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第35話
「やっと、この日が来ましたわね、エルモンド卿、ジェラルド卿、お久しぶりです」アリーチェは、エルモンドとジェラルドの姿を見つけて、声をかけた。
「アリーチェ侍女長、ようやくです。これで、全てが終わります」ジェラルドが答えた。
「何も終わらない。ロゼッタは帰ってこない」エルモンドは肩を落として、2人から離れていった。
「エルモンド卿は、どうですか?まだ同居しているのでしょう?」
「はい、最初は怒りっぽくて、怒鳴り散らしてばかりだったんですけど、最近は、魂が抜けたようになってしまって、以前よりも、酷くなっています。ロゼッタ様のお父上様に、拒絶されてしまったのも、大きかったんだと思います。このまま、廃人になってしまうんじゃないかって、心配で——」
「見るからに、危険そうですわね。覇気が感じられません。仇を打って、心の整理がつくことを、願いましょう」
「ドナテッラとヴェルニッツィは、魔族と密通してたんだから、死刑で間違いないだろうと思いますけど、正直、エルモンドが1番処刑したいのは、アロンツォ王太子殿下なんですよね」
「死刑は難しいかもしれませんね、彼は操られていただけですから」
「投獄ではなく、幽閉が決まったときも、酷い暴れようでしたから、無罪なんてことになったら、エルモンドは確実に、おかしくなってしまいます」
「女神エキナセアは、ロゼッタ様のご遺体を、どこへ運ばれたのでしょうね。せめて、ご遺体があれば、エルモンド卿も、少しは落ち着くでしょうに」
アロンツォと、ドナテッラと、ヴェルニッツィ、そして、モディリアーニは、同じ罪に問われているので、無駄を省くため、合同の裁判となった。
ドナテッラは、ボサボサの髪に、囚人用の、褐色のジャンプスーツという出で立ちだった。そんな姿を、人目に晒してしまい、いたたまれないといった顔で、被告人席へと座った。
ヴェルニッツィも同じく、褐色のジャンプスーツを着せられていた。最後に見たときよりも、いくらか、頬がこけたようだと、ジェラルドは思った。
連行してきた騎士が気に入らなかったのか、縄で縛られた手で、騎士の頭を小突いたモディリアーニを、相変わらず不遜な奴だなと、タルティーニは残念に思った。
「身の振り方を、考えとけって言ったのに、モディリアーニは、反省って言葉を知らないらしいな」
「タルティーニ団長、間に合いましたね」ジェラルドが、隣の傍聴席に座ったタルティーニに言った。
「ああ、判決の時を、首を長くして待ってたんだ、遅れてなるものか」
エルモンドの瞳がぎらついていて、タルティーニは、よくないことが起こらなければよいがと思った。
「開廷、これより、聖女ロゼッタ・モンティーニ殺害事件の、裁判を始める」
裁判官が開廷の合図を告げたそのとき、裁判所内が突如強い光に包まれ、女神エキナセアとロゼッタが姿を現した。
「ロゼッタ?」エルモンドは弾かれたように立ち上がり、傍聴席から声をかけた。
ロゼッタは、ちらりとエルモンドを見て、何か企みがあるかのように口角を上げ、口元に人差し指を当てた。
その姿が、あまりにも可愛いらしくて、エルモンドはうろたえ、今すぐ駆け寄っていって、その唇に吸い付きたいという欲望が、エルモンドの下半身を疼かせた。
「私は精霊女王ローズ!頭が高い!皆のもの、控えよ!」ロゼッタが、裁判所内に響き渡る声で命令した。
満席の傍聴席、被告人席、警護の騎士たち、裁判官たち、全員が戸惑いながらも、聖女ロゼッタの後ろに佇む、女神エキナセアに慄き跪いた。
「精霊女王?どういうことだ?」ジェラルドが、ヒソヒソとエルモンドに言った。
「分からない。でも、何か考えがあるようだ。さっきの仕草は、黙って見ていてくれって、合図だと思う」久しぶりに見るロゼッタの顔に、エルモンドは、氷のように凍てついてしまっていた心が、温かく溶け出すのを感じ、改めて、心から愛しているのだと思い知った。
「裁判官、私の裁判を行うと聞きました。私が判決を下しても、構いませんか?」
「はい、もちろんでございます。精霊女王ローズ様」
ロゼッタは裁判官に向かって、にっこりと微笑み頷いた。そして、ドナテッラに鋭い視線を投げた。
「ドナテッラ・ヴェルニッツィ、あなたは、黒魔術を使い、私の神聖力を奪いましたね。間違いありませんか?」
ドナテッラは、エキナセアとロゼッタに怯え、ガタガタと震えているせいで、歯がぶつかり、カチカチと不快な音を立てた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。許してください」
