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第二楽章 リスト先生現る
後輩でもあり、一番弟子と自認しているセルゲイ・ラフマニノフの懸念通り、フランツ・リストはそそっかしいところがあった。
最初はもちろん、可愛いマオに会うつもりだった。
『愛の夢』もいいが、他にももっといい曲がある。大人になったマオにもっとスケールの大きな曲を進めてみよう。ラフマニノフに対するライバル心ももちろんあった。いや、かなりあったと言ってもよい。大人気ないと言われようとも、フランツは負けず嫌いなのだった。
ソチ五輪は2014年に開催されていた。しかしフランツ・リストは1980年代の日本に転生してしまったのだった。というのも、この時代はまったく音楽がさかんだったのについつい引きずられてきてしまったからだった。
器用な若者たちはギターを弾くし、ドラムをやっている男の子も多い。女の子はピアノ、少し金持ちクラスになるとヴァイオリンを習っていた。
クラシックから歌謡曲、ジャズやヒュージョン、新しくシンセサイザーも登場していた。
クラシックもどきの金髪碧眼の若い男性である外国人音楽家が口パクならぬ指パクで演奏して拍手喝采をあびていたり、していた。
南米からはフリオとかという名前のセクシーな歌手が大人気で、来日しコンサートを開催し大盛況であった。残念なことに主なファンがおばさんだったが。
とにもかくにも音楽が日常にあふれていた時代であった。そして日本は国際社会で右肩上がりの繁栄を見せていて、アメリカから睨まれていた時代であった。そのアメリカからはマイコー・ジャクソンやマドンナが現れて日本の若者たちを熱狂させていた。
※筆者はシンディー・ローパーが好きだった。まだまだいろんなアーティストが出現していたが、筆者はあまり詳しくはない。ただ兄貴がナントカFMという音楽雑誌を購読していたので、U2であるとか、ボーイジョージであるとか、プリンスという名前を覚えた。U2の曲が映画“007シリーズ”に流れた時は、嬉しかった。
リストは基本的に女性に優しい。しかし子供の女性は恋愛対象にはならない健全な大人の男性であった。そして、根っこの部分は教えることが大好きな性分であった。ピアノの腕が超一流であって、絶対的な自信があったからである。
こういう先生は生徒に対し、ピアノが上手くなることよりも、大事なことがあると教えがちである。たとえば、
「ピアノが上手くなる前に一人前の人間として立派になりなさい。」
と言うのが大好きで、なおかつ心の底からそう思っているのであった。そして音楽を通じて、人間形成ができると信じていたのだった。
リストは日本のあちこちを巡っていたところ、とある高校生の女の子の嘆きをキャッチしてしまった。
それがのん子こと、乃吏子であった。
伊吹乃吏子、これがのん子の本名である。
「日本はいいところだわね。」
ピアノの練習室に現れたフランツ・リストは、すらりとしていて、長い髪をはらりとするしぐさをし、すてきなお召し物を着ていた。
「だ、誰?」
のん子は17年生きてきて、これほどびっくりしたことはなかった。
さっきまでかんしゃくを起こして泣いていたというのに、涙がひっこんでしまっていた。
「え?私のこと知らないの?」と少し不機嫌になった。
警察を呼ぶか、母屋にいる兄を呼ぼうかと迷ったが、どうやらこの少女マンガに出てくるような西洋人は『あなたは神を信じますか?』と最近あちこちで布教活動をしている某宗教団体の一員ではなさそうだった。年はそんなに若くなさそうだし、中年に近いみたいだ。高校生の女の子にとっては30歳過ぎたら『おじさん』である。しかし、ハンサムで素敵な人だということはわかる。
「私はフランツ・リストです。」と完璧な日本語で自己紹介した。
短期間のうちに日本でもたくさんの女性につきまとわれたらしい。
さすがに高校生の女の子に正直にはいいかねて、音楽家は耳がいいので、語学に強いのだと自慢した。
若干、女言葉に近いのは、耳で習ったのは女性からばかりだということをのん子にはバレバレだったのだが。
「君はピアノが嫌いなのね?ならなぜ習っているの?やめればいいじゃない。」
ほこっりっぽい練習室でフランツ・リストはレースのハンカチで鼻を覆った。
そして、勝手に椅子に座って、椅子の近くにある丸テーブルに置いてあるのん子のおやつであるポッキーを一つつまんだ。
「何に腹を立てて、泣いていたの?」
