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湖畔の家にも春が来て。
私達は相変わらず共に生活しながら、楽曲制作を続けていた。
『栄光の夜』という新曲をリリースしてからは、新生Sallyと呼ばれ瞬く間に人気を取り戻し、父と母の存在を知らない人達からも評価を得られるようになった。
もう、私は助けを求め泣いているお姫様じゃなくなった。
力強い声で、自分の歌を歌える。
「紗莉! いいの思いついた!」
それもこれも、全部真昼のおかげ。
「真昼、ちょっとは休んだ方が良いよ」
キッチンから持ってきたコーヒーカップを手渡す。
彼は昨夜にスタジオに入ってから、ほとんど一睡もしていなかった。
「休んでなんかいられない。次から次に湧いてくるんだ。紗莉に歌ってほしい歌が。また歌詞つけてくれよ。紗莉の言葉で歌って」
興奮気味に言う真昼に胸が弾んで、お腹を抱えて笑った。
「笑うなよ。俺は今猛烈に覚醒してるんだから」
「そうだね。ありがとう」
二人で音楽を作る行為も、生活そのものも楽しくて仕方ない。
彼とは未だにプラトニックな関係だけれど、まるで夫婦のような呼吸で暮らしていると実感する。
私がいきいきと歌えるようになっていくのと比例するように、彼は眠る前にキッチンで睡眠剤を飲まなくなったし、ソファーで気持ち良さそうに熟睡する姿を見せるようになった。
窓の外を眺める眼差しも柔らかく変化して。
「ゆっくり聴かせて。でも朝ご飯食べてから」
「紗莉が作ってくれるの?」
「目玉焼き焦がさなくなったしね」
顔を見合わせてクスクス笑う。
こんな毎日がずっと続けばいいと思った。
ハッキリと確信している。
私は彼を愛し始めているんだと。
「紗莉」
ふいに彼の手が近づき、私の頬にそっと触れた。
その手に自分の手のひらを重ねる。
弦を押さえることによって厚く硬くなった指が心地良く感じる。
唐突に甘い空気に変化して、彼はじっと私を見つめた。
キスしてくれる?
そんな期待に、もう一度胸を震わせる日が来るなんて思いもしなかった。
一度壊れかけていた心が、時間をかけて培養され、再生していくような。
彼の唇が届くのにあと数センチ、というところでインターホンが鳴った。
私達はびっくりして、顔を見合わせる。
この家に来客があるなんて珍しい。
紀子さんかな?
不思議に思いながら二人で玄関に立った時、魂が抜けたように硬直した。
「紗莉っ!」
扉の向こう側から聞こえる声に耳を疑う。
紛れもなく、航平の声だった。
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