第十話 じっとしているだけで来られる別世界①

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第十話 じっとしているだけで来られる別世界①

 『Brruge(ブルージュ)喫茶』での会合から翌日。夕日に移り変わる時間の河川敷で、陸はゆっくりと歩きながら、人を探していた。  日向ぼっこが好きらしいからここら辺にいるだろう、と当てずっぽうだったのだが、見事に的中していた。  周囲にはせわしなく帰宅する老若男女が川のように流れていく中、その少女は中州のようにドテンとビニールシートの上に寝転がっている。その姿があまりにも堂に入っており、一瞬近づくのを躊躇ってしまう。  深呼吸をして、声を掛けようとした瞬間だった。 「鈴木くん、どうしたんですか?」  逆に声を掛けられた驚きで陸は「ウエッ!?」と素っ頓狂な声を上げた。わざとやったのか、音流の口角がつり上がる。 「ちょっとした特技で、足音で人を判別できるんです。鈴木くんの足音は校長のような貫禄がありますよね」  喜べばいいかわからない陸は 「ありがとう?」と疑問形でお礼を告げた。  陸の様子を聞いて伝えきれなかったと察した音流は 「真空管アンプのようで素敵です」と言葉を継いだ。 (真空管アンプって何?)  "真空管"も"アンプ"も知らない陸にとっては"真空管アンプ"は全く未知の言葉であった。さらに訳が分からなくなり 「それはよかったな……?」と意味不明な返ししかできなかった。  音流はムッとした顔になったのだが 「隣いい?」と陸が訊くと、目を丸くしながら頷いた。 (ビニールシートなんて久しぶりだ)  血筋からインドアの陸にとっては、学校のイベント以外でビニールシートに触れる機会はなかった。だかからこそ日常でビニールシートに座るという非日常にテンションが上がっている。 「今日は青木さんと一緒ではないんですか?」 「別に、あいつとは積極的に一緒にいるわけじゃない」 「それにしては仲がよさそうに見えますけど」  陸は自分に向けられた瞳がピンクに染まっていることをすぐに察知した。 「僕と青木はそういう関係じゃないよ。手のかかるペットみたいだ、とは思ってるけど」 「そうなんですか? 仲睦まじそうに見えましたけど。それに彼女じゃなければ、なんで青木さんの手助けをするんですか?」  陸は恥ずかしそうに顔を背けてから、唇を尖らせた。 「青木の姉——喫茶店の店主に頼まれたからだよ。割引券を報酬に」  についていくように移動し、瞳を覗き込んだ。ピンクの瞳がピンクの瞳を覗き込んでいる。少年の無謀な恋心を察した少女は「ほぅ」と興味深そうに息を吐いた。 「鈴木君も中々難儀してますね」  居たたまれなくなり、陸は、その先には自宅の近所の噂好きのおばさんの姿があった。 (え? 女子と一緒にいるところを見られた!?)  脱兎のごとく駆けていく背中を見て、陸は「もうどうにでもなれ!」と心の中で叫んだ。  自棄になった陸は音流に無遠慮に質問を投げかける。 「そっちはどうなのさ。清水さんのことをべた褒めしてたじゃん」 「そうですねぇー」と呟きながら音流は夕日に視線を移した。  「清水さんは高価なダイヤモンドみたいなものだと思っています」 「確かにダイヤモンドみたいにカッコイイよな」 「うーん、そうじゃなくてですね」  と音流は空中で何かをこねくり回しながら 「もしお店に展示された数億円もするダイヤモンドを見たとき、鈴木くんはどう思いますか?」と続けた。 「すごいな、キレイだな。でも、こんなのは一生手に入らないだろうな、かな」  陸は自分の感想に幼稚だなぁと自嘲した。しかし音流は笑うこともなく頬を緩ませた。 「ウチも同じです。すごく魅力的なのに絶対に手に入らない雲の上の存在。でも、ちょっと人生が違ったら手に入ったかもしれない。もっとあの時頑張ってたら手に入っていたかもしれない。そうやって"もしも"を想像するのが楽しいんですよ」 「つまり、どういうこと?」 「うーん、これ以上はモヤモヤです。うまく言葉にできません」  手をワキワキさせながらもどかしげな顔をした音流を見て、陸は少し考えこんだ後 「手に入らないロマンがいいってことかな……?」と自信なさげに言った。 「そう、そんな感じです!」  陸の言葉がよほどしっくり来たのか、音流は明るく叫んだ。 (なんとなくわかるなぁ)  陸は君乃の顔を思い浮かべていた。ふと雲に手を伸ばしたくなるように、手の届かない場所にはロマンが詰まっている。しかし近づけば近づくほど正体が見えてきて、ガッカリすることだってある。  陸はアッと驚くような水彩画を近くで見たときのことを思い出した。少し離れて見れば精巧な絵画だが、数歩近づけば荒っぽく色が塗られており、ボヤけて見える。モノによってキレイに見える距離感は違う。それは人間関係も一緒なのかもしれない、と陸は険しい顔をした。  陸はふと音流の顔を見た。見ている内に眉間がムズムズして、フッと目を離した。  無言でいるのが耐えられなくなって、本題に入る。
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