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柿田が憂鬱な気分のまま顔を上げ、別のタクシーを捕まえようとした時だった。
背後に気配を感じて咄嗟に振り返る。
大通りに面した歩道には、深夜とあって人通りはない。
夕方の雷雨で尚更湿度は高く、こんな時間に背後で気配を感じるなんて気味が悪い。
柿田はポリっと頭を掻いて首を傾げた。
「霊感とか微塵もないしなぁ…」
呟いたと同時に目の前にタクシーが止まる。
柿田は腰を折り、上背のある身体をタクシーに詰め込んだ。
流れる見慣れた景色をぼんやり眺める。
後ろポケットに押し込んでいた携帯を取り出して、雛士のラインを開いた。
気を遣っているのだろう、淡白な言葉の羅列に笑みが溢れる。
少しだけ…少しだけなら良いかな?
麟太郎の時には感じなかった声を聞きたいという気持ち。
柿田はシートに倒れ込みながら携帯を耳に当てた。
コール音が数回を数えた頃、「やっぱ寝てるかな」なんて心で呟き携帯を耳から離した時だった。
「もしもし!」
雛士の少し焦ったような声。
柿田はホッとして笑顔になる。
「ごめん、寝てたよね」
「…眠れなくて…起きてたんで大丈夫です」
「そっか」
「豆…毎回量が多いから大変ですね。こんなに遅くまで…」
「うん…焙煎具合とか、産地だったりとか…組合せだったり、それこそお客さんの前に出す手前まで、仕上がりはこっち次第なとこがあるからね。オーナーが俺の我儘存分に聞いてくれるから、高い豆も入荷出来るし、環境が贅沢な分、手は抜けない。…連絡くれてたのに、ごめんね。俺、この日は無心になっちゃって」
そう呟いてから、いつも不満を漏らしていた麟太郎が目に浮かんだ。
「俺、忍さんがコーヒーに凄い情熱ある人なのを雑誌で読んで、素敵な人だなぁって…この人が淹れたコーヒー飲んでみたいなぁって思ってたから全然平気です。…大好きだし、凄く会いたいって思うけど、仕事と向き合ってる忍さん…カッコイイから」
雛士は拗ねたりする事なく、逆に誇らしげに語った。
柿田は目を見開き茫然とする。
人とはこんなにも違うものなんだと実感したのと同時に、また梓の笑顔が蘇った。
雛士は本当に梓によく似ている。
考え方も容姿も…
「かっこよくて…色々思い出しちゃうな…忍さん…好き…早く会って、キスしたいです」
たった一つ、超エッチだという事を除いては。
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