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2 願いを叶えていいのか問題
奈月は、「わう、わうっ」とかわいい声で吠えていたはずの口から、地をはうような低い声で人の言葉を話すようになったコタロウを、ぼうぜんと見つめていた。
「あの、コタロウ?」
「うるさいっ、コムスメに構っている場合ではない」
奈月が両手で持ち上げているコタロウは、顔をきょろきょろとさせて、四本の短い足をじたばたと動かしている。明らかにあせっている。パニックになっている。
パニックになりたいのは奈月の方だったが、動揺しているコタロウを見ていると、少しだけ落ち着いてきた。
「もしかして……、あなたは、悪魔なの?」
「ああん?」
どすの利いた声が返ってきた。とてもポメラニアンから発せられたようには聞こえない。
「そうか、おれを呼び出したのはコムスメか。おれをこんなところに閉じ込めて、どうするつもりだ」
「閉じ込めた、つもりは……」
奈月はしどろもどろになりながらも、悪魔を呼び出す方法を行ったときに、コタロウが鏡の間に飛び込んだことを説明した。
「なんてタイミングが悪いんだ! 儀式の途中で生き物が入ったら、そいつの体にとりこまれちまうんだな、くそっ」
ポメラニアンの姿をした悪魔は悔しがっている。
「まあいい、さっさと願いを言え。魂を得れば、おれは強制的に元の世界に引き戻されるはずだ」
「その姿でも、願いを叶えられるの?」
「ああ、能力に問題はないようだ。いいから早く言えよ。おれは魂集めをしなきゃならないんだ」
「魂を集めているの?」
「そうだ、悪魔は人間の魂を集めるのが仕事なんだ」
悪魔は魂を集めるのが仕事。魂を受け取る代わりに、願いを叶える。
(ということは、悪魔が働けば働くほど、死んでしまう人が増えるってことかな)
呼び出す前は気づかなかった。
「さっさと願いを言え。勝手に魂を抜くことはできないんだ。願いを叶える代償が魂なんだからな」
奈月はじっとしゃべるポメラニアンを見つめる。
この悪魔は、どうやら自力ではコタロウから出られないらしい。
ならば、このまま悪魔をコタロウの中に閉じ込めていたほうが、世の中が平和になるのでは?
そんなことを考えた奈月は、コタロウをベッドに降ろして、自分も腰かけた。
「ねえ、わたしが願いを言わなかったら、どうなるの?」
「さっきから質問ばかりだな。そんなに悪魔は珍しいか」
奈月はこくこくとうなずいた。
「おそらく、おれはこのまま犬から出られないんだろうな」
「そうなんだ」
大好きなコタロウの中に悪魔にいてもらっては困る。けれど、悪魔を野放しにするのはいかがなものかとも思う。
ついさっきまで死ぬ気でいたのに、奈月は悩み始めた。
「おい、なにを考えてる?」
「……」
「このままおれを、ここに閉じ込めておく気か?」
(あっ、バレてる)
奈月はごまかすようにコタロウから視線を外した。
「なんてことだ。やっと初仕事が舞い込んだと思ったのに」
「初仕事? あなたは新米の悪魔なの?」
今度は悪魔がむっつりとしたように黙り込んだ。
「……ムダだぞ。この契約は、悪魔を呼び出してから一週間以内に願いを言わなければならないんだ」
コタロウは不機嫌そうな声で言った。
「うそでしょ?」
「うそじゃない。悪魔はうそをつけない」
「そんなこと、あの紙に書いてなかったよ」
「書いていなくても、そういう決まりなんだよ。契約書なんて必要ない。儀式でおれを呼び出した瞬間に、おれとおまえの契約が成立したんだ。もうなかったことにはできない」
そういうものだと言われてしまえば、奈月は納得するしかない。
「一週間以内に願いを言わないと、どうなるの?」
「一週間たったら、願いを叶えていなくても、おまえの魂はおれのものになる。だったら、とっとと願いを叶えた方が得だろ。ほら言え。今すぐ、さっさと願え」
(そうかな? 少なくても、一週間は悪魔に仕事をさせずにすむんだよね。その間は、誰も死ななくてすむ)
あの儀式をしても悪魔が現れなければ、呼び出そうとした人は「悪魔なんていないんだ」と思って諦めるかもしれない。そのうちに気が変わって、死ぬ気もなくなるかもしれない。
「おいコムスメ、良からぬことを考えているな? おれは仕事をしたいんだ」
奈月はしばらく考えて、横になって布団をかぶった。
「わたし、寝る」
「おいっ!」
「学校があるし、早く寝ないと朝になっちゃう」
「先に願いを言え! そうすれば永遠に眠らせてやる!」
「コタロウ、静かにして。それ以上騒いだら、口輪をするよ」
コタロウはふてくされた顔をして口を閉じた。
奈月はぎゅっと目をつぶって、枕を抱きかかえる。
(御剣くん、もうちょっと待ってね。どうしていいのか、わからなくなっちゃたよ。起きてから考えるね)
頭まで布団をかぶると、緊張の糸が切れてしまったのか、奈月はすぐに眠ってしまった。
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