなかった。
「さあ、どうぞ。召し上がれ」
「う、うん。ありがとう」
雨子は割り箸を割る。ぱきんと小さい音がした。
餅巾着を食べる。餅はトロトロ、油揚げの巾着もしっとりと微かに甘い。
「美味しい」
「だろ? 今度は大豆ミートとか入れてもいいね。餅巾着は、色々具を変えても面白いから」
熊野はそう言ってニコニコと笑っていた。その笑顔を見ていたら、もう何も不安は感じていなかった。自分は、独りじゃない。これでも一応社会と繋がっていると感じた。お腹のいっぱいになってきたが、胸もいっぱいだ。
「さあ、委員長。そろそろ推しおでんの投票をしよう」
「え?」
熊野はカウンターの内側で何かを探し、紙と鉛筆を渡した。紙は投票用紙だった。「私の推しおでんを決めてください」と書いてある。
決められない。大根、玉子、ちくわ、餅巾着……。美味しいおでんの具が頭の中で駆け巡る。
しばらく考えていたが、一つの答えが浮かぶ。ちょっと指先を震わせながら、こう書いた。「熊野」と。
「はい。書いたよ」
「ありがとう。え? は?」
熊野は目を丸くし、驚いていた。
「だって熊野を推したら、おでんの具はなんでも食べられる。こういうのって箱推しっていうの?」
「いや、でも」
熊野は顔を真っ赤にし、鼻の頭をかいていた。
「うん、でもグッドアイデアだ!」
「でしょう? 熊野がいないとおでん屋なくなっちゃうもん」
「確かにな」
「うん」
「一番熊野が大切だよ」
顔を赤くしながらも、熊野は投票用紙を真剣に見つめていた。
ふわふわと湯気がおでん鍋から媚びれる。関東風の出汁の香りが鼻をくすぐる。何だか今日は酔いたい気分になっってきて、日本酒を注文した。
「熊野、これからもよろしくね。どんどん推してくけど、いい?」
日本酒をちびちびと啜りながら、熊野の黒い目を見つめた。
「うん。よろしく!」
今夜は長くなりそうだ。美味しいおでんを食べながら、今夜は熊野と話したい。
大丈夫。
もう独りじゃない。
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