17人が本棚に入れています
本棚に追加
4.人さまざま
「ミセス・シュタイナーは悪い人じゃないですよ。」
エマはプエルトルコからやってきたという。大家族で、仕事を求めて米国へやってきている典型的な南米の女だった。男どもはろくでなしで怠け者のくせに威張っている。エマの夫もそのうちの一人だった。しかしエマには子供がいる。エマも夫を亡くして、ようやく米国に出稼ぎに来れるようになったと語った。
「かれこれ夫人に10年以上仕えておりますよ。シュタイナー夫人も私も未亡人ですがね、違うところは亡くなった夫は莫大な遺産を残してくれたのだから、私の境遇よりはマシってとこですかね。」もう少しお金を貯めたら、子供が米国に来れるようにしたいという。エマには男の子が一人いる。現在高校生で、卒業したら呼び寄せたいと思っている。
エマの住まいに向かうバスの中で、アイラはエマの身の上話を聞いた。
アレックスおばさんが怖い。母親から罵詈雑言を受けて育ったアイラは体中の力が抜けていた。エマは姉妹たちと共に暮らしている。NYの中では治安の悪い、イコール家賃の安い所で暮らしてはいるが、一人じゃとても住めない。姉妹たちと協力しあって、家賃をシェアして生計を立てている。いつかは故郷に帰って、観光客相手の民宿を開きたいという夢がある。それぞれの子供たちは祖父母やおじやおばが面倒を見てくれているということだった。
エマがこうやっておせっかいをするのは、一番の目的は自分の仕事を失いたくないことであるが、10年も働いていると、何らかの情はわいてくる。給料は安いが、エマがこの国に長期滞在できているのは雇用を保障してくれているアレックスのおかげだなのだ。
実際、いろんなところで家政婦として働いているが、今までで一番マシな雇い主だという。
「アイラ様がおいでになってから、夫人は元気におなりですよ。」
エマの言うことは信じられなかった。いつも非難がましい目で見るだけでなく、きついことを言う。勉強しろ、勉強しろ、と。まだ一緒に暮らして短いですからね、おいおいわかりますよ、本当は情の深い方なんですよ、と。
「さてつきましたよ。酔っ払いと、麻薬中毒者があちこちにいますから、絶対目を合わさないでくださいよ。ここの、用心棒にたのんで、守ってもらいましょうね。5ドルもあれば大丈夫でしょう。」
アイラは長距離電話をかけるためにここに来ていた。アレックスおばさんの家からはかけられなかった。請求書に明細が出てしまうと、アレックスおばさんは烈火のごとく怒るだろう。おばさんはお金に細かいのは一緒に暮らしていてわかっていた。
エマに故郷の肉親の声が聞きたいとぼやいたところ、いい方法がありますよ、と連れてきてくれることになったのだ。ガス抜きしないとまいっちゃいますからね、と。
エマはバスを降りると、足早に自分の住まいに向かう。古びた高層ビルで、2DKのアパートに姉妹、従妹と5人で住んでいるという。ビザの関係で、出国や入国を交代でしているので、3人になったり6人になったりするらしかった。
「さて、ここですよ。」アパートの前に3台の古びた公衆電話が置いてあった。小銭を盗もうとしたせいか、3台とも無惨に壊れている。そのうちの1台がどういうわけか、お金を入れなくてもかけれるようになっているという。海外から出稼ぎにきている連中が交代でこっそりかけているらしい。
いずれ電話会社が修理に来るだろうから、この特典が使えるのは今の内だということだった。
この電話台を取り仕切っているのが、サムというアパートの一階に住んでいる男で、エマはサムの部屋をノックし、連れて来てくれた。ここの住人の中ではめずらしく夫婦と子供で住んでいて、そして一番まともな住人だという。
アイラは5ドル払った。サムは不愛想にどこにかけたいんだと聞く。オハイオ州よ、と伝えると国際電話じゃないから、楽だねえと言った。アイラから受け取ったメモの番号にかけてくれた。上手く通じたので、アイラに受話器を渡す。
そしてアイラが電話する間、エマと一緒に近くで見張ってくれることになった。
2人は世間話をしている様子が見える。
サムは通称『ビッグ・サム』という恰幅のいい黒人で、軍隊の退役後、バーの用心棒をしている。妻と娘が2人がいて、みな勤勉で真面目であると常々自慢している家族思いの男だった。学業が優秀な上の娘は奨学金をもらって医大に通っていることを声高にしゃべっている。エマはこの自慢を何十回も聞いている。下の娘は弁護士になりたいって言っているんだ。夢をかなえさせるためにも、もっと稼げる仕事につかなければとわめいている。