のん子はこの紳士的な西洋人は危害を加えるような人ではないことを信じることにしたのだった。
それに、今の状況を誰かに聞いてもらいたかった。
「何のためにピアノを習わしたと思っているの!」
母の言葉がのん子の胸を刺した。
学校というところは合唱というのをよくやる。学年対抗でコンクールをやったり入学式や卒業式でピアノ伴奏がある。
それに一度も選ばれたことがないと母は責めるのだった。
このセリフを何度言われたかわからない。小学生の時、中学生の時、そして高校生になってからもだった。つまりのん子の母親は集団の中で、のん子がめだった優秀さを示せないのに腹を立てているのだった。
習い始める前まではのん子はピアノが好きだった。
近所の年上のおねえさんが器用に
『エリーゼのために』や『トルコ行進曲』を弾いてみせてくれた。
遊びに行った自宅のピアノで聞かせてくれたのだった。
すごい、とのん子は興奮して、うらやましくなった。
家にはレコードもあり、『乙女の祈り』や『トロイメライ』という曲もよく聴いていた。
人気のある曲というのは、メロディを一回で覚えることができる。
『エリーゼのために』を初めて聴いた時、のん子は「この曲知ってる!」
と心の中で思ったものだった。
この美しい曲を弾きたい!と強く思ったものだった。
その時のん子は5歳だった。
それから近所のピアノ教室に通うようになった。
自分から習いたいと言ってしまったのが間違いのもとだった。
一年もしないうちにのん子はは自分はピアノがヘタだとわかったからだった。
母は練習を真面目にしないのん子に癇癪を起して、無理やりピアノの前に
坐らせた。
そして失敗すると両手を強い力で叩くのだった。
母も一緒にピアノを習っていたのに、一年もしないうちにやめてしまった。
母は1941年生まれで、学校にはオルガンしかなかったそうだ。
ピアノに憧れて、憧れて音楽大学に行くことが夢だったらしい。
その夢をのん子に託されても困ったものだった。
のん子はすっかりピアノが嫌いになっていたからだ。
いやいやピアノを習って、いつか『エリーゼのために』
か『トルコ行進曲』を習うことができるまで我慢しようとのん子は思った。
しかしいつまでたっても先生は教えてくれなかった。
「ふうん。」
とフランツ・リストはのん子の話を聞いていた。
ずーっとピアノをやめたくてやめたくて仕方がなかった。
ブルグミュラーという練習曲がある。ピアノの上手い同級生たちは中学校に
入るまでには終えていた。
しかしのん子がこの楽譜を終えたのは中学3年生の時だった。
毎年ある発表会も完璧に弾けたためしがなく、落ち込むばかりだった。
「ブルグミュラー集ねえ・・・」
フランツ・リストはぱらぱらと楽譜をめくっていた。
「大した作曲家じゃないと思うわ。気乗りしない曲を無理やり弾いたって
面白くはないかもね。」
のん子に向かって、ウィンクをした。
フランツ・リストはのん子の母親のきつい一言についても、
「じゃあ、君のお母さんはたいしたピアニストなのかしら?どお?」
フランツ・リストはちょっと、と言って
「これが君のお母さんの演奏法だよ。」
とバイエルのとある一曲をめちゃくちゃの音程で弾き始めた。
さすがののん子も耳をふさいだ。
耳をふさぎながら、「どうやってお母さんの演奏の仕方を知ったの?」
と聞いてみた。
「今の僕は時空を超えて異動できるし、それにこのピアノに記憶に残っている君のお母さんの演奏を再現しただけよ。」
フランツ・リストは笑って、
「オルガンしか弾いたことのない人間が大人になってからピアノを習ってもこうだよ。」
「私のお母さん、こんなにヘタクソだったの?一回だけ一緒に発表会に出てけど、気づかなかった。」
「でも君は、今はうまいかへたかくらいならわかるんだから、大したものよ。音楽はねえ、まず聴くことからスタートなのよ。むろん耳の不自由な人もいる。私の師のヴェートーベン先生は晩年は耳が不自由だったわ。それでも『感じる』ことはできると言っていたわ。明るく幸せな気持ち、あるいは感動できるかどうか、そこからピアノを弾くことはスタートするのよ。」
フランツ・リストの指はもじもじしていた。のん子はさっして、ポッキーを勧めた。
「ありがとう。」のん子に向かって、ウィンクした。なんて素敵な人なんだろうか。のん子は自分はフランツ・リストだと言っているこの男性に好意を持った。
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