第四楽章 のん子ショパンを選ぶ

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第四楽章 のん子ショパンを選ぶ

最後の発表会(とのん子は決めていた)が今年の秋にある。来年は高校3年生なので、受験生になる。ピアノの先生からは音楽大学に進学を勧められたが、絶対いやだった。のん子はピアノを弾くのが苦痛なのだが、地元の音楽大学の教授に教われば、合格に近くなると先生に教えられたが、冗談じゃないと思っていた。その頃は、のん子も悪いところがあって、音大をすすめられても、はい、いいえもきちんと答えずはっきりしなかったからだ。言い訳になるが、榎谷恵子先生とは自分がしてほしいことはしてもらえなかった恨みも少しはあった。 さかもぼること4,5年前だったろうか。 のん子と同じ教室に和田君という男の子がいた。 レッスンの曜日が違っていたので、発表会で初めて和田君の存在を知った。 この和田君の存在がのん子に衝撃を与えた。 プログラムには小4と書いてあったので、のん子より3歳年下だった。 落ち着いた雰囲気で、きちんと散髪に行った髪型は坊ちゃん刈りだった。 小学校の制服を着て出場していた。いかにもかしこそうな顔立ちに、素直で優しそうで、親はきっと自慢にも思い、学校の先生から好かれそうである。 のん子も一目で好感を持った。 和田君は発表するのは一曲だけだった。のん子は和田君の演奏が始まるとショックを受けた。 のん子の先生がもしこの曲を選んでくれたのなら、嬉しくてたまらないと思っただろう。 曲名はショパンの『子犬のワルツ』だった。 小4の生徒が演奏するにはやや難易度が高く、曲もテンポが速くて、指がよく動かないと弾きこなせない曲である。 しかし和田君はことの美しいメロディの曲をいとも簡単に、見事に弾きこなしたのだった。女の子ばかりの生徒の中で、和田君は目立っていたし、演奏態度も立派だった。 のん子は普段真面目に練習しないくせに、和田君がうらやましくて仕方なかった。 中学生ともなると、ピアノの曲にベートーヴェンやモーツアルトだけでない作曲家もいることをどんどん知ってくる。特にショパンの美しいピアノ曲の数々はのん子をひきつけていたのだった。マンガの『いつもポケットにショパン』という作品ものん子は好きだった。なんというか、ショパンの曲は恋愛と同じように、憧れをかきたてるような曲が多いのだった。 ショパンでなくてもいい、『トルコ行進曲』や『エリーゼのために』だったら 私だって一生懸命練習するのに、と切ない気持ちにさせられた。 一方ののん子の方と言えば、ブルグミュラー集が選ばれた、『タランチュラ』 と『バラード』だった。二つとも好きな曲じゃなかったのと、暗譜が最後まで できなくて、先生に「楽譜を持ち込みさせて下さい。」とお願いしたのに却下され発表会の演奏は何度もミスをして、さんざんであった。 見に来ていた母親はすっかりおかんむりだったのを覚えている。 和田君はうまかったのに、発表会で会ったのはこれきりになってしまった。 中学生になったら、高校生になったらといった区切りでほとんどやめてしまっていた。 のん子も楽譜の難易度が上がり、ハノンやバッハなどを練習するようになっていた。それでもいやでいやでしょうがなかった。 そうして最後と決めた発表会で、思い切って先生に「ショパンのノクターンを弾きたい」と直談判したのだった。 その時の先生の反応はいつになく冷ややかで、楽譜を自分で用意しなさいといったきりだった。 9月に入って、涼しくなってきた頃、フランツ・リストはまた遊びに来てくれた。榎谷恵子先生の冷たい反応に負けずに励ましてくれると思いきや、 「ショパンねえ・・・。」 フランツ・リストは少しがっかりしたようだった。 のん子はフランツ・リストが機嫌が悪くなったので、少し戸惑った。しかし、自分だっていやなピアノのレッスンを長年耐えてきたのだった。最後くらい、自分の好きな曲を弾きたいと先生に訴えたのだった。榎谷恵子先生にではなく、フランツ・リストに。 しかし先生の反応は少なからず傷ついた。自分がヘタなのはわかっている。ヘタであっても頑張ろうとする意欲を買ってくれてもいいではないだろうか。 フランツ・リストは黙って、のん子のためにショパンのノクターンを弾いてくれた。 「ショパンはたくさんノクターンを作曲しているからねえ。君が弾きたいのはこれでしょう?あなたが見ると気が滅入るって言ってたフラット♭がいっぱいついているわよ。」 と一番有名なノクターンの曲を弾いてみてくれた。 そしてその曲は、この30年後にフィギアスケートの浅田真央選手がソチオリンピックで使った楽曲であった。 「たかが田舎のピアノ教師ごときに遠慮することはないわ、のん子。大事なのはピアノの曲で好きな曲があるということだわ。好きなことだったら、だれでも頑張れるわね?さっそく楽譜を買いにいきなさい。」とフランツ・リストは言ってくれた。そして、気が向けば教えてあげるから、と言ってくれたのだった。気が向けば?と聞き返すと、私も忙しいからねえとじらすよなことを言ってきた。 もっと感激して喜んでくれることを期待していたので、フランツ・リストは少しいじわるをしたのだった。芸術家とはかくも誇り高いものである。 そしてフランツ・リストはこと時から、リスト先生となったのだった。なぜ、のん子が過去からやってきたリスト先生に選ばれたのかはわからない。ここでもショパンとの因縁にリスト先生はムッときてしまったが、のん子がなかなかの美人で、磨けば光るものをもっていると感じたことは本人には内緒にしておいた。 リスト先生も忙しい身で、日本全国津々浦々ひっぱりだこなので、つききりで教えることはできないよ、と念を押されてしまった。週に一度、土曜日の午後に、おいしいお茶とおやつを用意しておきたまえと、言われてしまった。それと、「少しは掃除をしておいてね。」と言われてしまった。
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