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第一楽章 フランツ・リストの不満
天国は退屈なところである。
ここにきてフランツ・リストは苦しみや悲しみが作品にどう影響するか思い知らされることになる。
フランツ・リストとは・・・ベートーヴェンやモーツアルトは知っていても、誰それ?
という人のために説明しますと、ハンガリー生まれのクラッシクの作曲家で、美しい曲の数々を残し、有名な曲として『愛の夢』というのがある。あとは『ラ・カンパネラとか。ピアノの大家で、教育者としても優れていて、現在に至るまで、リストの弟子のそのまた弟子の、そのまた弟子が一流のピアノの先生がたくさんいるそうである。
フランツ・リストは大変な美男子で、美しい曲の数々のみならず、美しい肖像画を残している。
結婚も恋愛もできなかった音楽家が多かった中で、フランツ・リストは女子にモテモテであった。
爺さんになったころの写真はまったくの蛇足で、撮影許可を出した・・・やめておけばよかったのに。
ただ天国にいるフランツ・リストは彼が全盛期の頃の姿をしているので、まったく心配はない。
今日は午後のお茶にラフマニノフとショパンを呼んでいる。今日は地上のテレビを一緒に見ることを約束していた。ロシア人のラフマニノフのためには硬い歯の折れそうなロシアケーキとサモワールで淹れた紅茶を用意し、ショパンにはワインとチーズを用意している。
ショパンとラフマニノフはご機嫌である。何でも東洋の美少女である舞姫が二人の曲の旋律に乗って4年に一度開かれるというオリンピックというところで氷の上で踊りを披露するからである。
フランツ・リストとショパンとは同世代で、恋人のジョルジュ・サンドを紹介した仲である。一方、ラフマニノフとは天国で知り合いになった。フランツ・リストとは60歳以上も年が離れていて、音楽では後輩にあたる。
その二人はウキウキしているのである。
「まったくもって、このマオという女の子はチャーミングだ。優美さと、可憐さ、そして力強さがあるねえ。」
ラフマニノフは唾を飛ばして興奮している。
「このピアノ協奏曲 第2番はね、僕がスランプに陥って、復活するまでのことを曲にしたんだ。母親を亡くして、その悲しみから這い上がってきたマオにはぴったりの曲じゃないか。しかも振付したのはロシア人だ。ロシアの力強い大地にはえる白樺のような・・・」
とラフマニノフはまくしたてる。
「何を言っているんだ!この僕が作曲したノクターンこそ、マオにぴったりな曲じゃないか。フィギア・スケート選手は有名な曲をあえて避けるんだ。なぜなら振付家は偏屈が多いからね。人が聴いたこともこともない曲をあえて使って、『私はこんな曲も知っているんだぞ』と自己満足にふけるんだ。まったく観客をバカにしている。耳なじみのいい曲を使ってこそ、踊りははえるんだ。このノクターンは数ある夜想曲の中で一番人気があるんだ。この振付家こそセンスが高いと僕は思うね!」
二人とも涙を流して興奮している。楽しいこともあったが、創造というものは苦しいものだ。自分のためだけでなく、聴衆に喜んでもらえる作品を作ることが至上の命であるが、ここにきて、二人ともおのおのこの曲は浅田真央という一人のアーティストのために作曲したのだと、天国で言い合っているのだった。我々は予言者作曲家だったのだ!と最近では周りに言いふらしている。
予言者作曲家というものが二人の造語だったとしても、フランツ・リストは面白くなかった。
なぜなら、自分の曲をオリンピックという大舞台で採用しなかったからだ。
このオリンピックの前に、『愛の夢』という曲を使ってのプログラムを披露していた。
演技も完璧のみならず、衣装も振付も、何よりもこの美しい曲の旋律に乗って、マオは本当にすばらしかった。ロシアの選手が真似をしたくらいである。そのロシア娘の演技を見たフランツ・リストは
『〇×△』と悪態をついたほどだった。
3人ともプッチーニのオペラ『蝶々夫人』を通してしか東洋人のことを知らない。この蝶々夫人はなかなか気が強い女性であるが、マオとは少しイメージが違うようだと3人は言う。
ソチオリンピックが始まった。2014年のことである。
ショートプログラムで浅田真央はジャンプの失敗がたったて、16位に沈んだ。ノクターンの曲を提供していたショパンはがっくりきて、責任を感じ、ひきこもってしまった。
翌日のフリーで、見事な演技を見せて、ラフマニノフとリストは抱き合って喜びあった。
ことにラフマニノフは各国の選手がマオを応援し、『奇跡のフリー』とまで讃えられるのに気を良くした。
「いやあ、ショートは残念だったけどね、次に世界選手権の控えているし、次は金メダルを取れるだろうよ。ショパンさんには言えないけれども、ショートはやはり『愛の夢』を使うべきだったですねえ。」とラフマニノフは先輩を立てることを忘れない。なにせラフマニノフはピアノの名手でもあり、ピアニストの教育を確立してくれたフランツ・リストは大先生でもある。
「セルゲイ、お前んとこの国はやっぱおそロシアだなあ。オリンピックの前から、なんとなくマオに金メダルを取らせないような動きがあったじゃないか。お前が逃げ出した国なのもわかる。まあ、それは置いといて、私の曲を使うべきだったのは、その通りだ。」
作曲家は自己顕示欲を遠慮なんかしない。自分が一番だと思わなければ、こんな商売はやっていけない。
「よし!」
フランツ・リストは立ち上がった。
「ど、どうしたんですか、リスト先生。」
「私は日本という国に行くぞ!マオの国を見てみたい。そして私の音楽をこの国に広めるのだ。」
いささか天国にいて退屈しているリスト先生は刺激を求めるため下界に降りることにしたのだった。
「ええ!?今だって先生にピアノを見て欲しいって生徒が天国でも地獄でもいっぱいいるじゃないですか。みんな予約があかないか競争しているっていうのに。」
「私には弟子がいっぱいいる。弟子のそのまた弟子もいっぱいこちらに来ているから・・・代理で済ますさ。」
はらりとマントをはおって、旅路支度の恰好になっていた。そしてラフマニノフにウィンクをして、「土産話を楽しみに待っていてくれたまえ。ダスヴィダーニャ、セルゲイ。」
と言って颯爽と、下界行きの馬車にはらりと乗って行ってしまった。
雲の上からラフマニノフは下界を覗き込んだ。
「大丈夫かなあ・・・リスト先生ってかっこいいわりにはそそっかしいところがあるから・・・」
とつぶやいた。
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