科学者へ

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0 回想 2230年、全世界的停戦協定が結ばれてから100年という記念の年に、私のもとに祖父の遺した手記が届けられた。それはつまり、偶然見つけた、顔も知らない祖父の記憶バイタリーの解析が終わったのは奇しくもその日だったということだ。 祖父の記憶をたどる前に、2200年代を生きる諸君に、祖父の生きた2100年代の概略をお伝えしておこう。 2080年の第四次世界大戦を最後に、この地球で戦争は行われなくなった。それは、戦争自体が消滅したわけではなく、戦争が行われる場が、地球ではなくなったということを意味する。  戦争が地球で行われなくなったのは、叡智の結晶である最先端の化学兵器は、もはや地球などでは効力を果たさなくなっていたからだった。  そして、人類は宇宙へ飛び出した。平和の象徴である翼は、さらなる敵を殲滅することを助けた。ロボット兵よりも、ゲノム編集を行った人間のほうが、遥かに安価で有用だったために、人間の兵士は宇宙へ飛び立っていった。  「宇宙開発」と称された宇宙での領土争いは、多くの国民がその存在を知らない。彼らは、地球から戦争がなくなった2080年からずっと平和な地球に生きているのだと信じている。 かつてA国が行った宇宙戦争を知る者は、私のような国立研究所職員と、政府高官だけだ。もっとも、私も祖父の手記を見るまでは、戦争の存在くらいしか知らなかったものだが。 以上が、大まかな2100年代の様子だ。現代は、戦争と戦争の間の休息期間だということを、忘れてはならない。誰かがそう言っていたのを思い出す。   1 紫苑   シオンは、A国の科学者だった。国家当局がデザインしたゲノムに基づいて、食塩水の中で培養する―この世界では最も基本的な生殖方法で、シオンは生まれた。  シオンの家系は、代々N賞科学者を輩出する、科学者一族だった。例に漏れず、シオンも科学者として幼少期から類まれなる知能を発揮していくことになる。勿論、どれだけゲノムを改変したとて、人間の知能には限度があるが、シオンはそんな縛りを一切感じさせないほどだったと、シオンの研究チームメンバーは語っている。まさしく、シオンは科学者になるべくして生まれたのだ。  シオンがA国立研究所の研究リーダーになったのは、わずか14の頃であった。シオンの科学を追求しようとする純粋な心を、当局は利用しようとしたのだった。  シオンが発明した多くの兵器は、大いに活躍し、宇宙戦争の場で一気にA国を優位に立たせた。資源の枯渇したA国が研究開発の停止を開発所に通知しても、シオンは研究をつづけた。それが彼の使命であり、彼の価値であったからだ。彼は、研究以外の生き方を知らなかった。  シオンは、幸せだった。  A国では15になったものから抽選で、宇宙での労働という名を被った、数年間の兵役が課せられるのだが、シオンはそれを免れた。何しろ、当局がシオンを失うことの弊害を恐れていたからだ。研究という当初の目的は消えても、シオンの存在は大きいものだったといえる。まるで2000年代に主要兵器を台頭しながらも過去2回しか落とされなかった核爆弾のように、シオンは当局の切り札となったのであった。  研究を失ったシオンに、当局はスペースシャトル発射所での、兵士の見送りを命じた。半ば偶像化されていたシオンが兵士たちの目の前に現れることは、宇宙への片道切符をさながらプラチナチケットのように見せかける、当局の巧妙な戦略だった。  毎日のように宇宙へ向かう兵士は、シオンを見るなり泣き出したり、筋骨隆々な体で、シオンを抱きしめたりした。そして皆、満足げに宇宙へ向かっていくのだった。何しろ、兵士たちは自分たちが「兵士」であると認識していなかった。「アルバイト」そんな死語で、自らの最期の役目を語った。 「すぐに帰ってこれるさ」  シオンもまた、兵士が「兵士」であると知りえなかった。何しろ研究者だったころの彼には、「兵器」をつくっているのだという自覚もなかったのだから。  兵士は誰一人として帰ってこなかった。  
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