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セトとネフティス
遙か昔。まだ大地の神ゲブが王としてエジプトを統治していた頃の話。
一組の男女が、寝台の上で寛いでいる。
男は血のような赤毛をしており、黄金の目を持っていた。
女は砂色の髪にすみれ色の目を持っていた。
どちらも長髪であり、また優れた容姿と恵まれた体を持っていた。
女の方は寝台の上に座り、男に膝を貸している。
男の方はというと、女の膝に頭を乗せて、自分の頭を撫でる女の空いている方の手を握っていた。
寝台の上で仲睦まじく過ごす男女はどちらも神であり、兄妹であった。
男の名はセト。砂漠と戦争を司る神である。
女の名はネフティス。セトの妹で、女神である。
どちらも愛おしげに相手を見ており、仲睦まじいことが分かる。
それもそのはず。二柱の神は、愛し合っていた。
兄妹で愛し合うのは神の間ではよくあることなのでここでは目を瞑ろう。
セトには野心があり、兄オシリスに対する強い嫉妬心があり、粗暴な性格から周囲に避けられ、嫌われていた。
ただ一人、ネフティスだけを除いて。
暴力的に見られてしまいがちな、本当は誰よりも愛されたがりで寂しがり屋な兄を、ネフティスは幼い頃よりおおらかな心で受け入れ、セトの唯一の理解者になったのだった。
セトも、ネフティスと共にいるときは大変穏やかな神であり、幼い頃からネフティスに愛されてきたため、兄オシリスに対する嫉妬心も次第に縮小していった。
ただ、セトは照れ屋で不器用なため、仲睦まじいことをおおっぴらにすることを拒んだ。そのため昼間はお互い無関心を装っているが、夜になると秘密裏に繋げた部屋の隠し通路を使ってお互いの部屋を行き来し、密かに愛し合っていた。
しかし、まだ体は繋げていない。セトもネフティスも純潔であった。
これは、セトが「正式に夫婦になるまでネフティスの純潔は奪わない」と誓ったからである。
それほどまでにセトはネフティスのことを大切にし、深く愛していた。
ネフティスもまた、セトのことを深く愛し、彼の意思を尊重していた。
セトとネフティスの仲睦まじい姿を知っているのは、二人の世話をしなくてはならない召使いの人間たちと、最高神のラーだけであった。
部屋の隅で召使いたちに穏やかな目を向けられながら、セトはネフティスに甘えている。
不意に、セトが口を開いた。
「なあ、ネフティス」
「なあに、セト」
兄の穏やかで優しい声に、ネフティスもまた穏やかな声で答える。
「もうすぐ結婚相手が決まる。お前は一体誰に嫁ぐのだろうな」
セトの言うとおり、もうすぐ、神託を受けたラーによって、オシリスとセトの婚姻相手が決まる。
セトは自分の愛する妹が兄オシリスの手に渡らないか心配しているのだ。
「誰って、それはきっと貴方だわ。ラーさまは私たちのことをご存知だもの」
ネフティスがセトの言葉の裏に隠れた不安を掻き消すように、柔らかく微笑んで囁く。
ネフティスはセトと結ばれることを信じて疑わなかった。それはセトも同じだった。
セトは体を起こすと、ネフティスの華奢な体を抱きしめた。
「嗚呼……早くお前を俺だけのものにしたい。お前と結ばれたいよ、ネフティス」
「私もよ、セト。早く貴方と夫婦になりたいわ」
ネフティスはセトのたくましい背に腕を回して抱き返す。
お互い結ばれると信じて疑わないセトとネフティスは体を離すと、顔を見合わせ、どちらからともなく目を瞑り、口づけを交わした。
「愛してる、ネフティス」
「愛してるわ、セト」
*
一方。神託を受けたラーは頭を悩ませていた。
先ほど、世界を創世した神々から神託を受けたのだ。
オシリスとイシスの子は偉大な王となり、オシリスとネフティスの子は冥界に属する重要な神となるだろう。セトとイシスの子はわからない。何の神託も下されていないからだ。
そこまではいい。オシリスとセトを結婚させれば、偉大な王となる子が生まれ、エジプトに平和をもたらしてくれるだろう。
問題はセトとネフティスの子である。天の神々から下された神託は以下のとおりである。
「セトとネフティスの子は、神すら打ち倒す力を持つが、同時に人々に対し災いをもたらす神でもある」
神すら打ち倒すほどの権能。そして人に災いをもたらすという文言。
ラーは、セトとネフティスが愛し合っていることを知っていた。セトがネフティスに立てた誓いを守り、ネフティスの処女を奪っていないことも知っている。
ラーは溜息を吐いた。
「神すら打ち倒す力を持つ子、か……」
ラーは窓の外に目を移す。窓の外は砂漠が広がっており、夜の幕が星を連れて下りていた。
散々考えた末に、ラーは一つの選択をした。
それは、ある悲劇と戦争を巻き起こす選択であった。
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