第32話

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第32話

 エルモンドに、しこたま殴られ、顔を腫らしたアロンツォが、騎士2人に連れられて、尋問室に入ってきた。  今まさに、断崖絶壁の淵に立ち、谷底へと真っ逆さまに、落ちていこうとしている人間のようだと、タルティーニは思った。  たとえ、後悔したところで、もう遅い。王太子が、自国を衰亡させるきっかけを、作ってしまったのだ。  女神エキナセアに、見放されたコロニラ王国は、今後、草1本生えない、不毛地帯となるだろう。雨は降らず水は枯渇し、農作物が枯れ、人は住めなくなり、大地は痩せ細る。この罪は、一生かかっても償いきれないだろう。  そして、後世に語り継がれる。旧国コロニラは、アロンツォ王太子殿下が、聖女を殺したせいで滅亡したと。周辺諸国は、聖女を決して害してはならないという、教訓とするだろう。  タルティーニから見てアロンツォは、なかなか見所のある青年だった。秀でた才能はなかったが、努力家で、慎重で、堅気な男だった。  それがなぜ、こんな暴挙に出てしまったのか……黒魔術というものは、本当に恐ろしいものだと、タルティーニは思った。 「とんでもないことを、やらかしてくれましたね、王太子殿下」 「——申し訳ない。言い訳のしようがない。なぜ、あんなことをしてしまったのか、今では、全く分からない。モディリアーニを信じるなど愚行だと、今なら、はっきりと分かるのに、あんな書類、何の証拠にもならないと、断言できたはずなのに、あのときは全く疑わなかった……それが真実だと思い、疑わなかった」 「理由を、お教えしましょう」タルティーニは、アロンツォの前に割れた石を置いた。「魔法石です。ドナテッラが持っていました。叩き壊したので、もう、その効果は無くなったでしょうが、どんな願いでも叶えてくれるそうです。例えば、人の心を操り、自分に好意を抱かせる。そして、頭の中をかき混ぜ、操り人形にする—–心当たりが、おありなのではないですか?」  1年前から始まった頭痛、ドナがここに来てからは、耐えられないほどだったのが、今では、嘘のように落ち着いている。 「——私は操られていたのか?」 「ええ、そして聖女を死に追いやった」 「私は、彼女を好ましく思っていたのだ。本当に、弟の妃にと望んでいた。それなのにどうして、ロゼッタ様を、信じられなかったのだ」アロンツォは頭を掻きむしった。 「黒魔術が、それほど恐ろしく、強力だということなのかもしれません。この1年で、少しずつあなたは、慎重さを欠いていった。ここにドナテッラが来てからは、もはや別人のようでした」 「ヴェルニッツィを、あれほど警戒していたというのに……あんな小娘にしてやられるとは!」アロンツォは、テーブルに拳を何度も打ちつけ、涙を流した。 「ヴェルニッツィは、王の椅子を望み、ドナテッラは、あなたに振り向いて欲しかった。そして、聖女になり、ちやほやされたかった。ただ、それだけのようです」 「そんなことのために、この国は終わるのか?」アロンツォは顔を顰めた。 「はい、そんなことのためにです」 「私は、なんてことをしてしまったのだ」アロンツォは口を手で覆い、吐き気が込み上げてくるのを、押し留めた。 「ロゼッタ様は、ヴェルニッツィが、魔族と手を組み、コロニラ侵略を目論んでいるようだと、仰っていました」 「国が衰退すれば、魔族は簡単に入ってこられるということか?」 「300年に1度、現れる聖女を攫うより、女神の恩恵を受けられる、コロニラに移住した方が、得策だと思ったようです」 「だから、この70年、魔族は大人しくしていたのか——聖女を殺す機会を待っていた。今代の聖女を殺し、エキナセアから報復を受けたとしても、300年後には、また聖女が現れると推測した」 「コロニラを足がかりにして、エリンジウム大陸全土を、掌握するつもりなのでしょう。