ウィリアムス姉妹のおやじに負けてはいられない。
どうかジョーが出てくれますように。土曜日の昼下がりだから、出かけているかもしれない。
「やあ、アイラ元気かい?」
「ジョー!」
アイラは涙が出てきた。懐かしい優しい声だった。不登校になっていたころ何度もなぐさめてくれた声だった。
アイラはNYにやってきて、アレックスおばさんと上手くいっていないことを切々に訴えた。とにかく怖いのだ。この間怒らせてしまって、どうしていいかわからない。
「なにを言っているんだ、アイラ。一緒に暮らし始めてまだ一か月も経っていないじゃないか。僕と暮らし始めた頃も、最初はぎくしゃくしていたじゃないか。」
「ジョーは優しかったわ。すぐに打ち解けた覚えがあるし、怒鳴ったりなんかしなかったじゃないの。とにかくオハイオに帰りたいの。一緒に暮らせないのはわかっているわ。また仕事を探して自活するから、しばらくでいいから、新しい家に住まわせてもらえないかしら?」
「ダメだよ。アイラ。君はもう立派な大人じゃないか。それに何といっても、僕と君は血がつながっていない。もちろん僕は君が好きだし、君も僕を慕ってくれている。けれどもその感情だけでは乗り越えられない一線があるんだ。僕にはもうすぐ子供が生まれる。その父親として、君を受け入れることはできないよ。」
アイラは倒れそうになった。それならばこのままずっとあの怖いおばさんの家で息をひそめて暮らしていかなければいけないのか。
ジョーはしばらく我慢すれば、おばさんの莫大な財産だって手に入るんだぞ、と茶化したことを言う。アイラはなおのこと、離れてくれしてもそれは同じじゃないの?と言う。
「さあね、遺言書に慈善団体に全額寄付しますなんて書かれる可能性だってあるぞ。それより近くにいて、君の存在をアピールする方が得策だね。そうしたら情もわいてくるだろうし、そうしたらたんまり遺産が入るって寸法だ。それと、アレクサンドラ・ホープは気難しいかもしれないが、間違ったことは言っていない。職業柄、食事に気をつけるのは長年の習慣で抜けないのだろう。
なにせ米国の宝といわれたくらいのバレリーナだったんだ。舞台を立派につとめるためには、並々ならぬ努力が必要だったはずだ。
ここはお互い歩み寄らないといけない。それと激怒したのは、アイラの作ったビザとラザニアがとても美味しそうだから、食べたいのに食べられないからじゃなかったのかな?実際、君の料理は超一流だったよ。次からはカロリーの低いピザを作ったら、怒らないじゃないか?」
とさりげなくアイラのことを褒める。
「確かに、私ったら、おばさんに事前に了解も得ずに勝手に料理したわ。それは悪かったと思っているわ。おばさんは本当に背が高くて姿勢がよくて、スタイルがいい人だわ。とても綺麗な人よ。そうよね、一流モデルは、体重をコントロールするために、食べたら吐いているって聞いたことがある。食事に敏感なのは、仕方ないことよね。」
ジョーは話題を変えた。
「勉強の方はどうだい?」
アイラは相手に見えないのに、首を振った。
「やっぱり私は学校というところは苦手だわ。もっとも仕事も長続きしなかったけれども、お給料をもらえたのは嬉しかったわ。学校に行くよりは楽だったわ。」
「じゃあ、仕事をさがすんだね。新しく犬の散歩サービスなんていうのもいいかもな。もっとも治安が心配だから、よく考えて見つけることだな。」
「ありがとう、ジョー。吐き出したら気分が落ち着いたわ。子供が生まれたら、知らせてね。」
「もちろんさ、アイラ。君のおかげで子育ての楽しさを味合わせてもらえたよ。もっとも君は手のかからない子供だったけどね。素直で優しい。」
「まあ、じゃあ、引き取ってくれてもいいじゃない。」とアイラは言った。
「君はもう大人だよ。それにアレキサンドラ・ホープの姪っ子だ。この厳しい競争社会で、彼女のような肉親がいるってことは百人の味方を持ったようなもんだぞ、アイラ。」
とジョーが言った、最後の言葉の意味はアイラはよくわからなかった。しかし、アイラの気持ちは落ち着いて、次どうすべきかということがおぼろげながらわかってきた。
最初のコメントを投稿しよう!