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1.アイラとNY
「アイラは大都会が向いているよ。」
義理の父がにっこり笑ってこう言った。
母が亡くなって3ヵ月。一軒家に暮らしていた3人は、バラバラになってしまった。
義父のジョーは気のいい男であったが、アイラとこれ以上親子関係を続けるつもりはないらしい。
母が病気で入院してからというもの、浮気相手の女性宅で暮らすようになっていた。
この件に関しては、アイラは義理の父、ジョーを責めるつもりはなかった。
それよりも、よく8年間にもわたって、よくあのヒステリックな母親の相手をしてくれたものだと思った。
アイラにとってはいい父親で、実の父親のように、酒に酔って母親を殴ることはなかった。
生活費もちゃんと母に渡して(自分の分だけだったが)定職にはつかず、友人知人の仕事を手伝いながら、料理や洗濯、掃除をこなしていた。アイラの学校の送り迎えもしてくれた。
そして、いつもご機嫌だった。
母親にかかかった医療費の支払い、死亡保険金の手続き、金銭的なことをすべてやってくれた。
お葬式や埋葬もアイラは喪服を着て、ただ参加すればいいようにしてくれおまけに2万ドルの貯金をアイラの口座に振り込んでくれた。どう考えても、ジョーはほとんどの財産を譲ってくれている。
どうやって連絡を取ったのかはわからないが、生まれてから一度も会ったことのないおばさんに世話になるように取り計らったのだった!
「お母さんには年の離れたお姉さんがいるって聞いたことがあるけれども・・・」
お葬式にもやってこなかった肉親の世話になるなんて気が引ける。
母の生前、何度かアレックスおばさんのことを聞いたことがある。すると母は不機嫌そうに、
「姉はいつも一番いいところだけを両親から与えられて、残ったカスを拾って私は生きてきたのよ。あんな女、姉でも何でもないわ。クリスマスカードの一枚だって送ってきやしない。」
と言っていた。そんなに仲が悪いのに、お葬式にも来てくれなかったのにそんな人の世話になっていいのだろうか。
不安そうな表情を浮かべるアイラに、義理の父ジョーは、
「君のおばさんはすごい人なんだぞ。ニューヨークの高級住宅に暮しているし、かなりの資産家だ。しばらく一緒に暮らして、仕事を見つけるのもいいし、何なら大学へ進学したっていい。この家を売ってまたお金が入ったら送金するから、学資のたしするといいよ。もし一緒に暮らして、上手くいかなかったら、ルームメイトを見つけて、アパートをシェアしたらいいさ。仕事はいくらでもある。食いっぱぐれにはならないさ。」
と楽天的なことを言う。
大学!私の成績で進学できるとしたら、州立でも最低ランクの大学しかないだろう。
いったい何を勉強していいのかもわからない。
しかも高校を卒業してからというもの、スーパーのレジと、靴工場のライン、たまにアルバイトでベビーシッターしかしたことがない。大した職歴もないのだ。
「何を言っているんだ、アイラ。家から一歩も出ていけなかった頃に比べると、大きな進歩じゃないか。貯金だってちゃんとできただろう?もう大丈夫だ。立派に人間の群れの中に入っていけている。」
ニューヨーク行きの長距離バスに最低限の荷物を持ったアイラはニューヨークへ向かっていった。
途中で一泊して休憩を取る予定だ。バスの予約から、ホテルの手配までジョーがしてくれ、費用も払ってくれた。
ジョーは結婚予定の婚約者と一緒に見送ってくれた。彼女はすでにお腹が大きかった。
婚約者にあたる人は、美人ではないが、ジョーと雰囲気がよく似ている。とても仲の良いカップルだということが、傍目からもわかる。母親よりも性格は良さそうだ。
ちらっと耳にした噂では、ジョーの新しい妻となる人は、数年前に夫と子供を火事で失い、莫大な保険金を手にいれたそうだ。世間の同情は、冷ややかな嫉妬へと変わり、悩んでいたところにジョーが現れたということだった。ジョーはまた主夫として、活躍するだろう。
旅の途中、雨が降って、バスの中は寒くなり、到着時刻も遅れ、気が滅入ってきたのが辛かった。
へとへとになりながら、2日後に最寄りのバスターミナルについた。そこからはタクシーでアレックスおばさんの自宅へ向かう。タクシーの運転手はアイラをちらっと見た。顔色の悪い、ガリガリにやせている姿、安物のワンピースを着ている若い娘が高級住宅街の住所を告げたので、本当かい?というような顔をした。
「ええ。知り合いが住んでいるの。」
まさか強盗に行くわけでもないだろう。スーツケース一つで、おびえた顔をしていて、頼りはあなただけと言われたような気がした。こんな娘からはチップもたっぷりとはもらえないだろう。しかし、距離は長いので、もうけにはなる。運転手は自分に言い聞かせるように車を発進させた。
季節は春だった。
タクシーから眺めるニューヨークの風景は、とにかく人が多く、道路は渋滞していた。高級店が軒をつらねているかと思えば、高層ビルが乱立している。
タクシーの中で、アイラはまだぐずぐず考え事をしていた。不安しかなかった。オハイオ州へ帰りたかった。
ジョーは私を厄介払いしたかっただけなのだ。しかし、ジョーのおかげで何とか高校を卒業できたと言って過言ではない。成績は平均でBとCの間ではあったが、落第せず3年間で卒業できたのはジョーが常にはげましてくれたからだった。
けれどもなぜ、ジョーは故郷に留まるよう言ってくれなかったのだろうか。確かにアイラの職は時給が低いものだったが、住む家もあったし、中古車だって買えないことはなかった。2万ドルとアイラが貯めた数百ドルの貯金があるので、1、2年は働かずに暮らせたのに。
「アイラ、君はニューヨークが向いているよ。そこに行けば、きっと今以上に幸せになる。保障するよ。失敗したら帰ってきていいかって?そんなことにはならないよ。次帰ってくるとしたら、友人の結婚式に参加するか、そしてその友人が出産して、ベビーシャワーにかけつけるか、はたまた親戚の葬式に里帰りするくらいだよ。」
友人!唯一の友人のカレンは大変な優等生で、校内ボランティアでアイラに勉強を教えてくれるくらい優しい女の子だった。大学を卒業してソーシャルワーカーになっている。電話でさよならを告げたが、「大丈夫なの?アイラ。」と心配の声を上げていた。カレンの方が正しいのではないだろうか
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