2.証明

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2.証明

 私の学校は家から電車で一、二時間ぐらい乗り継いだ先にある。  小学校の時に受験に合格し、都心部の中間一貫校に通うことになって早一年。新しい街の空気には慣れてきたものの、周りの生徒との距離感はまだ掴めずにいた。口を開けば地頭の良さが垣間見えるような意識の高い会話が飛び交う。そんな優等生の圧力に、私は毎日のように精神ごと押し潰されていた。  それでも鬱にならず学校に通えているのには、理由があった。  先生にも友人にも、お父さんにすら教えていない私だけの秘密。お母さんは残念ながら居ないけど、恐らく居たとしても教えていなかったと思う。  終礼を終えた瞬間、真っ直ぐ帰路に立った私は大股で校門を抜けて住宅街へと向かった。サーモンピンクの空を見つめながら歩き続けて、途中で差し掛かる長い階段が目的地の目印となる。  階段を上った先で左折すると、そこには閑散とした児童公園があった。ベンチと街灯、スプリング遊具が設置された寂れた風景。その中央に聳え立つ穴凹だらけのコンクリート製のドームに彼女は足をだらんと下げて腰かけていた。 「あ、やっと来た。遅いじゃん、もう一人の私」  ドッペルゲンガーの彼女が大きく手を振るのを見て、私も駆け足でそこへと向かう。気恥ずかしさと喜びの混ざった変な感覚に酔いしれて、つい口角が緩んでしまう。  自己紹介を終えて早々「せっかくならドッペルちゃんって呼んでよ」と指示してきた彼女とは、かれこれ一年ぐらいの付き合いとなる。他の人に見られたら怖がられる、という理由で人気の少ないこの公園で交流を深めていた。  ドッペルちゃんは話を引き出すのが上手い。私が最近読んだ本の話をすると一番欲しい反応をしてくれたり、学校で嫌なことがあった時に背中を摩ったりしてくれた。能天気に見えながら、首の痣のことには触れないから空気が読めないわけではないらしい。  勿論、ドッペルちゃんからも色んな話を聞いた。  元々遠い田舎に住んでいたこと。だけど同居していた祖父母と大喧嘩の末に絶交し、お金を盗み取って遠くまで逃げたこと。そうして気付いた時には此処の近所の孤児院に引き取ってもらったこと。人は見かけによらないとはよく言うけど、ここまで波乱万丈な人生を送っていると聞くと別の世界の住民のように思えて不思議な感覚がする。  まあ、でもドッペルゲンガーの時点で普通の人ではないか。それはきっと、ドッペルちゃんの目線から私を見ても、きっと同じなんだと思う。  伝承によっては、ドッペルゲンガーは本物の人生を乗っ取ろうとあの手この手で罠に嵌める描写も見られる。だからドッペルちゃんは私の人生を奪おうと騙しているのかもしれないし、逆に私が無意識にドッペルちゃんの人生を奪おうとしてる可能性もあり得る。  仮にもしそうなら、一体どっちの私が本物なんだろう。 「不思議だなぁ……」  気付いた時には、ドッペルちゃんの隣で私はそう呟いていた。  いけない。妄想に夢中になるとつい口に出す悪い癖が出てしまった。 「うん? 何が?」 「あ、いや……その、私達お互いに自分のドッペルゲンガーなわけでしょう? どっちが本物の私なんだろうって考えたら、ちょっと自信失くしちゃって」  私の顔を覗き込みながら、ドッペルちゃんは小首を傾げる。 「勿論、ドッペルちゃんのことを偽物だとか言ってるわけじゃないの! その、もし私がドッペルちゃんの偽物で、無意識のうちにドッペルちゃんの人生を盗もうとしてたらって考えると、何だか怖くなっちゃって」 「なあんだ、そんなことで悩んでたんだ? 相変わらず優しいヤツだなあ、もう一人の私」  かあっ、と顔が段々と熱を帯びていく。褒められて嬉しい気持ちと、改めて小さなことで悩んでいた羞恥心。その二つが衝突して、妙な浮遊感が全身に行き渡っていく。 「そんなの簡単な話だよ。どっちの私も本物で、どっちも偽物。仮にどっちかが人生を奪ったとしても、自分の肌身に合わなくてきっとムズムズすると思うの。DVDのディスクが違うDVDのケースに入ってると何か落ち着かないでしょ? それと同じだよ」 「そう、かな」  最後の喩えは置いとくとして、ドッペルちゃんの言うことはご尤もだ。  どっちの私も本物で、お互いに相手の人生を奪うことなんてしない。それさえ判れば十分なのに、こんなに不安になるのは何故だろう。  両膝を抱えて縮こまった私は、ふうっ、と溜息をついた。  ドッペルちゃんと過ごすこの時間が大好きだ。だけど、好きであるが故に些細な亀裂で二人の関係性が崩れてしまうのが、怖くて仕方ない。ドッペルゲンガーの件は深入りすべきでないのかもしれない。だけど、そこに不安要素があるのなら、私は。 「そっかぁ、納得いかないかぁ。ま、自分のドッペルゲンガーとこうして普通に話してるわけだし、そりゃあ不安になるよねぇ」  私の所為で生まれてしまった沈黙の中、ドッペルちゃんは何の前触れもなくすくっと立ち上がる。徐ろに隣でその動きを目で追った。 「じゃあさ、今から証明しに行こうか。どっちの私も本物だって話」 「えっ、それってどういうこと?」 「ごめんね、もう一人の私。実はさ、今まで秘密にしてたことがあるんだ」  そう言いながら彼女は一歩、また一歩とドームを下っていき、地面に着地したところでこちらに振り返ってくる。 「ちょっと今からお散歩しに行こうよ。見せたい物があるの」  ドッペルちゃんに突然の提案に、私はつい首を傾げてしまう。言葉の裏側を探ろうとしたものの、彼女の目は怖いぐらい透き通っていて、何も感情を汲み取れなかった。
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