「王太子に好かれたかった。聖女になって、ちやほやされたかった。そんな理由で、人の心を操り、他人を貶め、国が衰亡する、きっかけを作ってしまった。あなたのしたことは、許されざる行いです。しかし、諭すべき大人が、近くにいなかったというのは、同情を禁じ得ません」
ロゼッタは、今日まで、精霊たちから黒魔術を解く方法を、教わっていた。
ロゼッタが、ドナテッラの頭に手をかざし、黒魔術を解除すると、16歳の少女が、80歳の老婆へと変わった。
「そんな!どうして……こんなの嫌!」ドナテッラは、両手で顔を覆った。
「治癒の力も、美しいその姿も、本来のあなたではない。黒魔術でしょう?私は、かけられていた術を、解いただけです。黒魔術とは、命を対価に執行するもの。使いすぎたあなたの肉体は、既にぼろぼろで、あと数年の命でしょう。ならば、わざわざ処刑する必要はありません。それに、死後あなたは、地獄に囚われる」
「地獄は嫌!どうか、お願いします。何でもしますから、許してください精霊女王様」ドナテッラは、床に額を擦り付けた。
「そうではありません。黒魔術とは悪魔と術者の契約、だから禁忌なのです。あなたは悪魔へ、魂を永遠に捧げるという契約をしてしまっている。逃れることはできません」
「……そんな」ドナテッラは絶望し、気絶した。
1度は聖女と呼ばれた女の、哀れな末路だった。ドナテッラ捕縛の知らせが王都に届くと、ざわめきが広がった。治癒師であり、清らかな心で、聖女のようだと噂されていたドナテッラが、魔族と通じていたことに、世間は驚いた。
治癒の力も、その美しい容姿も、まやかしだったと知られた今、彼女を罵る声が、大きくなるのは避けようがないだろう。
人々から、羨望の目で見られたかったドナテッラにとって、それは、どれほど屈辱的なことだろうか。成人したばかりの、大人とも子供とも違う——若者の浅はかな悪知恵を、ロゼッタは、嘆かわしく思った。
「ガブリエーレ・ヴェルニッツィ、魔族と密通し、バルジュー地方を、魔物に襲わせたことは、許し難い。大勢の命を奪うほどの大義名分が、あなたには、あったのでしょうか?」
手をかざしただけで、娘を変わり果てた姿にしたロゼッタに恐れをなして、ヴェルニッツィは観念したようだった。
身を小さく丸めて、うずくまっている姿は、年老いた物乞いのようで、悪党には見えなかった。
「黒魔術を使うしか、方法がなかったのです」
「なぜです?」
「私は生まれつき体が小さく弱かった。このままでは、爵位継承権を、弟に奪われると思い、焦っていました。そんなときに、強くなれる方法があると言われ、金で買ってしまったのです」
「それが、魔法石だったのですね」
「はい、魔法石を売った男が、魔族だったことも、魔法石が黒魔術だったことも、後になってから知りました」
「手を引こうとは、思わなかったのですか?」
「手遅れでした。強さへの渇望を、止めることができず、この力を手放せなかった」
「なぜ、聖女殺害に加担をしたのですか?」
「魔族から、王にしてやる代わりに、エリンジウム大陸侵略を手伝えと言われ、王になりたかった私は、話に乗ることにしたのです。聖女がいなくなれば、エキナセアの加護が消え、国が衰亡する。そうなれば、コロニラ侵略は簡単です。魔族はすでに、聖女殺害を計画していました」
ずっと否認し続けていた魔族の侵略を、ヴェルニッツィがようやく認めた。本当に侵略の計画があったのだと知った傍聴人は、顔色を失い、どよめいた。
「長らく、術を行使してきたあなたの命は、風前の灯火。黒魔術を解けば、その身は滅ぶでしょう。何か言い残すことはありますか」
「精霊女王ローズ様、身勝手なお願いだと、重々承知しています。ですが、息子たちだけは、どうか、どうか、お救いください。子供たちは、私の指示に従っただけなのです」ヴェルニッツィは、額を床に擦り付けた。
ロゼッタが、ちらりと視線を向けると、その様子を後ろで見守っていた2人の令息も、頭を下げた。
「残念ですが、彼らも黒魔術を使い、容姿を変え、強さを得ているのでしょう?すでに魂は悪魔のものです。私には変えられません。魔族を信じるなど、判断を誤りましたね」
ロゼッタが手をかざすと、ヴェルニッツィは、ミイラのようになって事切れた。
その恐ろしい姿に、悲鳴を上げる人もいれば、息を呑む人もいた。
傍聴人たちは、黒魔術は恐ろしいものだと認識し、人間を瞬時に、ミイラにしてしまったロゼッタにも、恐ろしさを感じた。
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