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食べてしまいたいほど、きみが好き6
「そうだ、背中!」
慌てて背中側に回った。まだわずかに膨らみ続けている毛の間から刺さっていたものが次々と落ちている。抜けるときの衝撃からか血がプシュッと噴き出る様子に、慌てて綺麗な布で傷口を押さえた。
どのくらい時間が経っただろうか。すっかり全身が毛まみれになったガルに僕は呆然とした。人狼だから狼になることは知っていたけど、あまりにも巨大すぎる。決して小さくはない僕の体もすっぽり覆われてしまいそうな大きさだ。
「人狼って、こういうふうに狼になるんだ。初めて見た」
僕の声に気がついたのか、狼の頭がむくりと起き上がった。そうして「グル」と小さく鳴いてから顔をこちらに向ける。
「ガルは狼になっても男前なんだね」
僕の言葉に呆れたのか、エバーグリーンの眼がわずかに細くなった。
「そうだ! 早く手当しないと!」
ハッとした僕は慌てて薬箱を引っ張り寄せた。押さえていた布を退けて傷口を見ようとしたけど、毛が邪魔をしてよく見えない。血で絡まっている部分を消毒薬で拭いながら、少しずつ毛を避けて皮膚を確認する。
毛を引っ張らないように、それでもできるだけ早く毛を避けながら十二カ所の傷口を確認した。ひどいのはそのうちの二カ所で、右肩近くと腰の近くはまだ出血している。清潔な布で血を拭ってから、刺さっていた穴を塞ぐように止血剤を塗り込んだ。
途端に近くの毛がブルッと震えるように揺れた。もう一度布で押さえた皮膚がうねるように動いている。きっと薬の痛みで反射的にそうなるのだろう。
(そのくらい痛いのに、動かないように我慢してくれてるんだ)
この大きさだと、僕なんて身震いされただけで吹っ飛ばされそうだ。それがわかっているから、ガルはひたすらじっとしているに違いない。
「大丈夫、僕が絶対に治してあげるから」
僕の声に、ガルが「わかってる」と言うように小さく「グルル」と鳴いた。
それからひと月あまり、ガルは狼の姿のまま過ごした。僕は朝と晩の二回、毛を避けながら傷口を確認し手当を続けた。どうやらあの太い針には魔女が触れないまじないだけでなく、傷口が直りにくくなるまじないもかけられていたらしい。おかげで僕の薬でも完治までに時間がかかってしまった。
「しかも傷跡まで残った」
回復具合を確認しようと傷口を見るたびに苦い気持ちになる。ようやく人の姿に戻れるようになったガルの右肩と腰の近くには、穴を塞いだような傷跡が残っていた。そういう傷跡すら残さない薬を使っていたのに、よほど強いまじないがかけられていたに違いない。
「なんてひどいまじないだろう」
それがマイニィと呼ばれていた魔女の力だとすれば、僕とは正反対の力ということだ。
どんな力も否定はしたくないけど、その力でガルを捕らえようとしていたことに腹が立った。動けなくするためだったとしても人狼だって生きているんだ。こんな傷を負ったまま捕まっていたら、傷口が悪化して命に関わっていたかもしれない。
「俺は気にしてない」
傷口の確認が終わり、シャツを着たガルがそんなことを言いながらソファに座った。
「それに傷の一つや二つ、好きな奴を守った勲章だと思えばいいし」
「そんな勲章、あまり嬉しくない」
「そうかな、俺は誇らしいと思ってる。自分の手で大事な存在を守れたんだ……って、顔赤いけど?」
指摘されて慌てて背中を向けた。熱くなった頬を指でスリスリしながら薬瓶を薬箱に仕舞う。
「そういえば、人狼って満月のときしか狼にならないの?」
照れくさいのを隠すため別の話題を振ることにした。
「必ずってわけじゃないけど、満月の光が一番狼に変わりやすいかな」
「そうなんだ」
「怖い?」
「まさか。それにあんなにかっこいい狼、初めて見た」
これは本心だ。獣の顔なのにかっこよくて驚いた。きっと狼の世界でも大勢の雌たちを虜にするに違いない。
「それに、毛もフサフサで気持ちよかったし」
「アールンが櫛で梳いてくれたからだと思う。ああいうのは初めてされたけど、結構気持ちよかった」
「本当? じゃあ、また狼の姿になったときにしてあげるよ」
そう答えたら、なぜかガルが「へぇ」と言って笑った。どうしたんだろうと思って振り返ると、エバーグリーンの眼がニヤニヤ笑いながら僕を見ている。
「ガル?」
「毛繕いって、狼にとっては最大級の愛情表現なんだけど?」
「へ?」
「だってそうだろ? 愛情がないと普通はしないし」
「そっか、あれも毛繕いになるのか」
「お礼に俺もしてやるよ。狼の舌は長くて肉厚だから、アールンもきっと気に入る」
「僕には狼みたいな毛はないからいいよ……って、何言ってんだよっ」
「ははっ、意味わかったんだ」
「ガル!」
久しぶりに強く名前を呼んだら、してやったりといった表情に変わった。そんな様子に、やっと元気になったんだとホッとする。
(元気になった途端にこれっていうのもどうかと思うけど)
やれやれと思いながら薬箱の蓋を閉じる。それから用意していたポットとカップを持ってガルの隣に座った。
トプトプとカップに注いでいるのは僕特製の薬草茶だ。体力回復と傷の修復に効果が出るように調合し直した。ガルが苦手な酸味を抑え、できるだけすっきりした後味になるように味見もしている。鼻をくすぐる香りに「うん、今日もいい香りだ」と思いながらガルにカップを渡す。
「それにしても、狼になるとあんなに体が大きくなるんだね。僕が乗っても平気そうなくらい大きいから少し驚いた」
「人狼の特徴だろうな」
「みんなそうなの?」
「父親はそうだった。ほかは会ったことがないからわからない」
ガルの言葉にハッとした。隣を見ると、先ほどまでのにやけた顔から穏やかな微笑みに変わっている。
「あの、ガル、」
「ここがヤルンヴィッドの森だってことは知ってた。たどり着いたのは偶然だけど」
「わかってて、森に入ったってこと?」
「あの二人に追われてたんだ。しかも、しくじって左足を怪我した。あの怪我で人の街に潜り込んでも血の臭いですぐに見つかってしまう。ほかに隠れられそうな場所を探していたら、いい匂いに引き寄せられてここにたどり着いた」
「いい匂いって、森の香りが?」
「違う。まぁ、森の一部ではあるんだろうけど。ヤルンヴィッドの森だって知ったのは森に入った直後だった。鉄の森って呼ばれてたのに普通の森なんだなって不思議に思ったっけ」
ガルの言葉に肩が揺れた。
「……ここが、人狼にとってどういう森か知ってたんだ」
「多くの同胞が飼育され殺されたのは知ってる。それをしていたのが、足枷の魔女だってことも」
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