魔族を利用し、大陸の支配者となる。ヴェルニッツィの思惑は、そこにあるのかもしれません。国を崩壊させる最も簡単な方法が、ヴェルニッツィの目の前に、ラッピングされて置かれていたようなものです」 「ドナはヴェルニッツィが、魔力がなくても使える、魔術を作ったと言っていた。大量に作るには金がいると」 「おそらく、魔法石のことでしょう」 「ヴェルニッツィ侯爵邸に、いくつか予備があるかもしれない。それを使って、この国を外敵から守れるような術が、作れないだろうか」 「それは、いい案ですね。陛下に進言しておきましょう」 「……陛下は、もう私の失態を、知っているのか?」 「いいえ、まだです。昨晩は私も疲労困憊でしたし、話を聞いてからでも、遅くはないと思いまして、これ以上、悪くなりようがありませんし」 「——騎士たちのことは、気の毒に思っている。どんなに謝っても、許されることではないと分かっている。それでも、君の大事な部下たちを、死なせてしまったことを謝りたい。本当に申し訳ないことをした」アロンツォは、タルティーニに頭を下げて謝った。 「あなたは操られていたのだから、罪があるとは言い切れませんが、王都まで拘束していくつもりです。でなければ、エルモンドは、あなたを殺すでしょう。私は彼を、殺人犯にしたくないのです」 「彼が私を殺したいと思うのは当然だ。どんな報いも受ける——エルモンド卿は、どうしている?」 「愛する人を失い、怒りに震えています。誰かに、その怒りをぶつけたいのでしょう。世間が、あなたを許したとしても、エルモンドだけは、あなたを決して、許さないでしょう」  タルティーニは、部下にアロンツォを、牢屋に戻すよう伝え、報告書を書き始めた。  ヴェルニッツィ侯爵を捕縛すること、その際、魔法石を使い、魔物を操る可能性があり、危険なので、十分に注意をすること。  アロンツォが提案した魔法石の利用方法。 そして、昨晩の出来事を時系列順に並べ、魔物を操っているヴェルニッツィ侯爵が、捕縛され次第、王都へ帰還することを書き記した。  その手紙を、タルティーニは電信係に渡した。「急ぎなんだ、騎士団本部のラウレンティス副団長宛に送信してくれ、極秘書類だから、暗号化を頼む」 「了解しました」  ヴェルニッツィ侯爵が、抵抗しなければ、日没までには、捕らえられる。これで、魔物の襲撃という、最大の頭痛の種が片付く。  たった25名の騎士だけで、魔物と対峙するなど、焼石に水だ。  一緒に死んでくれとは言えない。自分は十分生きたし、結婚もした。子を授かれなかったのは残念だが、未来ある若者とは違う。  部下には、逃げろというつもりだったが、その必要もなくなって、タルティーニは安堵した。椅子から立ち上がって背伸びする。  あとは、エルモンドを説得しに行くだけだと、尋問室を出て、エルモンドを押し込めている部屋に向かった。  途中、アリーチェが、中庭にうずくまっているのが見えた。 「アリーチェ侍女長、大丈夫ですか?」 「花を摘んで、ロゼッタ様に捧げようと思ったのですけれど、この時期は、綺麗な花が無くて、でも、よく考えたら、ご遺体がないのだから、捧げるところもないですわね」アリーチェは、泣き腫らした目を、悲しそうに伏せた。 「ロゼッタ様が、して欲しいと思ってることを、してみてはどうでしょう?妻が亡くなったとき、妻が生きているように、振る舞ったんです。まるで、そこにいるみたいに感じられて、安らぎを得られました」 「騎士団長様、私悔しいです、ロゼッタ様を奪った者たちが、憎らしいです」  タルティーニは、ぽろぽろと涙を流すアリーチェの肩を、しっかりと抱いた。
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